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プライドを捨てる方法

今回は、人間なら誰しも持っているであろうプライドについて考える

結論から言うと、
プライドはないに越したことないと思う。その代わりに自分だけの美学を持つべきだと思う。

これに関して詳しく説明していく

この二つには大きな違いがある。
プライドは、他人の目を大事にする考え方で、
美学は、自分が美しいと思う生き方を大事にする考え方だ。


プライドの例

プライドにもいろいろある。見栄を張る行為もその一つだ。高級車や、豪邸、ブランドの服などは、それが持つ機能性や快適性以上に、”人に見せつけるため”といった側面があると思う。

物質的な話だけではない。社会的地位や職業などもそうだ。社会的地位が高い職業もあれば、低い職業も存在する。しかし、映画「グッドウィルハンティング」では、工事現場の解体作業と大企業や政府の仕事を比べられて、怒った主人公が「職に上下はない」と言い放つシーンがある。その通りだ。この世は、たくさんの人の仕事で成り立っている。どの仕事も役に立っている。しかし、年収という数字だけで見るせいで、仕事に上下があると勘違いしている人もいる。

ほかにも、すぐ謝れない人などもいる。自分のミスを認めないという気持ち。尊厳を失いたくないのだ。

共通して言えるのは、「自分をよく見せたい」という気持ちから生まれるものだということだ。他人からどう見られているかを重要視している気がする。その指標として、社会的地位、年収、ブランド、学歴などがつかわれる。これらを持っていると、俗にいう”勝ち組”という部類になる。

しかし、この考え方は、”資本主義における成功例”のようなもので、必ずしも幸せとは結び付かないし、他の生き方でも十分幸せに生きることができる。数字で人生の豊かさは測れない。実際、プライドがあるせいで生じる問題も多い。

プライドをもつことがよくない理由

プライドを持つことが問題なのは、価値の判断を他人にゆだねているところにある。よく見られたいから、カッコよく思われたいから、という理由で、高い物ばっかり買う人は、他人の目を気にしすぎている。本当に自分の心から気に入ったものを持つべきだ。

プライドが高い人は、たいてい自分にとても価値があると思っている。だから、尊厳を失いたくないし、舐められたくないのだ。しかし、それは社会的地位などのつくられた判断基準で作られたものにすぎない。他人の目や、数字の指標だけで自分の価値を測らせるなと言いたいのだ。

そのために、自分の価値の判断基準を、他人から自分に変えることが必要だと思う。

自分だけの美学を持て

プライドを捨てて、他人の目を気にしなくなると、とにかくいろいろ楽だと思う。物質的な豊かさに執着することがなくなって、人間としての本質的な豊かさに目を向けられる。なにより自分が納得のいく生き方を選べるのがいいと思う。

美学というのは、自分が美しい、かっこいいと感じる自分だけのルールである。それは理想の生き方にも通じる。
例でいうと

・努力を見せない
・人の悪口を言わない
・他人に依存しない
・食べ物を残さない
・誰にでも平等に接する

などがある。自分が美しいと感じる考え方や行動を決め、それを貫く生き方はどうだろうか。プライドを捨てるのが難しいと感じる人も、美学さえ持っていれば、社会的評価や人の目を気にする必要もなくなり、自分の自信や価値を見失わなくて済む。

さいごに

人間は自然体が一番魅力的だと思う。社会的地位という指標のせいで、つい背伸びしてしまうが、その必要はないと思う。プライドや見栄で、自分をよく見せようとしても、結局自分を苦しめるだけだと思う。だからこそ、プライドを捨てられれば楽になるはずだ。

他人の目を気にして偽りの自分を演じるよりも、自分の満足のいく生き方で堂々とする方が絶対いいと思う。

あなたが納得のいく生き方、楽な生き方をしたいのであれば、今回紹介した方法は役に立つと思う。




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