あたらしい年が来た
2018年が終わってから、はや数日。
1年ってどうしてこんなにあっという間なんだろう。
終わってみると、これまで仲良くしていた2018という文字列が、一瞬で昔のものみたいに見えてくる。
2018年はとにかく色々大きな出来事があった年で、結婚を決めて、転職を決めて、大事な家族に大きな災難があって。でも、そのほとんどを、これまで、ここでは書いてこなかった。
noteは、見れば見るほど「誰が書いているか」が明確な場所に思えて、そんな中で特に認知されていないわたしが、パーソナルで具体的なことを書いてどうするのだろう、と思ったから。
その感覚は、毎年振り返りを書いている「はてな」にはなくて、同じインターネットでも体感差があるのは、なんだかおもしろくて。でも、はてなとここでは書きたいことが少しずつ違って。
そこでやっと、まあいいのか、無理しなくて、と思えた。
読んでもらっている顔が違うように感じられるのだから、友達に呼びかけるように、相手によって言いたいことが変わってもいいんだよね、たぶん。
なので、上の3つの出来事のほかに、2018年は、個人的にとても大事な年になったよ、ということを書くことにする。
17歳以来、10年ぶりに、小説を書き始めた。
最初は、言葉にするとおこがましいけれど、怒りが動機だった。仕事で小説に関わるようになって、「最先端の現場はもっと美しい文であふれていると思っていたのに」と悔しくなった。だけど、そう思うだけなら、誰でもできる。だから、自分で書いてみようと思ったのだ。
もし、書いてみて、プロの目に止まるのならば、わたしの感覚は間違ってはいないと言えるだろうし、箸にも棒にもかからないのならば、完全な驕りだということだ。怒りを手放すために、怒りをガソリンにして始めたことだった。
1月、最初の作品を書き終わると、あまりの楽しさに、怒りはもうどこかへと飛んでいってしまった。そこでやっと、ままならなさと自由さのバランスが心の中で取れて、わたしは100%で「小説」という商品と向き合えるようになった。
その時にはもう、最初のモチベーションはどうでもよくなっていたのだけれど、あまりにも楽しかったから、2月3月4月5月と、毎月締め切りが来る順に、いろんなジャンルを書いていった。自分に何が向いているのかも分からなかったから、それは巨大な実験でもあって、うまくいかないことも含めて楽しかった。6月には映画の企画にも挑戦してみたりした。
私用のパソコンを会社にも持っていって、昼休みと、終業後にカフェで書く日々。荷物が重いだとかカフェ代がかかるだとか、そういうことは全く気にならなかった。食べるだけでも時間がもったいないのに、料理するとさらに時間がかかるのをカットしたくて、2018年はなんと、1度も料理をしなかった。
自慢できないかもしれないけど、それだけ本当に、やりたいことをやっていた。
そうなって、ああきっと、これが別になんの足しにもならなくても続けるな、と気づいた。誰に認められなくても、勝手に書き続けるなって。
そうしたら、それなら仕事になるといいな、と思い始めた。
効率厨、あらわる。
2019年は、30歳になる年なのだけれど、まずはそこまでをめがけて、今年もいっぱい書きたいな、と思う。何かひとつ結果を出すことを目標に、そこだけは面倒がらずに、楽しく続けたい。
noteにいるたくさんの何かを書いたり作っている人たちに敬意を込めて。
読んでくださってありがとうございます!あまくておいしいものか、すてきな本を探しにゆきます。