『小学校〜それは小さな社会〜』を見て、教員になりたい欲が高まった。
12/1に渋谷ユーロスペースで行われた、山崎エマ監督のドキュメンタリー映画『小学校〜それは小さな社会〜』の上映会&イベントに行ってきました✨
まだ上手く自分の気持ちを言語化できませんが、観てすぐ書かないと!と思ったので投稿させてください(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”
給食の配膳や掃除、廊下の歩き方や手の挙げ方、返事の仕方など、勉強以外にも集団行動の基礎を教える場でもある日本の公立小学校について考えを深めることができました。
1年生が立派に成長して初めての後輩に向けて演奏する姿、下級生の面倒を見ながら自分と向き合う6年生の姿を見て、すごく感動しました。
1年生のアヤメちゃんがシンバルを練習してこなかったためエノモト先生に叱られてしまい、「また怒られるかも」と練習に参加できなくなってしまった時に、ワタナベ先生が「一緒に怒られよう」とアヤメちゃんに伝えていて、叱る慰めるの役を先生方が分担して担っていることが印象的でした。
自分が落ち込んだところに、自己肯定感を下げないような声掛けをしてくれる人がいることに、私も救われたので、このシーンは先生の声掛けによってアヤメちゃんが勇気を出せたことが伝わってきてもう涙でした🥹
コロナ禍になり、慣れないタブレット端末でオンライン授業をするために教員室で講習会が行われていたシーンもありました。
先生にもたくさんの初めてのことがあって不安だったはずなのに、子どもたちに見える場所にその不安を出さない所がさすがプロだなあと思いました。
ドアや手すりなど児童が触れる場所全ての消毒、給食中に喋らないという指導、修学旅行がなくなった代替案など、私たちがコロナ禍でも学校に通うことができていたのは、本当に先生方のおかげだと改めて思いました。
今では修学旅行の代わりの遠足や無言の運動会もいい思い出になっています☺️
先生が「どのくらいの厳しさで怒ればいいんだろう」「なぜ怒られたのか、理由を説明しないと怒られた記憶だけが残っている」というジャン先生の言葉にも考えさせられました。
「静かにしなさい」だけでなく、「なぜ静かにしないといけないのか」→「寝ている人を起こさないように」「もう寝ている人の迷惑になってしまうため」など、理由を説明することの大切さを学びました。
確かになぜを知らない子供からしたら、ただ理不尽に怒られた、と感じてしまいます。そしてそれは大人になっても消えない嫌な記憶になってしまいますよね💦
なぜ怒られたのか、なぜそれをしてはいけなかったのか、というなぜを教えて考えてもらうことを忘れないでいたいと思います。
6年生の男の子が運動会に向けて、苦手な縄跳びを家でコツコツ練習していたシーンでは、誰もが見えないところで努力していることを忘れてはいけないと強く感じました。
一見、何もしていないように見えても、家ではしているのかもしれないし、心の中で考えているのかもしれない。
勝手に思い込まず想像する癖をつけたいなと思いました。
1学期には注意されてばかりだった1年生のゆうたろうくんが、3学期には先生から褒められたりお手本とされる機会が増えたりと、成長が目に見えて、「こんなに小さな子が頑張っているんだ」「自分の間違いやダメなところを直そうとしているんだ」と、ゆうたろうくんの成長に嬉しくなりました。
シンバルができなくて泣いていたアヤメちゃんも、本番では立派にやり遂げていましたし、6年生の男の子も、運動会本番では苦手だった縄跳びの技を成功させていました。
子どもの成長、適応力は凄まじいです。
國學院大學の杉田洋先生が仰っていたことも、自分の心に残りました。
「個を活かす集団行動」が集団行動、集団生活の本来のあるべき姿であって、そこで同調圧力や空気を読むということを学ばせてはいけない。
特別活動 tokkatu は、他人を思いやる力や想像力を育める反面、真逆(上記のような)のことも育んでしまう場合がある。
自由と自己中を一緒にしてはいけない。
私の隣に座っていた方が小学校の先生で、コロナ禍で行事が無くなった代わりにお化け屋敷をしたことを聞きました。
教育関係の方が多かったので、このような実際に教育現場に立たれている方とお話することが出来て、貴重な経験ができました。
私には中学校の教員になるという夢があるのですが、この映画を見て、より教員になりたい欲が高まりました。
社会を知らないと言われても、親や子どもからはその努力が見えなくても、すごく辛いことがあったとしても、私は教員になりたい。
教員になって、今を生きてる子どもたちに少しでもいい影響を与えられる人になりたい。
と強く思いました。
最後までご覧いただきありがとうございました(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”
映画を見た方、いらっしゃいましたらぜひお話しましょう✨️