バナナ1本が1,600万円? マウリツィオ・カテランの目指すアートの世界を解説!
壁にダクトテープでカッコよく貼り付けられたバナナ。実はこれ、有名な現代アート作品です。
作者の名はマウリツィオ・カテラン。イタリア人の現代アーティストです。
この作品は2019年、アメリカ最大級のアートフェア「アート・バーゼル・マイアミ・ビーチ(ABMB/Art Basel in Miami Beach)に、エマニュエル・ペロタン(パリのギャラリー)のブースに出品され、大きな話題を呼びました。
そして驚くべきことに、フェアの初日には、3点限定で出品されたうちの2つが12万ドル(約1,300万円)、3つ目が15万ドル(約1,600万円)でミュージアムに予約購入されたのです。
いったいこれはどういうことなのか、カテランの世界観をこれまでの経緯とともに、解説していきます!
1. アート界のジョーカー
マウリツィオ・カテラン(Maurizio Cattelan)は、1960年イタリアのパドヴァ生まれで、現在はアメリカのニューヨーク在住。
ハイパーリアリスティックな彫刻とインスタレーション(空間芸術)で知られており、企画演出や出版でも活動するアーティストです。
掃除婦の母と、トラックドライバーの父に育てられ、中学生の頃から仕事を持つようになったカテラン。
郵便配達、庭師、葬儀屋など多様な職種を経験した後、1970年代末〜1980年代半ばにかけて、カウンターカルチャーの定期刊行物のためにコンピューターを使った画像や漫画を制作、1988年には家具デザインに着手、独学によりアーティストに転身し、独自の創作を展開し始めます。
カテランはアートの勉強について、作品のカタログを読むことに加え「展示を造ることが私の学校だった」と語っています。
究極のコンセプチュアリスト
カテランはスタジオを持たず、自分では一切制作しないという意味で、究極のコンセプチュアリストであり、神出鬼没のパフォーマンス、人を食った、ユーモアと皮肉に溢れるリアルな彫刻作品でアート界に知られています。
その風刺的な手法から、「アート界のジョーカー」、「道化師」、「イタズラ者」と評されることも多いです。
コーコラン美術館の現代美術のキュレーター、ジョナサン・P・ビンストックは過去にカテランのことを、「ポスト・デュシャンの偉大な芸術家の一人であり、聡明で生意気 (smartass) な人物でもある。」と評しています。
2. 展示空間を異質化させるカテラン作品
カテランの初作品は、1989年の《Lessico Familiare》という写真作品で、上半身裸のカテランが胸の上でハートポーズを取っている額装されたセルフポートレートでした。
そこから1990年代半ばには、剥製を使った作品で注目を集め始めます。
《Novecento (1997) 》では、馬具を着装したTiramisu(ティラミス)という名前の元競走馬の剥製に、馬具部分だけを天井から伸ばした紐で吊り下げ、足や頭が垂れ下がる様子を展示。
《Bidibidobidiboo (1996) 》では、キッチンのテーブルに、リスの剥製が横たわり、その足元に拳銃が置かれた様子をミニチュアで表現しています。
隕石に倒れたローマ法王像、許しを請うヒトラー少年像
1993年、イタリアのヴェネチア・ビエンナーレのアペルト部門に招待されると、《Lavorare è un brutto mestiere(働くことは悪い仕事だ)》を発表。
その作品の空間自体を広告代理店に売り、展示空間を異なる意味の空間に置き換えました。
その年にニューヨークに拠点を移したカテランの初個展では、ギャラリー内に本物のロバを持ち込み、鑑賞者を出迎えたり、1997年のヴェネチア・ビエンナーレでは天井の梁に無数の鳩の剥製を設置するなど、動物を使った作品を多く発表。
カテランには特有のいたずら心があり、展示空間を異質化させる作品が多いです。
また、1999年の隕石に倒れたローマ法王像や2001年の許しを請うヒトラー少年像などのインパクトあるイメージは、権威や権力、正義や倫遭にさえ疑いの目を向けたもの。
カテラン作品には、自らを子どもや動物に見立てた自虐的イメージの作品も多くあります。
ギャラリー運営、キュレーション、雑誌出版
2002年には、ガラスのドアの付いた2.5平方フィート(約0.23平方メートル)のニューヨーク最小の展示場《Wrong Gallery (扉1枚相当の空間) 》の運営を開始。
2006年には長期にわたり共同制作を行ってきた、アリ・スボトニック、マッシミリアーノ・ジオーニと共に、ベルリン・ビエンナーレのキュレーターとしても活躍しています。
2009年、カテランはイタリア人写真家のピエールパオロ・フェラーリと共に「W Magazine」のアート号の制作に携わった後に、2010年には共同で、年2回刊行の写真を中心とした雑誌「トイレットペーパーマガジン」を出版。
2011年秋、ニューヨーク・グッゲンハイム美術館での回願展を最後に、アート制作からは引退を宣言。以来、雑誌制作や画廊運営にシフトした活動が続いています。
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