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「掛川百鬼紀行」小説部門 応募作品 「掛川奇談」(上) ヤマメ編

はじめに

「いいとこだよ、掛川は。」

そう言って、友人の米田は手酌で冷酒をおちょこに注いだ。
初夏の東京新橋、路地裏にある古民家風の居酒屋は多くのサラリーマンでにぎわいを見せていた。

友人の米田は、掛川の隣である静岡市の出身で、筆者とは会社の剣道部で知り合った仲である。
互いに飲兵衛という共通点もあり、月に一度はこうして勤務地の近くで酒を酌み交わしている。

18時半から飲み始めて2件目、時計の針は21時を回り、ほろ酔い加減の中で筆者が話を切り出した。

「あれ、掛川って出身地と近かったっけ?」

「うん、まあ。車で一時間ぐらい。ほぼ隣だよ。なんで?」

「いやあ、今回掛川市で開催される創作コンテストに応募しようと思っててさ。ただ掛川ってどころか、静岡すら行った事がなくて。はてどうしようかと思ってるんだよ。」

そう言いながら頭を抱える筆者を見て、米田が徳利を傾けながら答える。

「いいとこだよ、掛川は。お茶も美味しいし、海もきれいだし。昔家族とお城に行ったことあるよ。ただ、僕も掛川に関する話はあんまり知らないなぁ。」

二人頭を悩ませながら、店名物のカツオのたたきをつまんでいると、ふと米田が何かを思い出したように、話し始めた。

「そういや、高校の同級生に掛川出身の子がいたな。仲は良かったけど成人式以来、疎遠になっちゃっててさ。いい機会だし連絡してみよう。」

徐に携帯をだすと、ラインで掛川出身というその子へ連絡を取り始めた。
数分後、返信がありなんと現在は東京で働いているという。

ちょうどいい機会だから、と私の事情含めて理由を話してくれると快諾してくれ、次週に3人で飲み会を開くことになった。

トントン拍子で事が進み、すっかり調子を取り戻した筆者も、手元の徳利を傾ける。

…ない。

すっからかんになった徳利を物足りなそうに覗く筆者を見て、米田が次の酒を注文した。

「すいませーん、初亀一合!」

ヤマメの話

俊二さんと名乗る男性は、物腰柔らかで人懐っこい笑顔が印象的な人だった。
自身も掛川市で生まれ育ち、地域の歴史や昔の話に興味があったようで、かなり色々興味深い話を聞くことができた。

語ってくれた話のうち、まず第一話目、「ヤマメ」についてお話することにしよう。

俊二さんの祖父、弥兵衛爺さんは釣り好きな人であった。
すでに鬼籍に入られたが、俊二さんが幼い頃はよく山でヤマメを釣ってきては晩酌の肴としていたそうだ。

俊二さんは父の仕事で掛川の街中に住んでおり、山の方に自宅を構える祖父の家にはちょくちょく遊びに行っていた。

俊二さんが小学生の夏休み、弥兵衛爺さんと釣りに行った時にこの話を聞いたという。

今から40年ほど前の夏、まだ弥兵衛爺さんが若い頃の話。

とある8月の早朝、弥兵衛爺さんはいつものように釣りの準備を整え、八高山の山奥へ向かった。

「渓流の女王」と評される、ヤマメを釣りに行くためだ。

筆者も渓流釣りをやるのでよくわかるが、一日のうち渓流魚であるイワナやヤマメの活性が最も上がる時間帯は「朝マヅメ・夕マヅメ」と呼ばれる早朝・夕方の時間帯である。

弥兵衛爺さんもその日は、朝マヅメを責めるべく早朝陽が昇り始める頃に入渓した。

しかしその日は、妙に釣る気が湧いてこない。
なんだか、入渓した途端、いつもの「釣るぞ」という心持ちがスッと失せてしまっているような気がした。

そういった変に胸騒ぎがする日は釣りなどやめるのだが、当時は若かったということもあり、気のせいだと自分に言い聞かせて、釣りを始めた。

渓流に入ってはや1時間、今日はいつもと違い釣果が思うように出ない。
流れの早い岩の窪みや、トロ場と呼ばれる水が澱む深い淵、落ち込みという水の落差がある場所など、一つ一つ丁寧に探っていくものの、まるで魚たちがひっそりと息を潜めるように、釣竿はピクリとも動かなかった。

焦る爺さんは奥へ、さらに奥へと進んでいった。

ふと気がつくと、渓流の岩場がゴツゴツと大きいものに変わり、川幅もだいぶ狭まり、足場が悪くなってきた。

一旦ここいらで休憩するか…。

どっこらせ、と近くの苔むした岩場に腰をかけた爺さんは、手拭いでひたいに滲む汗を拭った。

6時に釣り始めて、1時間ぐらい経ったから7時ぐらいにはなっただろうか。
夏の早朝とはいえ、山奥に分け入っていたため、木々が覆い被さるような渓流は鬱蒼としていてまだ少し暗かった。

