レデラジ♯19 LD(学習障害)の課題解決に必要なこととは?
「ひとりひとりが過ごしやすい社会をともにつくる」をミッションに活動するLedesone(レデソン)のショートラジオ番組「レデラジ」。
今回も、LDの子どもたちのためにさまざまな情報を集めて提供するサイト、「カラフルバード」を主宰しているp&pさんにお越しいただいて、今、社会に求めていることや現在の課題についてお話をしていただきます。
レデラジはnoteではテキストとして、Spotify、Apple Podcast、Youtubeでは音声でお楽しみいただけます。
Ten
「ひとりひとりが過ごしやすい社会をともにつくる」をミッションに活動する、Ledesoneのショートラジオ番組『レデラジ』、モデレーターのTenです。
今回も前回に引き続き、カラフルバードを主宰しているp&pさんにお越しいただいております。p&pさん、よろしくお願いします。
p&p
よろしくお願いいたします。LDの子どものためのサイト「カラフルバード」を主宰しております。「多様な学びを探しに行こう」ということで、さまざまな学び方の違いのある子どもたちにとっていい学びがあるように、学びのスタートに立てるようにというサイトをやっております。
LDとは何か?医療的定義と教育的定義について
Ten
よろしくお願いします。これまで2回に渡って、LDの子どもたちのためのさまざまな情報を集めて提供するサイト「カラフルバード」の取り組みや、立ち上げ背景についてお聞きしてきました。Ledesoneでも現在、18歳以上のLDに関する取り組みとして「おとなLDラボ」を立ち上げて進めています。
今回はp&pさんとともにLDに関する取り組みで、今、社会に求めていることや、どういった課題に向き合っていくべきなのかについて、お話をしていきたいと思います。
その前に、改めてLDってそもそも何なのかをお伝えすると、LDは日本では発達障害の一つで学習障害や限局性学習症と呼ばれています。主に読みの困りごとがある「読字障害」、書きの困りごとがある「書字障害」、僕はこの書字障害なんですけど、あと計算とか算数の困りごとがある「算数障害」の主に3つの特性がある障害になります。
LDは、子どもとか教育支援などの部分で注目されてきたり、あと大人でもLDに関する課題を持っている人が結構いるので、Ledesoneも今、取り組みを進めています。
ということで、今からLDに関してお話ししていければなと思います。
LDの定義には医療的定義と教育的定義の2つがあるというのを聞いたことがあるんですが、どのような違いがあるんですか?
p&p
医療的な方は読み・書き・計算で、特に診断に至る場合は「2年分の遅れがあること」みたいな感じで、結構ストイックな内容になってるかと思うんですけど、教育的定義の方では、「読み・書き・計算・推論・聞く・話す」というように、もうちょっと範囲が広くなってくるのと、「2年分の遅れ」とかそこまで厳密ではなく、支援が必要であればLDとなってるのかなと思いますが、Tenさんの方からも補足していただけたら。
参考:一般社団法人日本LD学会 LD等の用語解説
Ten
なるほどですね。教育的に必要だから診断がつくみたいな感じになるんですか?教育的定義の場合だと。
p&p
教育的定義の場合では、別に診断をするわけではないとは思いますね。今の合理的配慮も診断がなくても支援・配慮するべきと言われてると思うので…。医者しか診断できないものなので、教育側で診断をすることはないと思いますね。
Ten
ありがとうございます。前にp&pさんがXで紹介されていた「LDの「定義」を再考する」っていう本を読んだんです。それを読んだら、LDは最初から医療分野に入って来たのではなく、最初は教育的な部分から日本に入ったという話でした。
p&p
上野 一彦先生は日本でLDを広めた最初の人物だと思うんですが、上野先生たちの考え方は割とイギリスの定義の方から入っています。イギリスでは結構幅広く傘の中に入れる感じで、極端な話、知的障害の中の1種のような感じでLDが入ってくる感じになってるので、日本に入ってきた時も最初のほうは、知的障害の軽度の人達もLDの中に入っていた。知的障害もLDに含む感じになっていた時代が、始まりとしてあると思います。
学習に困難があるくらいの定義で入ってくるので、その辺が、医療的な方は知的な遅れがないかも(判断の材料の一つとして)あると思うので、そこの違いもあるのかなとは思います。
ただ、そこで日本の場合、福祉制度の切り替えも…知的障害がある場合とない場合、手帳が取れる取れないとかでも、支援体制もだいぶ変わってくると思うので、そこでの区切りがあった方がいい場合と、そうでもない場合とがあるのかなと思いますね。
Ten
最初は軽度の知的障害の部分とかも入っていたっていうことですか?
