【短編】牛蒡
馴染みの青果店に『閉店』の張り紙を見つけて、私はため息をついた。そういえば最近はあんまり来ていなかったな、と自分の行動を反省し、来た道を引き返した。
アーケードの上の空は雨模様で、商店街の人影はまばら。流行のアイドルソングが何処かの店のラジオから聞こえてくる。
商店街の入り口に、青果店のおじさんが立ち尽くしているのが見えた。私は声をかけようとしたが、おじさんの様子がおかしいことに気付いてやめた。
おじさんの目は、商店街にいる誰のことも見ていなかった。濁ったその目はまばたき一つせず、ぼんやりと開かれているだけだった。
手に持っているのは、牛蒡だった。刀のように数本の牛蒡を握り締めて、おじさんは立っていた。
自転車がおじさんの真横を通り過ぎる。その瞬間、おじさんは牛蒡を振り上げ、自転車の男性を殴打した。
そう見えたのは私だけだったのか、自転車はそのまま、何事もなかったように通過して行った。かごには最近できた大型スーパーのレジ袋。
おじさんは先ほどまでと打って変わって、血走った目を見開いて、牛蒡を振り上げている。
行き交う人の何人かを無視して、おじさんは武者のように牛蒡を大上段で構えている。
男性が大型スーパーの袋をぶら下げ、おじさんの横を通り過ぎていこうとする。おじさんは、その男性に牛蒡を振り下ろした。男性は気にする様子すら見せず、駐車場の青いスポーツカーに乗り込んだ。
そのとき、救急車のサイレンが鳴った。
「頑張った自分を労って来い」とおじさんが温泉旅行を手配してくれていたと、おばさんは涙ながらに言った。一緒に行こうと言っても「俺にはやることがあるんだ」と頑なにそれを拒んだらしい。
帰宅したおばさんが見たのは、店の中央で横たわっているおじさんだった。喉を一突き。現場からは遺書が見つかり、自殺と判断された。
おじさんの遺体は、牛蒡を握り締めていたという。
近隣にできた大型スーパーとその利用客への恨み言が何枚にもわたって綴られていたことがニュースで紹介されると、その話題性も相まって連日にわたって狂気的に報道された。
私はテレビをぼんやりと見ていた。おじさんに悪いことをしてしまったと思うと同時に、あの日見た彼は幽霊だったのだろうか、と恐怖を感じていた。
台所でタイマーが鳴る。おばさんが葬儀のあと譲ってくれた野菜で煮物を作ったのだ。私は立ち上がり、台所へと向かった。
テレビは次のニュースへと移った。
自転車に乗った男性が、青いスポーツカーにはねられ即死したというニュース。青いスポーツカーは逃走したものの、警察に追跡されている最中に事故を起こし運転手は死亡したということを、ニュースキャスターが淡々と伝えていた。
了
あとがき
見出しの画像は牛蒡の花だ。
僕はこの花の花言葉が好きだ。作品にぴったりだと思う。
「いじめないで」「用心・警戒」
作品に牛蒡を出したのは、こういうわけである。彼の心中はどうなっていたのか。答えを知ることはもう叶わない。それだけだ。