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第2章 未知の風景を探求すべし!

<自然と人のダイアローグ展> 第2章のテーマは「彼方への旅」。
いつも、展示会場に設置された “見どころ” パネルはあまり読み込まないようにしています。今回も 斜め読みして自分流にざっと把握。
「第2章では、画家の心象や観念に結びついた自然風景を求めて、現在・過去・未来、そして現実・空想・物語の中へ旅をしてみましょう!」
ふむふむ。
私がまだよく知らない画家たちの作品も楽しみたいと思います。
(冒頭の画像は、左からフリードリヒ、ドレ、ベックリーン、モロー)

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スタートは、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774-1840年)。
初めて『雲海の上の旅人』(下・左の作品)を画像で見たとき、いつの時代のどこの国の人が描いた作品なのか全く想像できませんでした。現代アーティストが、わざと少し古い時代の画風で描いたのかもしれない…。私の中で「謎の人物」リストに入っています。

[参考]フリードリヒ・左)『雲海の上の旅人』、右)『氷の海』
※今回は展示されていません

いずれの作品も、ただならぬ世界観なのです!
これは…。別の機会にしっかり勉強せねばなりませんね。
今回は出展作品だけに触れさせていただきます。

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ『夕日の前に立つ女性』1818年頃

メインビジュアルにもなっている作品は、思いのほか小さくてびっくりしました。22×30.5cmというのですから、ほぼA4サイズ!
「もっと大きい作品だと思った」ということは逆に考えると、小さなカンヴァスに壮大な景色を描いている、ということなのですね。

この作品は、描かれているのが “夕日” なのか “朝日” なのか、その解釈によって題名(『夕日の前に立つ女性』 or 『朝日の前に立つ女性』)が変わってくるのだそうです。
この争い(?)を事前に知っていたので、展示会場でも ついつい そういう観点で鑑賞してしまいました。

うーーーん。確かに、全体の色合いは夕日を思わせます。
しかし夕日を前にすると、過ぎ去った時間を振り返ったり郷愁の念を覚えたり…。人は感謝や安らぎを感じて体の力が抜けるのではないかしら。。。
一方で、作品に描かれている女性は何とも凛とした立ち姿勢。放射状に広がる朝日を浴びて全身に力をみなぎらそうと手を広げ、これから始まる一日に向かう覚悟と決意を感じるのです。
私は『朝日の前に立つ女性』に一票!投じます。

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続いて、フランスの “挿絵(白黒の版画)” 画家、ポール・ギュスターヴ・ドレ(1832-1883年)。
15歳から画家として活躍したドレが、16歳(⁈)で初めてサロンに入選した油彩画は、彼の故郷アルザスにある、アカマツや樫が自生する広大なアグノーの森を描いた作品だそうです。

ギュスターヴ・ドレ『松の木々』1850年(全体と部分)

画面下の中央で、大きな赤松を見上げている男性と一緒に岩場に立ってみてください。なかなかの迫力です(画像では全く伝わらないのが残念)。視界に入るのは、大木たいぼく、その横にはとてつもない巨大岩、遠くには山々と空に浮かぶ雲のみ。まさに自然と共に生きている人間が、自然の偉大さに圧倒され畏怖の念を覚えるという有史以前からの姿として描かれています。この“油彩” 画、良いですね。

ギュスターヴ・ドレの作品は、常設展で観たことがあります。
『松の木々』と同じ画家が描いたとは思えないほど作風が異なっていますねぇ。

[参考]ギュスターヴ・ドレ『ラ・シエスタ、スペインの思い出』1868年頃
※現在は常設展にも展示されていないようです

すでに “挿絵(白黒の版画)” 画家として成功していたドレが、書籍『ドン・キホーテ』(セル・バンテスト)の挿画制作のために1862年に旅行したスペイン。その時の思い出を描いた “油絵” は、光と影を明確に対比させながらも、オリエンタルな独特の空気が漂う、不思議な魅力を持っています。
しかし。絶大な評価を博したスペインの作品は この “油絵” ではなく、雑誌『世界旅行・スペイン』(1875年)のためにドレが描いた “挿絵” でした。