p&p
学習に困難があるっていう感じですよね。どちらかというと。で、それを分けていった時に、知的障害の学習困難と知的な遅れがない学習困難があるって感じなのかなって私の中では考えています。初めて聞いた時、「知的障害の1種に入ってしまうんだ。イギリスだと」って、びっくりしたことがありますね。
Ten
そこからどんどん変わっていって、今の定義に至っていくんですね。
p&p
そうですね。あと教育現場って今、変な話で、逆に医療的診断があった方がいいってこと言われてしまいがちなんです。本来そうではなかったはずなのにってところが、ちょっと矛盾してるなと思いながら。
だからDSM-Ⅴなどのその時の医療的診断だけでいくと、最終的にはやっぱり、言い方は変ですけども、軽度のLDの子達は救われないまま、療育もないまま、たぶん中学校とかでつまずいて不登校になってくようなパターンになりがちだと思います。
医療的に診断ないから支援しなくていいよって言われてしまうと、その後、読み書きが苦手なせいで学習に到達できなくなってくるし、抽象的思考もできなくなると、中学校の勉強にはついていけなくなる状態になってしまう。
本来の思考力とは別問題のはずなのに、読み書きのせいでアウトプットができなくて、勉強ができないと思われてしまう。二次障害、三次障害につながってしまうと思うので、そこの部分で医療的判断だけですすめられていくと、やっぱり不登校なり、不安症とかの二次障害なり、他のところが出てきてしまうんじゃないかなって思いますね。なので、教育側での理解と支援がある方がいいかなと思います。
Ten
僕もLDの当事者として、小中高までは親の訴えかけとかもあったりして、結構配慮してもらえるところは配慮してもらえたりしてたんですが、教育以外の部分で配慮してもらえるかとなると、例えば就職活動とかになった時に、なかなかそこが理解してもらえなかったりとか。
また、福祉の制度とかが使えなかったり…以前びっくりしたのが、LDだけだと障害年金とかは申請できないとか、言われることがあって。「何で他のASDとかADHDはできるのに、LDだけはできないんだ」みたいになってしまうことがありました。
p&p
ありますよね。手帳を取得するにしても、ASDや不安症とかは日常生活に課題があるからと言われて。でも、LDによって起こる日常的課題の評価は低いっていうか、その評価点がなさ過ぎるのかなって気がしますよね。
今の手帳システムに合わせてしまうと、どうしてもはみ出さざるを得ないのかもしれないです。二次障害部分のところをどう捉えられるかなんでしょうけども、二次障害になりたくないですからね、その前に。とは思うんですけどね(笑)
ーICTだけですべて解決ではない 学校や先生のマインドの変化が大切
Ten
僕は最近、福祉の方もすごい大事ではあるけど、福祉よりももっと何か別の方の形から入っていって、課題解決をしていく方がいいのかなってちょっと思っています。大人のLDのほうに関しては、そんな感じで最近思ってきているんですけど、子どものLDの方の部分に関しては、どういうふうに考えていますか?
