私の母は産後うつから始まり、失踪しました。
私は、母が22才の時に産まれました。そこから2つ下の妹、8つ下の妹が産まれました。そしておそらく予定外の妊娠で、私と13才歳が離れた弟が産まれました。
妊娠が分かって嬉しいはずなのに、暗い表情の母の顔を今でも覚えています。
もともと母も複雑な家庭で、母の父親はお酒飲みで、持っていた山を売り払ってお金にしてまでお酒を飲み、脳梗塞か何かで半身麻痺でした。
私のおじいちゃんです。
そのおじいちゃんと後妻のおばあちゃんがいましたが、母は可愛がってもらえていないのは、子どもの私から見ても分かるくらいで、私の母は自分の親に育児は助けてもらえませんでした。
母は、つわりで夕飯が作れず
夕飯にもならないような、お菓子を何とか買ってきたんです。塗装業の父は、ヘトヘトになって帰ってきて、夕飯がお菓子だけ…。で怒り狂っていました。
当時6年生だった私も、いくら辛いでもこの夕飯はないだろとか、だったら、私に頼んだらいいのにとか思いました。そこまで頭が回らないほど、しんどかったんだよね。と今になると分かります。
弟が無事産まれ、母は寝ています。
朝起きれません。それはそうですね。
夜中の授乳などありますから。
3カ月経っても昼近くまで布団に入っています。
そこから、
食事や掃除ができていないと、
父が怒っていました。
ある日、私が家に帰ると、妹とまだ赤ちゃんの弟がいて、母がいないんです。
母は、産まれたばかりの弟と私達を置いて
帰ってきませんでした。
こんなこと、ホントにおこるんだ。
お母さん、私たちをおいてどこいっちゃったの?!
そこから、捜査願いを出し、
母は見つかりました。
しかし、心の病気が進行していた母は入院となりました。私と、2つ下の妹は父と暮らし、8つ下の妹と赤ちゃんの弟は、父方の両親と暮らすことになったのです。
そこからの母のことや、私のヤングケアラー時代のことついては、また書いていきます。
それでも、
私が保育士を志したきっかけは
13才離れた弟が可愛かったからです。
赤ちゃんって可愛い、面白い!
それは今でも変わりません。
この前、親子ひろばに初めて来てくれたママ。
「この子、上の子と14才離れているんです。」と
話してくれました。
「そっかぁ。私も、13才離れた弟がいて、弟が可愛いくて保育士になりたいと思ったんですよ。」
と言うと、
「そうなんですね🩷」と
ママの表情が柔らかくなりました。