土着怪談 第十五話「彼岸獅子」(上)
読み切り時間:5分少々
はじめに
彼岸獅子とは、福島県会津地方に古くから伝わる、伝統的な獅子頭を用いた舞踊である。
よく見る一般的な獅子舞とは、演舞の時期も獅子頭の見た目も全く違う。
一般的な獅子舞は、赤い頭に緑の唐草柄の胴幕を用いて正月に演舞する。
動物らしく四つん這いを模して、背中を丸めて踊り、獅子舞の顔も丸みを帯びて耳は垂れ、どこか親しみを持ちやすい。
対して会津地方の彼岸獅子は、真っ黒な顔に大きな牙と真っ赤な口、ギロリと見開かれた目に、角が生えている。
頭部には光沢ある鳥の羽が無数に生え、絶妙に生物感を醸し出している。
その上、四つん這いのような動きは見せず、人間と同じような2足歩行で移動するため、半人半獣のような不気味ささえ感じる。
こちらは正月ではなく、春の彼岸に3匹1組でやってくる。
(そして謎に身長が高い。おそらく獅子頭を頭上に載せていると思われるが、大きいものだと2m近くある。)
著者の祖母曰く、獅子頭はかぶっているというが、頭をつけたり外したりしているところは見たことがないという。
また、彼岸獅子は会津地方各地(特に会津若松市周辺の市町村)にて見られるが、各地区で獅子頭や服装にも違いがある。
著者が幼いころ、祖母の家にも彼岸獅子が訪れた事があったものの、泣き叫んで軽トラの車内にカギをかけて閉じこもった記憶がある。
未だにこの顔を見ると、その記憶が鮮明によみがえり、トラウマすらある(笑)。
そんないろいろな思い出がつまった会津の春の風物詩、彼岸獅子も、祖母の住む地区では、担い手の高齢化が進み、年々継続が難しくなっているという。
特に、昔から彼岸獅子が継承されている集落内の各家の長男のみが彼岸獅子の担い手として選抜されていた事も、少子化が進むこの地域では、担い手不足に拍車をかけていた様である。
継承か、伝統か。
獅子舞に限らず、少子高齢化が進む日本の伝統文化においては、担い手が直面している問題である。
さて、彼岸獅子の由来については、諸説あるものの、戦国時代の天正年間に疫病退散を目的として奉納されたと言われている。
また江戸時代に山形県や栃木県那須市から伝わったという説もある。
いずれにせよ、平安時代に宮中で執り行われていた追儺(別名:鬼遣らい)(※)や祇園祭のように、儀式を用いて悪疫を払おうとしていた部分を鑑みると、当時の人々の信仰のあり様がうかがえる。
※今日の節分の元となった行事と言われる。
この彼岸獅子は3匹で構成され、それぞれ雄獅子、雌獅子、大夫獅子という役割があり、いくつかの演目を太鼓や笛などを演奏しながら、演舞を行う。
※ちなみに、香川県観音寺市では、10月のちょうさ祭りの際に、獅子舞を披露する。この獅子舞もまた、3匹で見た目は黒、形態は2人1組で中に入る中国獅子舞に近い。遠く離れているが、色や編成が似ているのは興味深い。
少し前置きが長くなってしまった。
長い厳冬を終え、暖かな春の息吹を感じる頃に訪れる彼岸獅子は、この地方の人々にとってはまさに、心の拠り所ともいえるだろう。
今回は、そんな彼岸獅子に関する不思議な話をご紹介しよう。
彼岸獅子(上)
土着怪談 第九話「山の鳴き声」で登場した、著者の父方の親戚筋から聞いた話である。
父方の祖母の妹、私の大叔母である芳子(ヨシコ)が幼少期に経験した話。
皆からは、「台田(ダイデン)の婆ちゃん」と呼ばれている。
台田(ダイデン)とは、その大叔母が嫁いで行った集落の名前である。
芳子は、幼少期、よく寝小便を垂れる子だったという。
姉である著者の祖母ヒデとは対照的に、信心深く怖がりな人であった。
二つ上のヒデにいつもくっついて歩いては、そばを離れなかった。
芳子は、今はもう見えないが小さい頃はよく変なものが見えていたと言う。
祖母の家はもう改築してしまって今は跡形もないが、著者が高校生ぐらいの時までは、古い日本家屋であった。
改築時、大工が屋根を剥がしたところ、釘が一本も使われておらず驚いたという逸話が印象に残っている。
江戸時代ごろから建物自体は変わっていないらしく、著者が蔵の中を漁っていたところ偶然見つけた古文書にも、改築前の家と変わらない家の間取り図が出てきた。(たしか安政ぐらいの幕末に描かれた古文書だったと記憶している。)
そんな古い家だったからか、芳子が小さいころは、家の中のあちこちで走り回る音や、人のような気配と家の中ですれ違う事がしばしばあったらしい。
ただ秀子(ヒデコ)や母には全く見えないので、気味悪がられて、口をつぐんでいた。
