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「なんとなくいい感じの絵」の正体は
…について考える。
「なんとなくいい感じの絵」とはどんな絵なのか。
それは「脳がコストをかけずに、少しでも多くの情報を受け取れる絵」なのではないか。
私たちの脳は、多分ちゃんと見ているようで、全然何も見ていない。
でも、多分性能は非常に良い。
つまり、一瞬のごく一部の情報で、過去のデータや知識などを総動員して整合性の取れる答えを弾き出している。
違和感がないように、バランスが取れるように、あまりに情報過多でハード(人間)が壊れないように、絶妙な塩梅で、目の前のものを理解している。
そして、脳はできるかぎりCPUを使わずにそれらの処理を行いたい。なぜかというと、CPUの消費は人間のボディの疲労感を促進させるからだ。
逆に、情報が整理されていてコストをかけることなくでスルッと理解できるのに、情報量が豊かであるものというのは脳に好まれる=良い、上手い、素敵と思われやすいのではないだろうか。
これを絵に置き換えると
表面ではっきり認識はされないが、複数の色が混じり合っていて、世界の奥行きを感じさせる絵
髪の毛の束がそれぞれ流れとして意味を持っており、光や反射光、影という情報が伝わってくる
パースが正確であり、何も描いていない部分にも、人物がどこにいるのか、何をしているのかなど想像を掻き立てる想像の余地がある
といった絵は上手いと評価されやすいのではないか。
…と、ここまで考えたところで、今日の絵。
![](https://assets.st-note.com/img/1719329716326-rqclXVIBP3.jpg?width=1200)
これは…この絵は…
コストをかけずに理解できるが、情報量が少なすぎる。
つまり、まだまだ修行が足りないということだ。
わーん。゚゚(*´□`*。)°゚。