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慈しむ心

こんにちは♪
レコールドムジークの講師です(*^^)☕🍰

今回の記事は「慈しむ」という言葉についてです。

「慈しむ」という言葉の深い意味とその語源

「慈しむ」という言葉には、私たちの心に優しく響く温かさと、愛情が込められているように感じます。

この言葉の語源を探ると、日本語の「慈(いつくし)」に由来し、「思いやり」や「愛情」といった意味を持っている、とのこと。
この「慈」は仏教の教えにも含まれる言葉であり、特に「慈悲」という形で用いられ、全ての生命を尊び、あらゆる存在に対して愛情をもって接することを意味しています。(※私は無宗教ですが)
つまり「慈しむ」という心は、相手が自分より弱い存在かどうかには依存せず、自然や、身の回りの仲間、さらには自分自身にまで向けられるものだということがわかります。

また、古典文学や歴史的な文献でも「慈しむ」心は繰り返し描かれており、それは弱さに対する保護というより、広く生命や存在全体を尊び、温かく思いやる「心の表現」として用いられてきました。

現代でも、「慈しむ」は友愛やパートナーシップの中で、互いを大切にし、共に成長を喜ぶ気持ちとして使われています。こうして私たちは、「慈しむ」という言葉を通して、相手を思いやり尊重する心を日々の中で育んでいるのです。

「慈しむ」という言葉の持つ温かさ

私は「慈しむ」という言葉から、温かく、愛情に満ちた眼差しをイメージします。親が子を見守るような無償の愛がそこにあり、心をほっとさせてくれる、そんな美しい意味が込められていると思っております。

日常に感じる「慈しむ」瞬間

日々の生活の中で、私は「慈しむ」心をさまざまな場面で感じます。生徒様の成長や上達、パートナーとの信頼関係、さらには自分自身の成長に対しても、その喜びが湧き上がるときに自然と「慈しむ」気持ちが生まれます。
それは、身体や技術の進歩だけでなく、心の成熟も含まれています。また、本や楽譜、お気に入りの食器など、物に対しても、丁寧に扱う心の在り方が、慈しむ気持ちの表れだと感じています。音楽を美しいと感じる瞬間にも、心からの慈しみがあるように思います。

心の成長

慈しむ心を持つことで、私自身の心も共に成長しているのを感じます。成長を喜ぶのは、心に余裕があるからこそ得られる喜びであり、その喜びがあるからこそ、また慈しみが生まれます。

慈しむ心を伝える

「慈しむ」を人に伝えるとしたら、私はハグや優しい眼差し、手を差し伸べる行為、感謝の言葉、そして特別な贈り物が思い浮かびます。

また、雛人形を飾りながら子どもの成長を祝う行事など、慈しみの心はさまざまな形で表現されると感じています。

というのも幼い頃、祖父母から贈られた雛人形に、歌が書かれた置物が添えられていて、そこには「なんちゃらこんちゃら(前半部分を忘れました笑)慈しみ」と書かれてあり、初めて「慈しむ」という言葉と出会いました。
すみません、慈しみ以外の部分を覚えていなくて(笑)
子供の成長を見守り、喜ぶ気持ちのことを言っているのかなあと、幼いながらも考えていたことを思い出します🌸

成長し、巣立つ姿を見守る喜び

慈しむ心は、ただ成長を喜ぶだけでなく、やがてその成長が自立や新たな道へと向かうことも見守ります。子どもや生徒様が、やがて自分の力で歩き始め、役目を果たして新しい世界へと飛び立っていく姿は、親や指導者にとって感慨深くもあります。これは単なる別れではなく、慈しむ心があってこそ生まれる喜びの瞬間です。
今後も、「慈しむ」という心を通して、相手が新たな一歩を踏み出す瞬間を喜び、静かに応援したいと思います💐(*^^*)


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