石の上にも三年と労働生産性、プロとは(世間話)
(「孫氏の兵法」側から少し気分転換で)
「新入社員の内の9割が1週間以内に退職した」事象に対し新入社員に対して投げ込まれた「石の上にも三年」のコメントに何か意味があるのか。を考えてみたいと思います。
近頃(2024年春)、とある企業では新入社員の内の9割が1週間以内に退職した等、言われています。
火の無いところに煙は立たぬで、新入社員側から見た場合、契約違反と思われることも多々あったように言われています。
ちなみに、厚生労働省の一般職業紹介状況では
「令和6年3月の有効求人倍率は1.28倍で、前月に比べて0.02ポイント上昇。
令和6年3月の新規求人倍率は2.38倍で、前月に比べて0.12ポイント上昇。」
となっています。
日本中の人手不足の関係で辞めても次の仕事が見つけやすいのも退職を後押しした理由でしょう。
これらの報道に対するコメントに「石の上にも3年」の文言が入ったコメントを入れている人もいますが、そもそも「石の上にも3年」の意味は何なのでしょう。
ネットで探ると「『石の上にも三年』とは、つらくてもがまん強く耐えていれば、いつかは必ず。成功するという意味です。
さらに、『石の上にも三年』は『たとえ冷たい石の上でも、三年間も座り続ければ暖かくなってくる』ことを表しています。
そこから転じて『成功を願うなら一定の忍耐や辛抱が大切だ』『はじめはうまくいかなくても、しばらく我慢する覚悟を持て』
という意味の格言や教訓としても使用されます。」https://dime.jp/genre/1139634/
と書かれていました。
となると、今回の事象は、やめた新入社員に対して「石の上にも3年」とコメントするよりも、そもそもの契約時に提示した条件に対して飯場言葉の「桁落ち」が発生していると思しき当該企業に対して「最初が肝心」というコメントを投げかける方が正しいようです。実は、「最初が肝心」と考えて当該企業は行動したのだが…というブラックな話しが落ちかもしれませんが(笑)。
さて、話は戻って「石の上にも3年」ですが「つらくてもがまん強く耐えていれば、いつかは必ず成功する」のでしょうか。
江戸時代と違い(江戸時代もそうだったかもしれませんが)、起業して3年以内に80%程度の事業がつぶれ、その残った事業でも10年持つのは1割と聞いています。10年後には、起業100社の内の2社が残る程度ですね。借りるなり自己資金で起業した人たちが何の努力もしていないとは思えないので「つらくてもがまん強く耐えていれば、いつかは必ず成功する」は事実ではなさそうですね。
となると、単に「つらくてもがまん強く耐えて」石を温めているだけでは、『いつまでも成功しない』と言って良いようですね。
となると「石の上にも3年」は単なる労働強化や奴隷労働を隠蔽するための使い手側の方便なのか。今回の事象で言えば当該企業側の契約違反を是とする倫理道徳観を支援する言葉なのか。なんちゅうひどい話だ。こんな根性論だけの科学的根拠もない言葉で従業者を押さえつけるとは非道にもほどがある。こんなことわざ、放送禁止用語にしてしまえ。と暴走してしまう人が出そうですが(笑)。
「石の上にも3年」は何を意味しているのでしょうか。少し深堀りしてみます。
まず、メインのキーワードは場所を示す「石の上」ではなく、期間を示す「3年」ですね。期間の「3年」は、そのものずばりの「3年」ではなく、長い期間という事だそうですが、「3年」というのは経営計画期間としても「2年」計画でもなく「4年」計画でもなく「3年」計画が良く使われるように、感覚的にも「序破急」や「三段論法」等、3は日常的に扱いやすい序数のようなので、長い期間という意味ではなく、少しこの「3年」にこだわって展開していきたいと思います。
さて、初めての仕事に就くと、知らないことが怒涛の様に発生してきます。また、企業や組織には1年の間を分、時、日、週、月、半期、年等の区切りがあり、この区切り単位にルーチンがあり、この区切り単位で評価され、これに加え、仕事によっては四季の流れに従って行う仕事が変わってきたりもします。なので就労1年目は覚えることがいっぱいで、多くの新人は時間の流れと仕事の対応を関連付け、ルーチン化しつつも、湧き上がってくる初めての仕事をこなすだけで1年が過ぎていきます。
次いで2年目に突入します。1年目では滅多矢鱈でも一巡した経験を積んできており、既にルーチン化されている仕事もあるので、2年目にはそれなりに見通しがつき始めます。なので、1年目には無かった読みをもって仕事を進めることができるようになります。そうすると、もっと細かいところにも目が届き、時間の流れに沿って仕事全体を俯瞰して見ることができるようになります。
