分断
「社会」って、何だと思います?
大学の頃、ゼミの担当教授から問われたことがある。当時、社会学部の学生であった僕は、恥ずかしながらちゃんと答えることができなかった。
「社会」とは元々、人々の共同体を指した言葉です。だから、人間が3人以上集まれば、そこは社会になるんですよ。
ほぉ、なるほど。教授の言葉にもっともらしく頷いてみたものの、具体的なイメージはなかなかピンとこなかった。ただ、社会について考えるという視座は、その後の僕の人生に大きく役立つことになる。社会学に出会っていなかったら今の僕がいないのはたしかなことだ。
社会学者の橋本健二さんは著書『新・日本の階級社会』のなかで、日本の格差社会の現状が既に階級社会と化していると指摘した。加えて、日本の階級社会化は、これまでの歴史が経験してきた階級社会とは異なる構造が生まれているのだ、と言及している。
階級と言われると「貴族のおまんざーい」と唱えながらグラスを交わすヨーロッパ諸国のイメージしかないのだが、どうやらそうではないらしい。僕たちが直面している階級社会は、職業や収入、生活実態や意識、思想の違いによって、統計的にカテゴリー分けできるようなのだ。つまり、生まれながらにどの階級に属するのかといった、旧態依然の「階級」とは色合いが異なる。「階級」って言葉を使うから、ちょっと変な感じがしちゃうんだな、きっと。
隣の芝は青く見える。自分の生きてきた道で自分がカテゴライズされてしまうのは気持ちいいものではない。そのため、現代の階級社会は階級間の対立が生まれやすく、政治的な対立にもつながりやすいと著者は指摘する。小泉政権下を思い出してほしい。社会保障やセーフティーネット強化より労働の規制緩和や富裕層減税に重点を置いた自民党は、富裕層から大きな支持を得た。格差拡大の政策を推進しながら、政界・財界寄りの識者やメディアはこぞって「格差は拡がっていない」と、その事実を認めようとしなかった。本書では詳細なデータから、格差拡大が与えた支持政党への関係性についても鋭く切り込む。
社会学者の鈴木謙介さんは、随分前から著書やインタビューなどで「社会の分断」について語っていた。分断とは、自分の見えている範囲だけが社会のすべてとなってしまうことで、視界の外側の世界へ接続できなくなってしまう状態だ。例えば、TwitterやFacebookのタイムライン。タイムラインに表示される情報が自分で選択したユーザーのものであることを忘れてしまうと、ついついそれが世の中すべての流れなのだと勘違いしてしまう。自分の職場が過酷だとグチっても、多数のフォロワーから「そんなのまだまだ生ぬるい」と言われてしまうと、問題が労働環境なのか自分の怠慢なのか見分けがつかなくなる。労働環境に問題があると気づいても、具体的にどう行動を起こせば問題提起できるのかわからないし、そもそも自分が社会のネットワークと離れてしまっていることにすら気づかない。「社会の分断」が日常として起こってしまっている、というのだ。
こんなことばかり書いてると、どんどん暗い話になってしまいますねー。
あー、やだやだ……。
個人と社会に分断が起こっている状態で、社会にも階級化の波が押し寄せています。まさにダブルパンチの状況。この変化に付いていくため、まずは現状をしっかり認識することからはじめよう。そんな人に、ぜひ本書をオススメします。本書には目新しい理論や画期的な解決法が記されているわけではありません。社会学独特の統計データを基にして、日本社会の現状分析が緻密に行われています。「だから、どうしたらより良くなるのか」と結論を優先する人にとってはつまらない本かもしれません。
とはいえ、私たち一人一人の目から見えている社会の現状には既に「分断」が起きています。分断の向こうにも、僕たちの共同体は続いているのです。対岸かと思ったら、実は地続きだったりしちゃうんですね。まずは、僕らが立っている場所全体が今どうなっているのか、俯瞰して見るところから始めないと、仕事でもプライベートでも判断を誤ってしまいます。今を知るための知識を提供することは、社会学の大きな役割のひとつです。データ量がちょっと多めで苦手な方も、ほんの少しだけ我慢いただきぜひご一読いただきたい。