「まず、動け」の真意を深堀りしてみた。
こんにちは。
この記事に目を通していただき、ありがとうございます。
私は、キャリア支援事業を運営している大坂谷(オオサカヤ)です。
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私はプロコーチを本業としています。
このコーチングが他の自己研鑽と大きく異なるのは、行動(あるいは行動変容)に重きをおいているところです。
そして最近、私の運営するスパイシー朝活(即行動・即実践に重きを置いた朝活)のなかで、以下の様なディカッションが行われました。
スパ活のメンバー「著名な方のYoutubeを観たり、自己啓発書を読むと、90%ぐらいの確率で「まずは行動しよう(まずは動こう)」と書かれているけど、どうしてだろうね」
確かに。
確かに、ありとあらゆる本で書かれています。ビジネスやスポーツで成功した人たちは口裏を合わせたかのように「まずは行動しよう(まずは動こう)」こう言います。
なぜ、「まず行動」なのでしょうか?
今回は、コーチングどうこうは一旦置いておいて「なぜ、まず行動なのか?」という疑問について考えてみたいと思います。
❚そもそも、行動とは?
この疑問について考える前に、行動とは何かをはっきりさせておく必要があります。
まずは、行動について調べてみました。
行動とは、あることを目的として、実際に何かをすること。行い。
後半の「何かをすること」は分かりますが、前半の「目的」がピンときません。
さらに、目的の意味を調べました。
目的とは、得ようとしてねらう対象。到達したい状態。
なるほど。
つまり、目的とは到達地点のことを指していると考えられるので、個々人が掲げてる目標やゴールの事と定義して良いかと思います。
ビジネスで例えるなら以下のようなイメージでしょうか。
・起業する
・転職をする
・副業を始める
・組織の中で出世をする
・年収を1000万円に到達させる
プライベートで例えるなら以下のようなイメージでしょうか。
・ダイエットをする
・トレーニングをする
・500万円を貯金する
・勉強して資格取得をする。
・趣味で何らかの大会に出場する
この様に、目的は目標やゴールに置き換えるとイメージしやすいですね。
話を戻します。行動とは何かを改めて整理すると以下のとおりになります。
行動とは、自ら掲げる目標やビジョンに対して直接、働きかけをすること
このような定義で進めていきます。
❚行動しないとどうなるのか
行動の定義はわかりましたが、その行動しないとどうなるのでしょう?まずは、この疑問について考えてみます。
例えば「転職をして年収をアップさせたい」このような目標があったとします。これに対して、なにも行動しなかった場合どうなるのでしょうか?
きっと、
何もしていないので、何も起きません。
当然っちゃ、当然ですよね。
こう考えると、メリットもないですしデメリットもなさそうです。
ただ、強いてデメリットを挙げるとしたら、5年後、10年後にキャリアを振り返ったときに「あの時、転職に向けて動いていたら、どうなったんだろう?」このように悔やむことはあるかもしれません。
他で例えます。
「身体を鍛えてムキムキになりたい」このような目標があったとします。これに対してなにも行動しなかった場合どうなるのでしょうか?
きっと、
何もしていないので、何も起きません。
当然っちゃ当然ですよね。
どんなに「ムキムキになったらいいなぁ」と想像を膨らましたところで、筋肉が増える事はありませんし、脂肪が減ることもありません。こう考えると、メリットもデメリットもなさそうです。
ただ、これも強いてデメリットを挙げるなら、夏前になると「身体を鍛えておけばよかった」そう悔やむもしれません。
こう考えてみると、行動しなくても、悔やむことはあったとしても基本的には何も起こらないようです。
もちろん、誰かから依頼されたことをやらなかったとしたら、怒られたり迷惑をかけるかもしれません。ただ(自己啓発的な文脈でいう)自分で立てた目標に関しては、やろうがやるまいが誰にも迷惑をかけないです。もっと言えば、言い方はよくないかもしれませんが、やろうがやるまいが知ったこっちゃありません。
しかし、ここまで書いておいてなんですが、あれだけ自己啓発書やYoutubeなんかで、それっぽい人たちが「まずは、行動しなさい」と語っていることを考えると、行動しないことで何かが起こる。そんな気がします。
あれだけ念を押していうのであれば、きっと、なにかがあるはずですよね。
もう少しねばって考えてみたいと思います。
行動については掘り下げたので「まずは、行動しましょう」にくっついている「まずは」も含めて探ってみます。
当然「まずは」だけだと意味不明なので、自己啓発書でよくある文脈になぞらえて補足します。以下のような定義になるかと思います。
(何かやりたいことがあるなら、悩んでいないで)まずは、行動しましょう
簡単に言えば「悩むくらいなら、動こう」という感じでしょうか。改めて、この状況で行動しなかったらどうなるのでしょうか?
