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【短編】定食屋の片隅にて

「『障害のある子供を置き去り』ねえ…」
君はニュース画面を見ながら呟いた。昼過ぎの定食屋は人影もまばらで、君の呟きは未だに中空を彷徨っている。
「…ひどいと思う?」
君は僕の問いに「わかんね」と答えた後、窓の外を見た。
「命って、平等なのかな」
「…どうなんだろう」
僕もつられて窓の外を見る。行き交う人たちは早足で、誰もこちらを見ることはない。

「俺さ、置き去りにしたことあるんだ」
え、と訊き返した僕を見ず、君は続ける。
「13年前、震災のとき。俺は、近所の元さんを置き去りにした。周りに助けを求めても誰も来てくれなくて。元さんは、俺の少し後ろで波に飲まれて、死んだ」
定食屋の主人がちらりとこちらを見て、目を逸らした。僕は君を見つめて、言った。
「それは、君のせいじゃ…」
「俺のせいだよ」
君は僕の言葉を遮って言う。ようやくその視線は僕を捉えた。深く、暗い、海の底のような瞳。
「今でも、元さんの顔が思い浮かぶ。悔しそうで、悲しそうで。それなのに口じゃ『先に行け』なんて叫んで…」
テレビはバラエティーに切り替わっている。揚げ物をする音が店内に響く。
「あのとき、誰かが来てくれたら。俺がもっとたくましかったら。そう思わない日なんてない。あの親だって一緒だよ。誰かが助けてくれたなら。もっといい親だったなら。そうやって自分を責めるんだ、ずっと」
「でも、そこにいたら君は死んでいた」
「そうだよ。それはあの親も一緒だよ。あのままでいたら、体も心も壊れていたかもしれない。何も悪いことなんて、してねえのに。それまでは確かに子供を愛し、育てていたはずなのに」

定食屋の主人がこちらに来る。手には頼んでいない唐揚げの皿。
「これ、やるよ」
僕たちは顔を見合わせてから、どうも、と言った。
「…命はな、平等じゃねえんだ」
主人は唐揚げを見つめたまま言う。
「俺の母親は空襲で死んだ。幼い俺を庇って、赤の他人に託してな」
僕たちははっとして、彼を見た。
「平等だったなら、苦しむだけの誰かなんかいるはずねえ。悲しむだけの誰かなんかいねえはずなんだ」
彼の手は、小さく震えている。
「だから、お前らも忘れるな。その元って人のことも、ニュースに出ている母親のことも、その子供のことも」
「…はい」
「生きろ。変なことばかりで、信用ならない世の中を生きろ。平等じゃねえ、畜生ふざけんなって声を上げながら。そうして」
主人は振り返った。その背は小刻みに震え、声に涙がにじむ。
「『間違えることしか選べなかった』人のことを、受け止められる人間になれ」
自分のこともな。そう言って彼は、店の奥に消えた。

僕らは、いただきますと言ってから、唐揚げを食べ始めた。
どうしようもない決断で、罪を背負う人間がいる。
一方で、私欲のために罪を犯し、平然としている人間もいる。
世界に平等なんてない。
僕たちは生きていく。あの母親も、定食屋の主人も、同じように。
失った命は戻らなくても。罪の意識は消えなくても。綺麗事だとしても。
生きよう。
命を喰らいながら、僕らはそう心に決めた。


あとがき
珍しく時事ネタを使った。以前に起きた事件である。事件の全容は明らかになっていないが、自分の気持ちをどうにか昇華させたかった。公開まで時間を要したのは、僕の中でずっと葛藤があったからだ。
異論はあると思う。一件の刑事事件と災害や戦争を混同するな、といったような。ただ、僕の中ではどれも『命の話』なのだ。ご理解いただきたい。
なお、東日本大震災からの経過年月が「13年」となっているが、これはモデルにした事件の発生日と合わせている。今年の3月11日で14年となる。あれから14年経ったと思うと、時の流れの偉大さと、残酷さを感じる。それについてはまた書く。

ここ数日は、命について考えることが多い。ニュースきっかけでもあるし、個人的な事情によるものでもある。
消えた命のことも、続く命のことも、大切に思えたら。
そんな綺麗事しか言えない自分じゃ、どうにもならないのはわかっている。
それでも、この歩みを止めずにいたい。
どうか、この小説が皆さんにとって、何かのきっかけになってくれたなら嬉しいです。
そして、一言だけ。
一緒に生きていこうね。

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ナル
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