ふあぁ。

早朝から動いているので、少し眠くなった爺さんはあくびを漏らしながら背伸びをした。

すると、急にキーンという金属音が両耳からつんざくように鳴り出した。

耳鳴りだ。

山で耳鳴りがする時は、大体凶兆だとされる。
恐ろしくなった爺さんは、そそくさと竿をしまい始めた。
すると次は、山のどこからか

コーン、コーン、

コーン、コーン、

と木を切り落とすような音が聞こえてきた。
森のあちこちから、聞こえてくる。

おかしい。
こんなところで木を切っているはずがない。


爺さんが今釣りをやっていた場所は、山仕事をする人たちが入ってこないところであった。

いよいよ、マズイと思った爺さんは竿や仕掛けを手元で片付けて、帰ろうと顔を上げた途端、ギョッとした。

上流の大岩の上に複数の小さな人影を見た。

恐る恐る目を凝らして人影を見やると、小学生にも満たない子供たちが岩の上に並び、じっとこちらを見つめていた。
異様なのは、皆一様に昔の着物を羽織り、ダラリとした風体でこちらを見ているのである。
中には赤ん坊を背負った小さな子供さえいる。

爺さんの幼少期、大正時代の服装をした子供であった。

成人男性でもやっと歩くような山奥に、草履を履いて、まして赤ん坊を背負いながら子供たちで登れるような場所ではない。
さらに気味が悪いのは、みな異常なまでに目を見開いて、まん丸とした黒目には一切の光がない。

まるでヤマメのように。

怖くなった爺さんは、竿や仕掛けも投げ捨てて一目散にその場から逃げ出した。

無我夢中で山を下山し、気がつくと登山口まで戻っていた。
ガタガタと震える膝を抑えながら軽トラに乗り、帰路に着いた。

家に帰るや爺さんは玄関に塩をぶちまけ、すぐに風呂に入った。
昼間も何のやる気も起きず、畑に出ないで家にいる爺さんを見かけて不思議に思った婆さんが理由を尋ねるも、一向に爺さんは口を割らなかった。

やがて、朝飯時ぐらいからポツリ、ポツリと雨が降り出し小雨だった天気は、昼手前に豪雨に変わった。
やがて雨は勢いを増し、その地域で降雨量観測史上最多の局地的豪雨となった。
地域を流れる川はたちまち濁流となり、ものすごい勢いで周辺の草木を押し流した。

翌日、爺さんが山へ様子を見に行くと、昨日釣りをやっていた一帯は昨晩のうちに土砂崩れで、全て流されてしまい跡形もなかったという。

後日談

さて、調べてみると掛川市ないし静岡県は、ことヤマメとの関わりが深い土地柄のようである。

まず、掛川市からほど近い静岡市には「ヤマメ祭り」なる民俗行事があるという。
8月26日、ヤマメ寿司を拵えて神前に奉納する。
この行事は平成17年11月29日に、県の指定無形民俗文化財となった。
古来より、山間に暮らす人々にとって貴重なタンパク源であった「ヤマメ」の特性を現す行事と言えるだろう。
また、現在は静岡市の一部地域のみ伝わっている行事であるというが、少し前までは県内の至るところで、形式こそ違いけれど山の恵みである「ヤマメ」を口にすることに対し、山の神様へ畏敬と感謝の念を持って接していたことは想像に難くない。
掛川の八高山とて例外ではないだろう。

また、ヤマメに関する伝説として、榛原郡にはこんな伝説が伝わっている。

或る人がヤマメ釣りに山奥の澤へ入って行った。
すると途中で小さな子供に出会い、「この奥の淵には主がいるから、魚釣りはやめなよ。」と止められた。
持ってきていた弁当をあげたりして子供と話していたが、今更帰る気にもなれず、子供と別れてからは、さらに山奥深くへ進んだ。

やがて大きな淵に辿り着き、釣り糸を垂れると、直ぐに大きなヤマメが掛かった。
大きなヤマメが釣れて喜んだ男は早速持って帰ろうとヤマメの腹を裂いた。

すると腹の中から、先ほど子供にあげた弁当の中身が出てきた。

男は非常に驚き、戦慄した。
先の子供こそが、淵の主であったのである。

静岡県女子師範学校郷土研究会 編(1934)『静岡県伝説昔話集』より意訳


所謂岩魚坊主の類話であるが、イワナではなくヤマメになっている記述が興味深い。
福島県会津地方や岐阜県美濃市、長野県や山形県など主を殺生してしまうこのような話は全国に派生している。
しかしここ静岡県では、岩魚ではなくヤマメとなっており、当地方における山間での渓流魚として主たる魚がヤマメであったこと、加えて保全の意味合いも兼ねた無益な度を超えた採集を戒める為の側面もあったと考えられる。

理由はともあれ、静岡県ないし掛川市を流れる渓流とそこに住まう人々の間には、希少な資源であるヤマメを通した保全に対する葛藤と採集の文化があったことが読み取れる。

(3,644文字)


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