“油彩” 画家としての成功を夢見ていたドレは、『松の木々』のような峻厳な山岳風景などを主な題材とする大型の “油彩” 画に生涯取り組み続けたそうです。
しかし、1863年にはエドワール・マネ『草上の昼食』『オランピア』によって大きく転換していくことになるフランス画壇で、ドレの “油彩” 画はなかなか受け入れられなかったのですね(涙)。
いつの日か、ドレの挿画版『ドン・キホーテ』を読んでみたいものです。

[参考]左)『ドン・キホーテとサンチョ』、右)『風車に突進するドン・キホーテ』
※今回は展示されていません

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次はスイス出身の画家・アルノルト・ベックリーン(1827-1901年)の作品
(こちら、撮影禁止だったため、図録の該当ページを撮影しました)。

ベックリーン『海辺の城(城の中の殺人)』1859年

(城の中の殺人)という副題を知らずに作品の明るい部分を見ていると、美しい風景画です。朝焼け(夕焼け?)に染まった雲や建物、そして柔らかな光に照らされた小花たちが愛おしい作品です。

キャプションに目を移すと(城の中の殺人)⁈。そしてあの、ベックリーン⁈。
おおーっ。画面左下に目を凝らすと階段に倒れて死んでいるらしい人の姿、浜にはボートに運び込まれようとしている人も見えてきました(画像では暗くて見えにくいかも知れません)。そういう作品なのですね。
私の「謎の人物」リストに登録されている画家・ベックリーンの代表作がこちらです。

[参考]左)『死の島』1880年、右)『ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像』1872年
※今回は展示されていません

なぜ『死の島』はあれほどまでに人気となったのか。。。
常に “死” を予感させるベックリーンとは何者なのか。。。
別の機会に探究してみたいと思います。

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おっ!ギュスターヴ・モローの水彩画です。

モロー『聖なる象(ペリ)』1882年(全体と部分)

ギュスターヴ・モロー『カタログ・レゾネ』の裏表紙に使われているというこの作品は、ペン(?)で描かれた水辺の植物が美しい✨。
妖精と動物や植物が共に生きている世界は、現実なのか神話の世界なのか…。
2019年 パリにあるモロー美術館を訪れた時、「目に見えない概念を視覚化した」作品群に圧倒されました。それ以降、機会があれば少しずつ資料を読んでおりますが、まだまだ彼を理解するには至っておりません。
探究の旅は続くのです。

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さてさて。
第2章、最後のスペースは「森」でした。

左)ロヴィス・コリント『樫の木』1907年
右)クリスティアン・ロールフス『森の中』1901年

2018年に国立西洋美術館が新しく収蔵した、“ドイツの印象主義” の代表者ロヴィス・コリント『樫の木』(画像左)。常設展で観たときは まだ日本の美術館に馴染んでいなかったのか、ちょっと違和感を覚えました。

しかし今回。
少し狭いスペースに、他の画家たちが描いた “森” と並んで展示されていた『樫の木』は、とても生き生きしています。ドイツ人にとって「森」は神聖な場所であり、特別な思いがあるのですね。

展示室内の壁にオーストリアの詩人リルケの言葉を発見しました!

失われた自然を そのままにしておきたくない ほかの者たちは
これをあと追いし いまや意識的に 集中した意志を費やしつつ
子どものころに はっきりとは 知らないで近づいていたようにして
それにふたたび 接近しようと 試みるのである

ライナー・マリア・リルケの言葉より

子どもの頃は何も考えずとも、無意識のうちに自然に溶け込んでいたのかも知れませんね。
難しいのですが、何となく、何となくわかるような気がしてメモを取りました。

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第2章。
未知の画家たちをもっと探求するように!」と、課題をいただきました。

第3章に続きます。

<終わり>

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