p&p
読み書き計算ができないだけと捉えていくと、学校の勉強の仕方とかも含めて、学校側の環境が変わったり、学校の先生側のマインドが変わったら学びやすいとか過ごしやすくなる子はかなりいると思います。もちろん療育とか、その辺もありつつですけど、ICTの時代になってきてる中、かつ社会に出てから今はICTの方が使うのベーシックになってる今、学校側でも社会モデルの障害っていう部分が大きいかなという気はしますね。
学校側のマインドと環境が変わるだけで、7割ぐらい解決する子も出てくるのではないでしょうか。特に中学校以上はそんな気がしますよね。だからそこら辺のマインドを変える機会があればいいなと思いますよね。
Ten
確かにマインドを変えていくのもすごく大事ですよね。でも、マインドってどういうふうにしてたら変わっていくんですかね。
p&p
ほんとですよね。ICTが使えるだけで全て解決するわけじゃないんですけど、やっぱり学校の先生方がICTを学ぶなり、活用する機会に恵まれていないという課題もあり、逆にこちら側が配慮してあげる感じになるなって思う瞬間もあります。変な話、(先生に対して)「手書きでいいですよ」みたいな、「ICT使うの苦手なんですね」みたいになっちゃって…。
また、先生たちの中での教育観の中に「とにかく書いて覚えることがベストだ」みたいなところもある気がします。そういう成功体験の強い方が結局、先生になってるんでしょうから。
あと「入試に使うから」とか「大人になっても使えないと困るから」って言われるけど、今はもう、私の仕事の中でも手書きなんて98%は使わない生活してるけど、「書けないと困りますよ」って言われる。先生たちも心配されての結果なんでしょうけど。でも「そうじゃないよ」って思える経験が先生たちには少ないでしょうしね。
Ten
今の部分について、僕はコロナによって、だいぶその辺はやりやすくなったんじゃないかなと思っています。
p&p
そうですね。それはかなり違いますね。コロナとGIGAスクール構想で、うちはGIGAスクールの最初の年にちょうどギガ端末が来たので、うちの子どもは本当に救われたなっていうタイミングでした。これで1年ずれてたら、本当に不登校になってたりとかしてたんだろうなって感じがあるから、そういう意味ではいいタイミングで今、風は吹いてきてるのかなとは思いますね。
でも、まだまだ、まだまだまだまだですけどね(笑)
参考:文部科学省 GIGAスクール構想について
先生も子どももICTにもっと親しむことで学びの可能性が広がる
Ten
逆にこういうICTの整備であったりとか、仕組みであったりとか、こういう環境がもっとあればいいのになみたいな希望はありますか?
p&p
うちは幸い恵まれた環境のICT環境の自治体だったのですが、他の自治体の人たちの話を聞くと、もっとお金をかけて完全にICTが使えるように、先生たちもなってほしいのはありますよね。
特にうちの今の学校だと先生たちが、授業はスライドでしてくれて、授業が終わった後にはスライドをロイロノートで配布してくれる感じなんですけど、それって結局先生たちの働き方改革にもなってるわけです。
中学の先生って教科担任制じゃないですか。そうすると毎回同じ授業をするのにスライドが毎回使える。しかもブラッシュアップできて、いい先生たちのノートのスライドでやれるっていうのがあるはずなんですけど、いかんせん、スライドを作るのが苦手な先生方からすれば、面倒くさいって思うでしょうし。
でも、もちろんそれだけじゃないですよ。ハイブリッドに書き出したりもするんですけど、なおさらハイブリッドでできるってのはいいだろうなと思うし、そこに学力がついていかないって思い込んでいる先生たちもいるでしょうし…。その辺が、うーん、わかんないですね。
ちょっと話が飛びますけど、今、アクティブラーニングってすごい流行っていますよね。でも、結局は最初にちゃんと明示的に物事を教えてくれる機会がないとアクティブラーニングにつながらないはずなのに、しゃべってワイワイやって、意見が言える子だけで話が終わる授業とかも多い。その中でやっぱり(ICTがあれば)スライドでちゃんと見ながら、聞きながら授業が受けられるっていうのは、いい選択肢の一つなのかなと思います。
