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【短編】モノクロ
墓へと向かう上り坂の前で、僕は煙草を吸った。これが生涯で最期の煙草になるだろう。君は煙草が嫌いだった。
金髪の女性が僕の脇を走っていく。鮮やかな桃色の花のイヤリングが、真っ白なこの景色に不釣合いなほどに揺れている。僕は少しだけ見惚れていた。彼女は誰に会いに行くのだろうか。
煙草の火を消して、僕は坂を上り始めた。まだ急ぐほどではないが、時間は限られている。
墓所に着く前に、一度だけ後ろを振り返った。国連が発表したとおり、この世界はもうすぐ停止するのだろう。それをすんなりと受け止められたのは、この世界にもう君がいないからだった。
君と――美青と出会った日のことを思い出しながら、僕は墓に積もった雪を払った。君の好きだったカフェオレとフィナンシェを供えて、僕は墓の前に座った。尻に雪の冷たさを感じたが、もうすぐ終わる世界なら、そんなことは瑣末なことだった。
同じウサギに餌をやろうとしたのが君だった。僕らはそれぞれ一人でその施設を訪れていて、なぜだか同じウサギに目をつけた。ウサギが餌を食む様子を見ながら、僕はぽつぽつと自分の話をした。仕事を失ったこと。恋人に捨てられたこと。カメラが趣味だということ。ビールが苦手だということ。
どうして君は、あんなに親身になって話を聞いてくれたのだろう。その日そのまま連絡先を交換し、五ヶ月の時を経て、僕らの恋は始まった。
君が交通事故でこの世を去ったのは、それから一年も経たない、夏の日のことだった。
君が棺おけの中で眠っていた姿を思い出した。僕にとって一番新しい君の姿。生きていた頃の君の記憶は、だんだんと薄れていく。
もう一度、あの頃の君に会いたい。
時間が停止する、なんてファンタジックなことが起きる世界だ。9月に雪の降るような世界だ。もう一度君に出会える奇跡があったっていい。死者が甦ったっていいじゃないか。
「美青!」
君の名を叫んだ。その声は真っ白な雪に吸い込まれ、反響することさえなかった。奇跡なんて二度と起きない。起きるはずもなかった。
美青に出会えたこと。それが僕の人生に訪れた、たったひとつの奇跡だった。そんなこと、わかっていたのに。
先ほどすれ違った女性を思った。彼女は会いたい人のもとに辿り着けただろうか。そうだといいな、そう思った。
もうすぐ世界が停止する。みんな、愛した人たちのそばにいるんだろうか。手を取り合って、抱き合って、キスをして。そういうことを思った。もう僕には二度と出来ないであろうことを思った。時が停止した先の永劫に、君はいないのだ。
出会えた奇跡を思った。
薄れていく君を想った。
肩の辺りで揺れる髪を思い出した。
振り返った笑顔。
映画を観て泣いた横顔。
ふくれ面をしたあとで、はにかんで見せた。
初めて重ねた手のあたたかさ。
桜の樹の下でした、約束。
なんだ、そばにいたじゃないか。
まだ僕の心には、こんなにも君がいたのか。
僕は左手を天に伸ばした。君とお揃いにするはずだった指輪が、鈍い陽光で輝いた。もう一度だけ名前を呼ぼうとしたけれど、もうそこに声は存在しなかった。
モノクロの景色の中で、僕にしか見えない君を永遠に見つめ続けた。
了
あとがき
『アルストロメリア』から始めたシリーズ。このシリーズは定期的に書きたくなる。
ちなみに、作中の『美青』は櫻坂46の的野美青さんよりお借りしました。
的野さん、かっこいいですね。最近、というかちょっと前から気になっている。これから推しまくるかもしれない。沼に落ちているのかもしれない。かっこいい…。やばい(語彙が死んでしまった)。
作品の解説は、もうしない。設定は既にご存知の通りだし、解説するところも特にない気もする。僕の思う美しさを詰め込んでみた。それだけである。楽しんでいただけたら、というか心に残るものになっていたら幸いである。
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