表面的にはなにも起こりませんが、何も行動しなかったとしたら「悩んでいる」という状態も変わらないことになります。つまり、行動しないことにより悩み、迷っている状態もそのまま維持されます。
このように考えると、
・悩んだり迷う時間
・悩んだり迷う労力
・悩みや迷いから生まれたストレス
行動しないことによりこういった状態が中長期的に続くことで、自分自身の精神状態やパフォーマンスにネガティブな影響を与える可能性があるかもしれません。
例を使って考えてみましょう。
例)自分は教育関係の仕事が向いている気がする。だから、絶対に教育業界で働きたい。でも、経験もスキルもないから転職できるかどうかわからない…
このような目標に対し、悩んでいたとします。
そうすると、目の前の仕事に気持ちが乗らなそうですしパフォーマンスも上がりにくいかもしれません。
そしてこれを放置していると、さらに悩みは膨らんで、
「教育関係の資格を取った方がいいのかな?」
「業界が変わるけど今の年収より下がらないかな?」
「そもそも、教育関係は本当にやりたい仕事なのかな?」
このように芋づる式に悩みがでてきます。すると、時間が過ぎていくことはもちろんのこと、悩み、迷い続けることにより、精神的にも疲弊してくるかもしれません。
このように、表面的なデメリットは無いかもしれませんが、内面的にはデメリットのようなことが起こる可能性が高そうです。
❚では、行動するどうなる
行動しないことのデメリットはある程度明らかになりました。一方で、行動することで何が起こるのでしょうか。
ここまで堅苦しい例えが多かったため、すこしカジュアルな例で考えてみます。例えばこんな感じ。
例)エスニック料理を食べてみたい。でも、口にあうかどうか心配...。
こういことって、あるっちゃありますよね。この場合、実際に食べたら(行動したら)どうなるのでしょう?
確かなことをいくつか挙げるなら、ひと口食べることで「味」「食感」「匂い」「好き嫌い」こういった事はわかります。
そして「自分はもう少し甘めが好きかも」「自分はパクチーは苦手かも」このような判断もできます。
すると、「次回からは辛さ控えめにしよう」「甘口のものを注文するようにしよう」「パクチー抜きにしよう」というように、悩み、迷いのその先の対応ができます。
ここで最も重要そうなことは、これらの情報は一口食べてみるまではわからないということです。
少し話を戻して、先ほど例に挙げた「自分は教育関係の仕事が向いている気がする。でも、経験がないから転職できるかどうかわからない」このパターンでも考えてみます。
この目標、悩みを抱えた人が、試しに教育関係で働いてみるとします(現実的に考えるなら、教育系のボランティアへの参加。知人向けに教育系の勉強会を開催などでしょうか)
すると、
・自分は教育が好きなのか嫌いなのか
・自分にどのようなスキルや経験が必要なのか
・教育の分野でもどういったジャンルに関心が高いのか
試しに働いてみることで、こういった事はある程度、明らかになります。
そして、行動を起こすことで少なからず、好き嫌い、得意不得意といった事もクリアになります。
さらに、行動の結果「自分は教育ではないかもしれない」そう思ったとしても「今の仕事に全力を尽くそう」と思えるかもしれません。
あるいは「やりたいことは教育ではなかったけど、社会的に弱い立場の人をサポートをしたいのかれもしれない」こういった自分の本心に気づけるかもしれません。
善し悪しは別として、こういった気づきや発見は、「まずは」で行動できたからこそ獲得できるものだと考えられます。
逆に、何年もかけて散々悩んだ結果「やっぱこれじゃなかった」こうなったらなかなかの悲しいですよね。
❚行動と行動じゃないもの
ここまで「行動しないとどうなるか?」「行動するとどうなるか?」こういった事は考えてみました。ここで一通りクリアになった気がするのですが、やや気になることがあります。
それは、行動の定義に書かれている「実際に」というやつです。
行動とは、あることを目的として、実際に何かをすること。
なるほど…。
行動とはある目的として何かをすること
ではなく、
行動とは、あることを目的として「実際に」何かをすること。
このように、わざわざ「実際に」と書いています。
これはどういうことでしょうか?この文脈から考えると、「実際」と「実際でないもの」が存在すると言うことが考えられます。
「実際」とは何か、ググってみました。
実際とは、思考ではなく事実。想像や理論でなく、実地。
ほう。