そういった形で学校側も少しずつ、授業展開とかも含めて変わっていくと、結局子どもたちも学びやすくなる。別にLDの子じゃなくても、学びやすい子が出るんじゃないのかなと思うので、そういったところも期待したいですね。
「板書の書き方はこうだ」とか、先生たちやってるけど、板書の書き方じゃなくて…みたいな(笑)、スライドの作り方とか、でもスライドも足し算、引き算があるでしょうから、その辺とかも変わっていくのかなと思いますけど…。
Ten
そこはめちゃくちゃ同意します。以前、短期大学で遠隔授業のサポートをする仕事をしてたことがあるんですが、先生方の遠隔授業の進め方に、あまりにも差がありすぎておどろきました。
Teamsでやってたんですけど、Teamsの機能をバリバリ使ってやってる先生方もいれば、もうすごい文書びっしり書いた、パワポに文字びっしりにして、ずっとそれをクリックしてしゃべってるだけみたいな感じの方もいらっしゃって。
先生の教え方みたいなのも何かどんどん変えていくべきですよね。その時代に応じて。
p&p
だと思いますね。その辺も含めてちゃんと研修をやってもらわないと。今後も変わらないまま押しつぶされていってしまう。単純にタスクが増えてると思ってしまっている先生方もいると思うので、その辺が変わるといいですね。
Ten
あと、子どもの方もタブレットとかを渡されても、うまく使いこなせない子どもも結構出たりするじゃないですか。Youtube見たり、ゲームしたりとかして終わるみたいな。どうやったらもっと有効活用できるのかという部分も、しっかり子どもに教えていくことで、それがちゃんと大人になった時に活かされたりもするのかなと、聞いていて思いました。
p&p
うちの子が学校でギガ端末でノートテイクをする時に、クラスの先生が誰でもやっていいよ、使っていいよってやってくれてたんですよ。最初のうちはみんな「わーい!僕も使う」、「私も使う〜!」ってやっていたんです。
でもみんな気づくんですよ。LDじゃないというか、読み書きめんどくさくない子にとっては、手書きで書いた方が断然速い。最終的には、40人クラス中タブレットでノートをとっているのは4人くらいにおさまったんですよね。結果「そうだよな」っていうのに気付くまでに、やっぱり一度は「みんな使っていいよ期」が必要で。
かつ、その時にちゃんと「端末は学習に使うものだよ」っていうのを、学校側は伝えておけば良いんだなっていうのも思いました。もちろんそれで抜け駆けしてYoutubeを見るみたいな子も発生することはするんだけども。でも最初の位置づけのそういうリテラシーとかを、もっとちゃんと学校側が低学年からきちんとやる。まず自由をちゃんと得て、権利を得ていく感じは、それこそ教育のできるところなのかなと思うので、その辺はしっかりやってもらいたいなと思いますね。
でもそのおかげで「ずるい」っていう子はいないし、むしろ使いこなす方こそ小学生のうちは、ある意味スキルがある方になる。
Ten
その時に自分がやりやすい形を選択してしていけるということですよね。
p&p
そうですね。特に高学年になると、みんなちゃんと好きな状態でノートを取ることができるようになるのかなと思いますね。
Ten
ありがとうございます。今回は、p&pさんと一緒にLDに関して、教育の部分であったりとか、社会に求められている部分であったりとか、そういったお話をしていきました。今回はありがとうございました。全3回にわたってp&pさんにお話をしていただきました。
ありがとうございました。
p&p
ありがとうございました。なかなかちょっとつたないお話になりましたが、今後ともよろしくお願いします。ありがとうございました。
Ten
今回もレデラジをお聞きいただきありがとうございます。
レデラジでは感想やご意見の他に「こんなトピックを取り上げてほしい!」などのコメントも大募集しています。
次回のレデラジもお楽しみに!
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フリーBGM・音楽素材MusMus