役に立たなくても、何も学ばなくても、それでも絵を描いていきたい
子どもの頃から、あることを悟っていた。それは
「最初に困難があって、そのあと苦労して解決して、最後は解決してもしなくても、なんか学んだから良かった…みたいな話が大人は好きなんだな」
ということだ。
だから作文はいつもそういうストーリーにした。
人権作文、お母さんへの感謝の作文、現実は白と黒が混ざり合いグレーばかりで、角度によっては歪に見えるものばかりだったが、iPhoneで写真を撮るみたいに、いい感じに見えるところを探して、いい感じの部分だけズームして、テンプレートに当てはめていた。
ちなみに「学んだこと」というのは、品行方正的なものでなければいけない。「この世に正義なんてないんだ」とか「努力は報われないから、折り合いをつけて生きるしかないんだ」とか、現実的な夢のないやつはNGなのだ。
そんな私は大人になって「役に立たない・何も学べない」者への信者となった。テンプレートへの反動だ。本当は嫌だったのだ。
だから、絵も、役に立たなくていいと思っている。絵を描くことで何も得なくていい。ただ絵を描くのが楽しいからやっている。
上手くなりたいから勉強はする。でもそれは、人生で役に立つ学びを得るためではない。
もちろん役に立つこと、学べることは大切だが、だからやるのではない。これらはあくまで、夢中になって取り組んだあとの結果なのだ。こじつけて無理やり得ようとするものではなく、自分一人でひっそり噛み締めるものなのだ。
無駄でいい。無駄の中に楽しさがある。もしかしたら学びがあるかもしれない。でもそれは目的ではない。
役に立たなくても、何も学ばなくても、それでも絵を描いていきたいと思います。
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