見出し画像

これから、ここに【うたすと2】

一限は出席しないつもりで、僕は図書館に来た。
近隣の大学で最も蔵書の量が多いとされるここには、ひとつだけ不思議な噂がある。
『真っ白な本を開いたとき、最大の選択を迫られる』
今日僕は、その本を探しに来た。

民俗学の棚を一通り見たあたりで、甘い匂いのする冷たい風が頬に触れるのを感じた。
その風を辿っていくと、どうやら社会心理学の棚から吹いてきたようだ。正面に立ったとき、気配のようなものを感じた。本棚の一番下、その本はあった。
真っ白い表紙、まるで新品のようなその本。これが、噂の本だろうか。震える手で、僕はその本を開いた。

僕の目の前を、言葉たちが流れていく。
いや、流れているのは言葉ではなく僕のようだ。文字は水のように僕を運んでいく。それは古典文学のタイトルであったり、経済学の専門用語であったりした。
一度空が強く光った。空と呼んでいいかわからないそれは、膨大な量の計算式で構築されていた。もう一度光る。
言葉がぱらぱらと降ってきた。
それは在原業平ありわらのなりひらの和歌であった。或いは高杉晋作の都都逸どどいつであった。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの演説であった。ポツダム宣言であった。ワイマール憲法であった。
膨大な量の言葉が降り注ぐその光景を、僕は美しいと思った。

再びの稲光。
砕けた空気はABC理論となった。或いはフェルマーの最終定理になることもあった。稲光の度に、言葉となった世界は姿を変えた。
ハンムラビ法典は青い炎を纏い、黒岩涙香くろいわるいこう萬朝報よろずちょうほうは翼を宿した。『源氏物語』は稲妻に焼かれ、『出雲国風土記いずものくにふどき』はひょうとなった。『先代旧事本紀せんだいくじほんぎ』が白い雪となって降り積もり、世界が静寂に包まれた。

川のようであった言葉の流れが止まり、稲光は途絶えた。
言葉たちは雪になって、降り積もっていく。
言葉の雪原。僕はそこに取り残された。



ふと気付くと、目の前に一冊の本があった。
図書館で開いた、あの真っ白な本だった。
再びそれを開いた。そこには僕の名前。どくん、どくんと脈を打つそれに僕は、触れた。
一際強い稲光と、優しい声。

「あなたは選ぶことになります。これからここに綴られる言葉を」

また冷たい風が吹いた。


そこは、大学の図書館だった。
心臓は未だに高鳴っている。呼吸も荒い。
僕が、ここに綴られる言葉を選ぶ。
その言葉の意味を噛み締めながら、僕は講義に向かった。

あの真っ白い本は、今日も誰かを待っている。

了(1042字)


#うたすと2
こちらに参加させていただきます。


あとがき
この作品は、この曲を元に書きました。

かっこいい。すごく好き。
実は、うたすと2参加で僕が一番最初に書いた『惑星開発』で雷と風の描写がありまして…。
その作品へのコメントで、大橋ちよさんからこの曲の存在を教えていただいたときは、偶然の一致にびっくりするとともに、こう思った。

「いっけね、やっちまった」


そう、やらかしたのだ。
一回使った以上、同じ描写は僕のプライドが許さない。つまり、違う描写にすることが要求される。
いやあ…大変だった。
今作は正直に言えば、ものすごく心配。思い描いたものを言語化できていない気がする。
頑張ったので、読んでくれたなら幸いです。

いただいたサポートは、通院費と岩手紹介記事のための費用に使わせていただきます。すごく、すごーくありがたいです。よろしくお願いします。