先生は、自分の子供が僕みたいだったらどうするんだろう
不適切指導と二次障害に苦しむ子が減ることを願って
中学校からの「英語のテストがいつも0点なのをご存じですか?」という電話をきっかけに読み書きの苦手が発覚。中学受験をして入った中学からは転校を進められ、適応障害を発症。周囲の理解が得られないことで苦しむお子さんのようなケースが起きないようにと、苦しい心の内をお話しくださいました。
お話を聞いた方:まーさん(仮)
当事者との関係性:母
英語のテストがいつも0点なのをご存じですか?
ーまずは今の状況をおうかがいできますか?
息子は中学3年生の頃に適応障害と診断されました。高校2年生頃からは寝ているかぼーっとしているか暴れるか…といった状態で、自ら「自分はうつ病だから本格的に治療したい、入院したい」と言うようになりました。1か月ほど前に入院をし、作業療法やカウンセリングを受け、今は少し落ち着いています。
ー適応障害が出たのは、どのような状況のときでしょうか。
適応障害と診断されたのは中学3年生のときですが、小学校のころからの経験、中学に入ってからのことが積み重なってその時期だったのだと思います。
息子は幼稚園の頃から字も書けていましたし、パズルが好きで3歳には100ピースのパズルをやっていました。
小学校に入ってからも宿題やドリルで困ることはなく、本を読むのも作文や日記など文章を書くのも大好きでした。
ところが、4年生になると漢字テストで40点をとってきたり、連絡帳が書けずに「きちんと書きなさい」と先生からコメントを書かれたりするようになりました。
息子が通っていた小学校では、日記を毎日書く宿題が1年生からずっと出ていました。それが4年生になったころから、やらない日が増え、先生に「毎日の宿題です!」と強い語調でコメントされていました。
ちょうどそのころ、中学受験に向けて塾に通うなどしていたため、小学校の先生は「受験に夢中になって、学校のことはどうでもいいと思っているから、板書もしないし日記も連絡帳もちゃんと書かない」と思われていたようです。それは親の影響だと、学校から私が叱責され、息子に「宿題をしなさい」と怒って大ゲンカになりました。
5年生で学校に行きたくないと言うようになり、通っていた私立小学校から地域の公立小学校に転校しました。
転校したら少しはよくなるかなと期待したのですが、逆に問題行動が増え、学校で暴れるようになりました。
そのころはずっと「中学に入ったらきっと楽しいよ!」と励ましており、実際に中学入学後は仲のいい友達もできて楽しそうにしていたのですが、1年生5月に「英語のテストがいつも0点なのをご存じですか? 識字障害をご存じですか?」と先生から連絡をいただき、問題が発覚しました。
入学してから1か月、英単語の小テストを息子はずっと隠していたのです。
「留年しますか、転校しますか?」三者面談で突きつけられた決断
ー中学校は公立ではなく、私立を受験をされたのでしょうか?
中学受験の準備は、小3からしていました。塾では板書がないからか問題行動がほとんどありませんでした。成績の上下が激しい、算数の途中式を書かないなどのちょっとした気掛かりはあっても、暗算で正解をだせますし、算数と社会は得意で成績優秀者にはいったこともありました。
全部できない、ずっと悪い…だったらもっと早くに気づいたのかもしれませんが、読み書きが苦手だとはわからず、予定通りに受験を進めました。
「識字障害」という言葉も中学校からの電話ではじめて聞き、ネットで検索をしました。
そこで出てきたのが、元文部科学大臣の下村博文さんのお子さんの話でした。
小学3,4年生くらいから宿題をしない、漢字が覚えられなくなった…と症状の出方が息子に似ていました。下村大臣の息子さんは、日本では学べる学校がないとイギリスに留学したそうです。
息子が中1当時は、障がい者差別解消法が施行され、私立の学校では「努力義務」とされていた時期です。(※現在は私立の学校でも「義務」とされています)
全国的には努力義務ですが、東京都では「義務」とされていた時期でもあります。
先生のほうから「識字障害」と気付いてくれたので、検査を受けて診断書を提出したら合理的配慮をしてくれるのではと考えていました。
しかし、診断を受けて学習障害の診断書を出しても、合理的配慮は受けられませんでした。
理由としては「これまでしていないから、今からやったら不公平になる」ということでした。過去に起立性調節障害などで転校された方がいたらしく、その人に対して不公平になる…と。
三者面談で「留年しますか、転校しますか」と聞かれました。
勉強はともかくとして、友達ができて楽しく通っていたこともあり「留年します」と答えたら、ぎょっとされてしまいました。どうやら留年というシステムはなく、転校させたくて「留年」という言葉を持ち出したようです。
なんとか学校には残り、2年生に進級したのですが、診断書も出しているのに英語のテストでは「勉強ができていない」と書かれてしまいました。