つまり大きく言えば、理屈や理論を学んだり思考するようなインプット系は「実際ではないもの」と定義できそうです。例えば以下のような行為が挙げられます。
・理屈や理論を勉強する
・書籍を読んで学習する
・脳内でシュミレーションをする
・セミナーやワークショップで情報収集する
これらは思考や想像という行為にカテゴライズできるので、端的に言えば「行動していない(実際ではない)」ということになります。
一方、目標やゴールに直結する行いは「実際に動いている(行動している)」ということになります。
・理屈や理論を実践する
・その場に行って体験する
・学んだことを実践する
もう少しわかりやすくするために、先程の「エスニック料理を食べてみたい。でも、口にあうかどうか心配」というケースで、再び考えてみます。
◯「実際には行動できていない」パターン
以下の行動は、一見、行動しているようですが「エスニック料理を食べたい」という目標に直結する行動をしていないので「エスニック料理が自分の口に合うか」この悩みがなくなる事はありません。
・お店の人に味について聞く
・エスニック料理屋の口コミを見る
・エスニック料理の本を買って読む
・食べた後どんな気持ちになるか想像する
・お腹をくだした時のために薬を買っておく
・エスニック料理に使われる香辛料を調べる
・香辛料が自分の体質に合っているかをググる
このような感じでしょうか。
一方の実際に行動しているパターンでは、どのような行動が考えられるのでしょうか。
◯「実際に行動できている」パターン
以下の行動は「エスニック料理を食べたい」という目標に直結する行動をしているので、ひと口食べた瞬間に「口にあうかどうか...」という悩みは解決します。
・食う
このような感じでしょうか。
こう考えてみると行動した結果、迷いがクリアになっていたら行動できている。悩みや迷いがクリアになっていなければ行動できていないという指標も考えられます。
いずれにせよ、この線引きはややわかりにくいので「行動をしているつもりでも、実際には行動できていない人」が世の中には一定数いるかもしれません。
なぜ「まずは、行動しましょう」なのか?の問いに対する解をまとめると、以下のようになるかと思います。
掲げている目標に対し、直接的な働きかけをすることで、自分自身が歩みたい道がより鮮明になる。だからこそ、まずは行動をすると良い。
❚偉人も言っている
行動に関しては偉人たちも色々と言葉を残しています。
今から500年前の中国で生まれ、行動の哲学とも言われている「陽明学」。
この中でも「知行合一(ちぎょうごういつ)」という言葉が綴られています。
知行合一とは、知ることは行為の始めであり、行為は知ることの完成である
これだと少し分かりにくいですが「行動を伴わない知識は未完成である」と言い表されます。
他にも、伊藤博文、久坂玄瑞、高杉晋作などを輩出した松下村塾。ここを主宰した吉田松陰もこのような言葉を遺しています。
考えていても行動できていないのであれば、考えてないのと同じです
さすが松蔭先生、力強い言葉ですね。
さらに、寓話でも語られています。
◯ビュリダンのロバ
空腹のロバが左右ふた方向に分かれた辻に立っています。
片方の道の先には干草の山。もう片方の道の先には水が入ったバケツとの間に立ちつくし、干草か水かを選ぼうと、左右を何度も見ていました。しかし、結局どちらかを選ぶことができず、空腹と水分不足で死んでしまいました。
右か左かを選ぶことができず、死んでしまうのは馬鹿げた話のように聞こえるかもしれませんが、実は私たちもこのロバのように迷ったり悩んだりしたことがありますよね。この話の教訓は『実際に行動する方が、行動した結果よりも重要なことが多い』ということを示唆しています。
あらゆる時代、あらゆる人達によって「まずは、行動しよう」ということが語り継がれてきたんですね。
❚話をまとめると
今回もかなり長文になってしまったので、前半部分を忘れてしまった方もいるかもしれません。ですので、ここで一旦全体を整理します。
今回は相談者と回答者という対話形式でまとめます。
まとめは以下のとおりです。
相談者「私は将来、独立したいと考えています。ただ、自信がないのでちゃんとやっていけるかどうか・・・。
実際、色々と調べてみたりしているんですが、なかなか前に進みません。どうしたらいいでしょうか・・・。」
回答者「口はいいから、手を動かせ」
以上!
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