とある年末の朝、手伝わされていた家業の味噌作りもひと段落ついて、蔵から母屋に戻った芳子は、くたびれて縁側でゴロリと横になった。
冬休みが始まってはや10日も経つが、一切宿題には手を付けていない。
そろそろ本腰を入れて取り掛からねばと思い立ってはいたものの、それ以上に朝6時から冬の寒い日に駆り出される味噌づくりの仕込みが思いのほか堪えた。
雪が降りしきる極寒の外とは裏腹に、室(ムロ)と呼ばれる味噌の元となる麹を発酵される場は汗が噴き出るほど蒸し暑い。
蒸気で真っ白になる部屋の中で、麹を育む作業を何時間も行うのは、子どもたちにとって大変な重労働であった。
縁側のガラス越しに見える、しんしんと降りしきる外の雪を眺めていると、いつの間にか深い眠りに落ちてしまった。
どのぐらい寝てしまっただろうか。
ふと、頭元に立つ人の気配で目が覚めた。
「母ちゃんに宿題やらずに寝てっとこ、見られっちまった。」
怒られる、そう思った芳子はあろうことか、そのまま狸寝入りしてその場をやり過ごそうと考えた。
わざとらしくいびきをかきながら、寝返りを打ったふりをして顔を床に伏せる。
今考えれば、絶対狸寝入りしていることはバレるに間違い無いが、当時小学生だった本人にとっては、精一杯の取り繕いだった。
スゥスゥ、グゥグゥとイビキと寝息を交えながら狸寝入りを始めて1分、2分が経った。
おかしい。
傍に立つ気配が一向に動かない。
いつもなら、母なり姉であれば声をかけるなり起こすなりしてくるはずだ。
眠りながら、そばに立つ気配に意識を集中させる。
違う、これは姉でも母でもない。
大人か子供か、性別すら分からない。
ただハッキリ分かったのは、ヒトではないという事。
静まり返る家の中で、自分の寝息とドッドッという心臓の音だけが聞こえる。
目をぎゅっと強く閉じた瞬間だった。
不意に裏口の扉が勢いよく開き、奥の廊下からけたたましい足音が聞こえてきた。
「オヨシ、寝てんでねぇっ!起ぎで宿題やらせ!(やりなさい)。」
姉ヒデコの声だった。
パッと目を開き顔を挙げると、白い割烹着を着て仁王立ちする姉の姿があった。
ほっと安心すると同時に辺りを見渡す。
いつのまにか近くにいた謎の気配は消えていた。
あの気配は一体なんだったのだろう…。
芳子はそれ以上考えるのをやめ、姉と肩を並べて宿題に取り掛かった。
謎の気配を感じてから数日、新年を迎え早くも三が日となった。
家には親戚が集まり、ヒデコや芳子も酒出しや料理などの家事に追われて、そんなことはすっかり忘れていた。
芳子の父、信一は太平洋戦争から帰還後、長らく病床に伏せており、1人で歩くこともままならなかった。
新年の挨拶も芳子の母ミツコが表に出るのみで、信一は部屋で寝たきりであった。
夕方、親戚に振る舞う料理がひとしきりで終わって、ぽつりぽつりと親戚が帰路に着く段階で、芳子は信一の部屋に料理を運ぶことにした。
新一の部屋は居間と正面玄関から1番遠く、裏口に1番近いところにあった。
御膳に料理を盛り付け、溢さないようにそろりそろりと廊下を歩いていく。
古い家の廊下は一足歩くごとにミシッミシッと軋む。
部屋の前まで辿り着き、御膳の料理がこぼれていないことを確認し、一安心する。
両手が塞がっているので片足で扉を開けようと、つま先で引き戸の隙間を探っていた、その時だった。
また、あの気配を背中から感じた。
無論、長い廊下を右に曲がった角にある信一の部屋の前には、人1人がすっぽりと入る程度の場所で、後ろに人が立つ余裕などない。
身体中の毛穴が開き、額から冷や汗が流れる。
謎の気配は、固まっている芳子の耳元で、静かに何かを囁き始めた。
「…ンデ………ツェ…….。」
何を言っているのか、全く分からない。
低い、まるで生気のない男の声だった。
もう限界だった。
声を振り解くように、足で勢いよく引き戸を開けた。
薄暗い部屋の中には、障子を閉めて横たわる青白い顔をして目を閉じている信一と、その枕元に座り込む黒い影があった。
黒い影は、横たわる信一の耳元へ口を近づけ、無心に何かを囁き続けている。
「ひっ…。」
声にならないような小さな悲鳴で、芳子が後退りすると、黒い影は風で煙が無くなるように消えてしまった。
怖くなった芳子は、御膳を放るように信一の枕元に置き、扉も閉めぬまま居間に向かって全速力で走りだした。
(3,650文字)
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