息子は泣きながら帰ってきました。
夫が抗議したのですが、「先生にはそれぞれやり方があるから」と受け入れてもらえませんでした。
授業中もぼーっとしていてノートも取らない、寝ている…と言われたのですが、読み書きが苦手な息子にとって、教科書や黒板の文字を読みながら授業を聞いているだけでものすごく負担がかかります。怠けて寝ているのではなく、一種の気絶状態だったのだと思います。
こうして過去の話を持ち出して、当時の先生や学校の対応を責めたいわけではありません。
誰も発達性読み書き障害の正しい知識がなかったから、先生方が「それぞれのやり方」を押し通されることによって子どもがどれだけ苦しむのかを知らなかったからだと思うんです。
息子はそうした状況のなかで、怠けていると誤解され、だれにも理解されない苦しさから適応障害と診断されるに至りました。中学3年生なので、今から4年前のことです。
中学を卒業し、通信制の高校に通い、大学に入学し……これだけ環境の変わる4年を経た今も、適応障害の悪化により苦しんでいます。
こうして発信することで、息子のようなケースが少しでも減ってほしい…と思い、お話ししています。先生からこのような指導を受けたときに、子どもにこんなに大きな影響があるんだとこの記事を見せてくださってもいいですし、なにかのお役に立てればと思っています。
先生方にとってたくさんいる生徒の一人でも、子どもにとっては死活問題
ー中学校では、合理的配慮はまったくしてもらえなかったのでしょうか?
まったくしてくれなかったわけではありません。
中2の2学期からは、板書をデジカメで撮影してよいということになりました。
ただ、情報が外に漏れると困るという理由から、学校のデジカメを借りるために休み時間に職員室にデジカメを取りに行き、またデジカメを返しに行き、学校でプリントしてもらい、撮影したものを紙で受け取る…という方法でした。
友達と過ごしたくてこの学校に残ることにしたのに、休み時間がなくなってしまうということで、息子は次第にカメラを借りに行かなくなりました。
これも「せっかく配慮してやったのに、やる気がない」と思われたようです。
また、中2の冬休みの宿題だった読書感想文。3冊本を読んで書くというもので、息子には大変な宿題でした。
そこで、期限を延ばせないかとご相談したら、「いいですけど評価下がりますよ」と一蹴されました。
評価を下げたくないから、がんばって書く、そのために期限を延ばしてほしいと伝えたのですが、ご理解いただけませんでした。
そのやりとりを聞いていた息子は、怒って外に飛び出していきました。道路に出るすんでのところで通りかかった人が止めてくれましたが、車道に飛び込もうとしていたのだと思います。
先生はそこまで想像していないんですよね。子どもにとっては、本当に死活問題だというのに。
結局、附属の高校へは進学できずに通信制の高校に通いました。
合理的配慮がうまくいく例では、先生がその子に合うようにうまくいく方法を模索してくださっているように感じています。そういうことをしてくれる学校はあるのに、ネットではそういう例も見るのに、この差はなんだろうといまだに疑問です。
運といってしまえばそれまでです。
うちはこうした環境を得られずに大変な思いをしました。
学習障害に詳しい先生が「合理的配慮ではなく、合理的排除だ」とおっしゃっていたのを聞いたこともあります。
理解が広まって、こういう指導がなくなったらいいな、と思っています。
ー保護者として……つらいことがたくさんあったかと思います。そのなかでも、苦しかったことや、ここでお話ししたいことはありますか?
息子はできるときとできないとき、できることとできないことの差が激しくて、できることがあるからこそ、「やる気がない、怠けている」と言われてきたように思います。
でも、親である私もどうしてこんなに差が大きいのかは説明できなくて、息子のことを信じられなかったこともあります。
中学受験の時期、最後のほうの問題が白紙のままということがありました。
時間配分を誤って最後の問題ができないのはよくあることです。
でも、息子は「時間がなかったんじゃない。答えはわかってたけど、書けなかったんだ」と言っていました。
このころはまだ学習障害とわかる前だったこともあり、息子のいうことを疑っていました。
学習障害だとわかってから6年、やっといろんなことが……『「うちの子は字が書けない」と思ったら』に書いてあるようなことが腑に落ちました。
なので、先生方がなかなか理解できないのもわからなくはないんです。理解するまでに時間がかかるだろうことも。
でも、先生方の言動で、子どもの将来は大きく変わります。
合理的配慮を拒否されたとき息子は、こう言っていました。
「先生は、自分の子どもが僕みたいだったらどうするんだろう」と。
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