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物語と宇宙と∞

図書館で本の間の通路に立っている時の感じ。子どもの頃から、自然に感じていた感覚です。 
それは、たくさんの次元、∞の拡がりの中にある、小さな自分なのでしょうか。
子どもの自分よりももっとずっと小さな自分が、それを感じてる。



‘ 指輪を所持し使ってしまうと、徐々に堕落する。

主人公でも。

本来の自分以上に偉大でありたいと欲するために、自分自身を(一時的にしても)見失う。’



生き生き健康に、自然の中に、おいしいものを食べ、皆と楽しく生きていた者でもです。

これは何なんでしょうか。

他の多くの登場人物も、指輪を手にしたがために、おかしくなっていきます。


あらゆる力の指輪のいちばん大事なところは、「おとろえを防ぎ、あるいは遅らせる( “変化”は嘆かわしいと見られていた )力がある点」だと、トールキンは説明しています。


‘ 望ましいものや好ましいものを保っておきたいという、エルフの目的にかなうもの。

ところが、指輪は同時にまた持ち主が本来持つ力をも高め
そうやっては“魔法”に近づく。

あっさりと悪に手をそめるきっかけとなり、他人を支配したいという欲望まで育ててしまう。’



『指輪物語』は外界に存在する事物に対して力ずくで行使しようとする危険性を検証する物語と見てもいいわけです。

こういう危険性はあらゆる技術につきものなのですから。


トールキンは、物語が第一次世界大戦を語っていると言われることは、強く否定していたそうです。

これはただ “ 世界 ”。
何かの主張や問題提起ではなく。

なので、この「指輪 物語をめぐる16の哲学 」に書かれていることも、1つの解釈に過ぎない、というのはあります。


‘ 我々人類が今形成しつつある技術の中には前例のない癒しの力と事物を保護する力をもたらすものも出てくるかもしれないが、
それは、地球とそこに住むものをすべて破壊する力を持つかもしない。’




どのようにもある、ということのような気がします。
ただ“ 世界 ”であることがそのまま、すべてを含み、語っている。

1つのことを象徴とか暗喩とか、そういう次元の話ではなく、もっと深く宇宙的なこと。



遺伝子学(G)、ナノテクノロジー(N)、ロボット工学(R)といった二十一世紀の技術(GNR)は、あまりに強力なので、前例のない事故を引き起こしたり、悪用されたりする可能性がある。



特に恐ろしいのは、こういう事故や悪用が、人類史上初めて、個人もしくは少数のグループの手に届く範囲にある点だ。

こういう技術は大がかりな設備や貴重な素材を必要としない。知識さえあれば、自在に行使できる。


読んでいて感じるものがあります。指輪を感じるということです。



物語は、物語です。トールキンの‘ 世界 ’です。でも、‘ 本 ’、‘ お話 ’にとらわれるから、こうだ、いや違うこうだ、となるのです。
それは、‘ 世界 ’なんです。

図書館の通路のあの感じは、たくさんの世界、たくさんの次元にかこまれ
その中にある‘ 小さな自分 ’ではなく、それとともに、∞に拡がっている自分なのかもしれません。

物語はそのままに、しずかに世界を語っている。
正しい解釈だ何だと言うより、
感じればいい。


本の中のさらに引用の言葉ですが、私たちが直面しているのは、大量破壊兵器、だけでなく、増殖していく大量破壊知識であるとあります。



本を読みましょう🙂📚🌟
本を読む力がない時は、図書館( 最近増えた小さな本屋さんとかも )を歩いてみましょう。

大きな本屋さんと新古書店は、少し違う気がします。好きだけど😊




たくさんの物語を作っていこうと思っています🙂💖電子書籍販売準備中。大切に使わせていただきます🌐🎀