そして3年目が来ます。ここまでくると、概ね業界や組織内の事情、時間の流れと仕事の関係が理解でき=頭の中で仕事のプロセス組み立てることができるようになり、自分の判断で仕事のプロセスをコントロールすることができるようになります。いわゆる「一人前」になったという事ですね。
概ね3年あれば、多くの人は一般的に言われる「一人前」として扱われるようになります。なので「石の上にも3年」は「成功」ではなく、「つらくてもがまん強く耐えていれば(3年明けには)一人前になれる」ですね。
ちなみに前出の某企業で3年間頑張ることに意味があるかどうかは、人によって求めるものが違うので、ここでは問いません。(笑)
もちろん、もともと仕事の呑み込みが遅い人もいます。こういう人は時間をかければいずれみんなと同じようになりますので、
なので、3年の期間に縛られず、もう一つの意味である長い期間、頑張れば同じ結果が得られることになりますね。同じ結果が得られなければ、やっていることは仕事では無いですね。
では「一人前」になったとされる人が、本当に「一人前」=「プロ」になっているのか。
実際はそうではなさそうですね。
IT業界でも、仕事をこなすことは出来るので「一人前」のはずだけど、どうもやっていることがちぐはぐというか、ツボを押さえられていない。または、押さえる所がきっちり抑えられていないというか、どうも仕事が緩いという人もいますね。
なぜ、「石の上にも3年」をやったはずなのにそうなるのか。
いろいろ理由があるかと思いますが、「石の上にも3年」の文脈で推せば、こういう人は実際には「石の上にも3年」をやらなかった人ですね。最初に書いたことと違うと言われそうですが、言い換えれば「一人前」が本当に意味するところの「プロ」になるための基本を「石の上にも3年」の間に行わなかった人ですね。
言い換えると「つらくてもがまん強く耐え」の「基本」を行わなかった人となります。どういう「基本」が無かったのか。「つらくてもがまん強く耐え」る中で、現れてくるすべての仕事を実際にやるという「基本」がなかった、という事ですね。
世の中の仕事には、実際にやらなくても結果のわかる仕事が結構あります。
極端な例で言えば掃除ですね。掃除はやれば対象がきれいになる。当たり前のことで、家では誰でもやる掃除を、わざわざ会社で指示された掃除をやらなくても求めるべき結果ははっきり見えているわけで、誰かと一緒に掃除をしているならば、相手に任せて「行った」結果に乗っかってしまえばよいわけですね。
ところが、結果が明確にわかる仕事は、行為として「行う」というプロセスに意味を持っているのですね。
もちろん掃除をすればきれいになるという結果にも意味はありますが、実際にどのように掃除をすればきれいにできるのか、の「どのように」の部分、「行う」プロセスを実行する部分のここの「内実」に意味を持っているですね。これが「基本」の部分ですね。
ここが押さえれていない人は、プロセスを「行う」ことをすっ飛ばしてしまうので、「内実」が備わらない単に小賢しいだけのバカになってしまうわけですね。
要は「一人前」になるための「基本」を行わなかった。なので本当の意味での「一人前」になれない。なのでこのままの状態で年を取ると、実体的には「内実」が無く何もできない生産性の低い薄暗いポンコツへの道が開けていると、なってしまうわけです。
さて、「一人前」になると一体何が違ってくるのでしょうか。
「一人前」になった人は、何をやらしても卒なく、早くこなしていきますね。いわゆる「プロ」ですね。
ここで「一人前」=「プロ」に繋がりましたね。
(カネを稼げるから「プロ」という見方もありますが、カネを稼げれば「プロ」とすれば、「アルバイト店員(店番ではなく)」もプロとなってしまうので、ここでは、その見方はしません)
「プロ」になるためには、もう一つ言うと「一人前」になるプロセスで、仮に結果が見えていてもこれ以上掘り下げれないところまで掘る=地面をスコップで掘ってコツンと岩にあたるまで掘るように、傍から結果が読めているのにどこまで掘るのだと思われるまで馬鹿正直に掘る=バカを承知で堀る、ことが重要なのですね。バカを「行う」プロセスには切磋琢磨なんて言葉は不要ですね。「愚公山を移す」の様に単純に完璧にやり切る覚悟があれば可能ですね。この「行う」プロセスを馬鹿正直に継続する中で何が重要なのか、何がポイントなのかが見えてくるわけです。
