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自作小説集

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長いものからショート作品まで、いろいろ書いてみます。怖い話って書いてても怖いよね。
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#恋愛小説

【短編】モノクロ

墓へと向かう上り坂の前で、僕は煙草を吸った。これが生涯で最期の煙草になるだろう。君は煙草が嫌いだった。 金髪の女性が僕の脇を走っていく。鮮やかな桃色の花のイヤリングが、真っ白なこの景色に不釣合いなほどに揺れている。僕は少しだけ見惚れていた。彼女は誰に会いに行くのだろうか。 煙草の火を消して、僕は坂を上り始めた。まだ急ぐほどではないが、時間は限られている。 墓所に着く前に、一度だけ後ろを振り返った。国連が発表したとおり、この世界はもうすぐ停止するのだろう。それをすんなりと受け

【短編】ハル

君の声に季節を添えるなら、それはきっと春だ。痛みも苦しみも密やかに遠くにやってしまうような、淡いそよ風。 毎年少しずつ咲くのが早くなる桜を見ながら、僕たちは歩いた。 僕らは、春がさよならの季節だと知っている。息をひとつ吸うたびに、歩みをひとつ進めるたびに、君が瞬きをひとつするたびに、君の心が離れていく瞬間は、少しずつ迫ってきている。 「卒業なんて、あっという間だったね」 君が見上げているのは桜だろうか。それとも、ぼんやりと浮かんだ月なのだろうか。君の見ている世界が、最後ま

【SS】暗闇にさよならを【シロクマ文芸部】

冬の夜に吸い込まれて消えてしまったのは、ブラスバンドの音だけだったのだろうか。僕の口から零れた「好きだった」という呟きも、この闇が飲み込んでいてくれることを願った。どうか、その心に触れる前に。 君は少しだけ首をかしげて、それから廊下に目をやった。馬鹿騒ぎする男子生徒たちの奇声。青春を強要する学校が、僕は大嫌いだった。 「過去の話なんだね」 目も合わせずに君は言った。長く伸びた髪が少しだけ揺れている。少しだけ笑いの混じった声に、僕は安堵する。 「仕方ないだろ」 静かにな

【短編】暗黒バイト

俺は昔から、女運が悪い。 初恋の人には二股をかけられたし、社会に出て初めて付き合ったのはマルチ商法の勧誘員だった。後悔はしてるが、みんな可愛かったのは認めざるを得ない。 それにしても、だ。 俺の正面には、後輩の莉奈がいる。いつもと変わらず悪戯っぽく笑っている。大好きなパンケーキを食べて、ご満悦の表情。 幸せな風景だろう。 ただひとつ、莉奈の左手に俺の心臓が握られていることを除けば。 「先輩、死神とか信じます?」 今日の昼、映画を観た帰りに莉奈は言った。 「うーん、場合によ

【SS】あの場所へ

「高瀬さんが来週転校することになりました」 それまで新作ゲームのことを考えていた僕の耳に届いたのは、あまりにも悲しい知らせだった。ちらりと高瀬さんを見ると、一瞬だけ目が合った。 高瀬さんを好きになったのは、去年の文化祭準備期間だった。 僕たちの中学は夏休みの直前に文化祭がある。 耳をつんざくほどの蝉時雨の中、模擬店の準備をしながら僕たちは毎日話をした。それまでただのクラスメイトだった彼女は、いつの間にか大切な人になっていた。 「高瀬さん」 ホームルームの後、僕は彼女を呼び

【短編】ハッピーエンド

曇天を見上げた君の睫毛に、今年初めての雪が触れた。体温で溶かされた白い結晶は僅かばかりの雫になり、君の頬を流れていった。 「…ごめんね」 呟くようにして君が言った謝罪が僕に向けられたものだと気付くまで、静寂が僕らの間を流れていった。 「謝るようなことじゃ、ないよ」 つらいのは間違いなく君の方だと言うべきなのに、僕の口は機能不全を起こしている。もし僕がAIだったなら、もっと上手く君に寄り添えたのだろうか。何を言えば、君の瞳は僕を映すのだろう。何を言えば、あの日々が戻って

【短編】アルストロメリア・Reverse

結婚することになったと、嘘をついた。 あなたをこれ以上、好きになってはいけないような気がしていたから。 「友達に、なりませんか?」 そう言ったあなたは、耳まで赤く染まっていた。私の耳で揺れるアルストロメリアを、ちらちらと見ていたのを覚えている。 スーツ姿、後ろでひとつに束ねた髪。透けるほど白い肌。哀しそうで綺麗な目。シャツの袖口からたまに見える自傷痕。 「いいですよ。友達になりましょ」 そう言った私の声は、震えてはいなかっただろうか。 私のアルバイトが終わるのを、あなたは

【短編】それは鮮やかなまま

若葉色のスカートが、風にそよいでいる。陽子さんは、鼻歌を歌いながら僕の数歩先を歩いていく。 数年前に来た盛岡とは、少しだけ変わった。陽子さんが好きだと言っていた、あの柳は伐採されていた。 「寂しいが、仕方ないね」 少し俯いた後、陽子さんは「私たちが暮らした場所へ行こう」と言って歩き出した。秋風が肌に冷たい。陽子さんが歌っていたのは、僕が好きだったバンドの曲。鮮やかな赤をまとった唇が、寂しげなハミングを続けている。 「どうして、最近はこのバンドを聴かないの?」 陽子さんは突然

【短編】アルストロメリア

花の首を折って、ごみ箱に捨てた。さっきまで命だった桃色のアルストロメリアは、一瞬で塵芥の仲間入りを果たした。 自傷のあとの手首を拭ったティッシュと、幾枚かの写真。 同じスーパーのレシートと、出しそびれた懸賞の葉書。 アルストロメリアの首と、君からの手紙。 ごみ箱は世界そのものだ。ごちゃごちゃとして、居心地の悪いこの世界は、私にとってごみ箱でしかなかった。そこに君からの手紙を混ぜてしまったことを、君の人生に私が関わったことを、少しだけ申し訳なく思う。でも、それもきっと伝えられな

【ショートストーリー】柴犬と珈琲

僕が初めて栞さんに会ったのは、通り雨から逃れるために入った喫茶店だった。 栞さんは座り込んで、柴犬の顔をむにむにと揉んでいた。僕のほうを振り返った栞さんは、化粧っ気のない一重まぶたをこすりながら 「君もゴンをむにむにするか?」 と訊いた。ショートカットの髪は黒く、毛先が青色に染められている。空色のブラウスにブラックデニム。爽やかそうな人だな、と思った。 「このお店の犬ですか?」 僕は栞さんの隣に立ち、ゴンと呼ばれた犬を見下ろす。くりくりとした目に、やや間の抜けた顔。「愛らしい