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思うこと。
さて、今日は思考メモはお休み。
少し真面目に書いてみよう。先に言っておくが、誰かに宛てたつもりはない。ただ、もし誰かの心に届くのならば、それは嬉しい。
なお、当面の間この記事は固定する。好きなようにコメントしてくれて構わない。生きることの苦しさでも、ちょっとした愚痴でも書き込んでほしい。僕はそこまで反応は早くないが、全部聞く。受け止める。上手く力になれるかはわからないが、まあ気が向いたら書いてくれ。
なお、見出しは我が推し・山本巳未さまのイラストです!!
渾身のエッセイのときはお借りしてます。
生きるのは、苦しい。
「死にたい」という意味ではない。僕はそれとお別れする決意を固めたし、それとは違う話だ。
生きるということは、何かしら苦しみが付きまとう。
先日までの僕のように(まだ闘いの最中ではあるが)「死にたい」と思うようなこともあれば、「生きていたい」「前を向きたい」と思うからこその苦しみもある。
だから、生きることはつらいのだ。
ただ、これは言っておこう。
あなたが生きていたいと思うこと、変わりたいと思うこと、諦めたくないと思うこと。それらに付きまとうつらさは、とても苦しいと思う。
歩くことを少し休んでもいい。
愚痴や不満を話してもいい。
八つ当たりは…僕相手に限り許す(僕の方がメンタルが弱いかもしれないので、やさしめにお願いしたい)。
苦しいと思えるほど、生きることに誠実なあなたは素晴らしいんだよ。
真面目に自分に向き合っているあなたは、すごいんだよ。
不完全でもいいんだ。僕らは人間だから。
あなたが思っているよりずっと、あなたは誠実で、素敵だよ。
立ち止まることは、何も悪くない。
不平や不満はね、いつか立ち上がる力になるよ。
少し遠回りした僕らの旅路でしか見えないものは、絶対にある。
僕はようやく、少しだけそう信じられるようになった。
だからどうか、生きることを投げ出さないで。
僕は「みんなつらいんだから」と言う人間があまり好きではない。
それは事実であるにしても、だ。
みんながつらければ、つらいと言ってはいけないのか?
みんながつらければ、我慢しなければいけないのか?
違う。断じて、違う。
あなたの心身のつらさを誰かが代わってあげられない以上、あなたのつらさを「つらい」と声にすることは、間違っていないんだ。
ただ、僕の場合はその伝え方を間違えた。僕がしたのは「伝える」ではなく「押し付ける」だった。それを、後悔している。
だから僕は、これを書いた。
傷つけた友達のため、あるいは知らない誰かのため。
少なくとも今が苦しい誰かのためになれるんなら、僕は喜んで言葉を綴る。
ここは、あなたのつらさを吐き出す場所にする。
生きづらさを吐露できる場所にする。
僕はカウンセラーではない。
精神科の専門医でもない。
だから、適切なアドバイスはできないだろう。
上手く支えられないだろう。
それでも言おう。
ここを、つらさを吐き出せる場所にする。
僕は、僕として生きるきっかけを貰えた。
だから、それを誰かにしてあげたい。
自己満足だ。
エゴだ。
偽善だ。
何でもいい。
どう罵ってくれてもいい。
それでも、今が苦しい方々の力になりたい。
…とはいえ、僕の方が弱い可能性がある。
反応がゆっくりだったり、精神的支柱になれないことだけはご容赦ください。
…こう書いておいてさ、一件もコメントなかったら笑ってね?
ナル
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