プログラムやシステムのテストもそうですね。完璧を目指すなら、大丈夫と思われるところ=結果がわかっているのにテストするなんて無駄だと、他の人が飛ばすようなところでも、テストケースとパタンを洗い出してテストをする。結果、こういう部分は緩くても問題が出ないが、こういう部分は問題が隠れているままで次のフェーズに進んでしまうと、後で問題が露見した場合には最初からやり直し=膨大なコストが発生するから、徹底的に締めあげてテストしないといけないということが身をもって分かってくる。
どこが重要でどこが重要でないかが直感的にわかるようになる。言い換えれば、感覚的に「パレートの法則」や「べき法則」が身についてくる。そのためにバカになって「石の上にも3年」を実行するとも言えるわけですね。
「パレートの法則」や「べき法則」の意味を誤解を恐れず、簡単にまとめて言えば「3割の労力で必要とされる7割の成果は出せる」という事ですね。生産性が最も高い部分ですね。残りの3割の成果を出すためには7割の労力がかかる。こちらの仕事は労多くして益少なし、で生産性が低い部分ですね。だけど、そういう中でも飛ばしてはいけないものが存在する。かといって人生の長さとコストを考えると全部を完璧に対応することは出来ない。(笑)
「一人前」になるプロセスをちゃんと踏んできた人は、「これ以上掘り下げれないところまで掘った」経験があるので、この残り3割の成果の部分の何が重要で必ず対応しないといけないのか/放置しても良いのか、対応を行うのであれば、どのぐらいのコストがかかるのかの判断が可能になるのですね。
もちろん経験の多さも必要ですが、その経験も「これ以上掘り下げれないところまで掘った」で対応しているから、座学や単にやったことがあります程度の浅い経験ではなく、活かすことができる生きた経験になっている。
ですから、「プロ」は3割の労力で7割の仕事をこなし、残りの4割の労力で残りの3割の仕事の中で重要なものをチョイスし対応し、他は問題が発生しても影響がない、もしくは、簡単に解決できる、または、問題が発生する可能性が極端に低い。なので、残りの3割の労力を自分への新たな投資に投入することができる。このやり方を軸にして育ち続けると、高い生産性が維持できるわけですね。また、安易に放棄せず「これ以上掘り下げれないところまで掘る」習慣を身に着けているから、もし何かあって別の業種に転換しても、立ち上がりが早く失敗が少ないという事になります。
ですので、「石の上にも3年」を信条にしているだけではだめで、それを裏打ちするために「これ以上掘り下げれないところまで掘る」、その経験から「パレートの法則」や「べき法則」の感覚を身に着ける必要があるという事になるわけですね。この裏打ちがあって成立する言葉だと思っています。
「石の上にも3年」は、そのためにわかりやすく一般化された閾値という事になるわけで、これが「石の上にも3年」の表裏を含めた意味では、と思っています。
そこで、
『「新入社員の内の9割が1週間以内に退職した」事象に対し新入社員に対して投げ込まれた「石の上にも三年」のコメントに何か意味があるのか。』
に戻るわけですが、最初に書いたように、そもそも契約違反が発生している時点で「石の上にも三年」のコメントはズレているわけですね。
その上、現在の労働市場は、何十年も前に「労働市場の流動化」を高めると言い、ピンハネ商売の派遣労働の拡大を図り、現在の政権の方向性は「リスキリングを通じた個々の労働生産性の上昇を、転職を通じて産業構造の高度化を伴う形で経済全体の生産性向上と賃上げにつなげていく」https://www.nri.com/jp/knowledge/blog/lst/2023/fis/kiuchi/0629
と巷では理解されているわけで、別にスキルアップにつながらない職場=「石の上にも三年」いてもメリットよりディメリットの方が大きい職場≒人生の負け越しに繋がる職場≒(仮に人生の勝ち負けがお金だとしたら)賃上げにつながらない職場からさっさと出ていくのは、政府の方針に従っていると言えるでしょう。この話のきっかけになった彼らの離職に、ステレオタイプ的なコメントとして「石の上にも三年」を投げ込むことは、ずれているということになるのでしょう。
仮に、全ての企業が終身雇用が守られ年功序列で給料が出て会社は絶体につぶれないなら「石の上にも三年」もネットでさぐった意味通りの効果があるかもしれませんが…