「満州から日中戦争」と「アジア・太平洋戦争」を読んで
GW中、遠出をしたのでバスや電車の中でひたすら読書をしていた。
この記事では、岩波新書から出版されている「アジア・太平洋戦争」と「満州事変から日中戦争」を読んだため、それらのレビューをしていきたい。
1.本の概要
まず、本の内容を簡単に要約すると、大衆や政治家、官僚と軍人たちがメディアを介して戦争を始めたこと、戦争をするために軍部や政治家が法律などの理屈を持ち出すが、理屈には民衆と軍人たちとの間で齟齬が生まれるように説明していたこと、戦争によってアジアの各地に犠牲をもたらしたが、それは過去の昔話ではなく、日本では岸信介の政界復帰や韓国では朴正煕が大統領になるなど、現在にも受け継がれているということである。
次の章では戦前(大日本帝国)の残党や末裔たちがいかに戦後も生き続け影響を与えているか、ということについて私が考えたことを書こう。
2.加害性の忘却
1931年9月18日、関東軍は満州事変を起こした。
具体的にいうと、満州に駐屯する関東軍が柳条湖で、南満州鉄道を爆破する事件を起こした。
そして、自身が引き起こした事件を中国軍の仕業と誤報を流して、中国東北部の都市を攻撃して占拠した事件である。
その後、日中戦争に突入し南京事件を引き起こしたり、重慶爆撃をするなどして、多くの中国大陸の人命を奪った。
日中戦争が行き詰まると国連脱退や国際社会での孤立もあって資源不足に陥る。
そんな日本軍は東南アジアに侵攻する。ゴムやボーキサイトを収奪するためである。このときに掲げた大義名分は「自衛」のためであるが、やがて「アジアの解放」を掲げたものの一貫性に欠けていることには変わりない。
当時は民族自決が思想としてあったため、欧米列強と植民地との間で独立の取り決めがあったものの、日本軍が押し寄せたため植民地は大日本帝国の傀儡となり、独立運動は日本軍によって弾圧された。
以上が日本軍の加害の歴史である。
勿論全て書いたわけではないため、記事の読者の皆様には本書を読んで確認されたい。
中国大陸では南京事件や重慶爆撃、細菌戦によって被害を与えた。
東南アジアではアジアの解放を名目に傀儡政権を樹立したり独立運動を弾圧したりした。
日本軍の悪行はそればかりではなく、軍人の徴兵検査をするのだが戦場には不向きな病弱な男性を徴兵し軍隊の質を下げたり、ろくな配給もなく部隊を全滅させたりという具合だったという。
今日の教科書にそれらのことが記載されているだろうか。
例えば、沖縄戦の記述であるが日本軍が沖縄県民を米軍のスパイだと決めつけて殺害したり、壕から追い出して米軍の砲火に晒したり、集団自決を強要したりしていた。
だが、近年ネットニュースを見るとそれらの記述が削除されていたのだ。
右派はよく「韓国や中国はいつまでぶり返すのか」というが、教科書から自国の過ちを削除する国家が反省しているといえるのだろうか。
3.大日本帝国軍軍人の美化
特攻隊をテーマにしたフィクションは多く見受けられる。
だが、私はその描き方に欺瞞を感じる。
大抵、彼らは家族のため、国のために命を捧げて、未来が良くなることを信じて笑顔でさわやかに飛び立つ。
我々はそんなフィクションを見て涙を流すわけだ。
そして、今日の日本の平和に感謝して現実に戻ってくる。
なるほど、若者が命を散らすのを見て今の平和に感謝することは一見正しいように思える。
だが、本当にそうであろうか。
戦争とは人災である。
自然に発生するものではなく、経済的困窮、差別、資源獲得が理由にせよ軍事行動を起こす意思決定があるのだから人為的なものである。
つまり、責任者がいるというわけだ。
では特攻の責任者はどうなったであろうか。
少なくとも大西瀧治郎は切腹したらしい。
だが、私は切腹せずに生き延びて欲しかった。
恥辱に塗れてでも自身の罪と向き合い原因や説明を語ってほしかった。
だが、今はもう遅い。
話を戻そう。
多くの者は責任を取らずにいた。
確かに特攻兵の中には志願兵もいたが、全員が志願されたわけではない。
日本特有の同調圧力や「空気」で志願せざるを得なかった状況があるだろう。
特攻した彼らには恋人がいただろうし、母親もいたことだろう。
特攻兵の中にはエンジンの不調を訴えて帰ってくるものがいたり、動揺しすぎて外されるものがいた。
彼らのような若者がいたのだ。
その彼らの苦悩や絶望を「英霊」という言葉は消しているように思える。
4.「あの戦争で亡くなった方がいるから」という欺瞞
日本軍が無条件降伏した敗戦日8月15日に私はある言葉を耳にする。
「今、私たちが生きているのはあの戦争で亡くなった方がいるから」と。
私はその言葉に欺瞞を感じる。
まず、前章で書いたように「英霊」という言葉は戦没者の苦悩や絶望をきれいさっぱり取り除いた言葉であることだし、戦争を天災のように責任者がいない者として扱っているように思える。
あの戦争で亡くならなければ、もっと日本は豊かになっていた可能性があるという観点からだ。
特攻で亡くなった数は6371人に上る。
そんな彼らが誰かと番い子供を育てていたら、私たちの住む日本とは違うパラレルな日本人が存在していたと思う。
また、彼らは若く優秀な者も中にはいたから、日本は今とは違う発展をしていたかもしれない。
第一、あの戦争で亡くなった方は戦後に何かをしたわけではないし、戦後日本を発展させたのは生き残った方である。
よって、「あの戦争で亡くなった方がいるから」という文言は私には以下のように見受けられる。
「英霊」という言葉を使うことによって、責任者の不在、戦没者の苦悩や絶望をそぎ落としている点
亡くなった人が亡くなっていないもしもの日本を想像できない点
過去を美化し現在を過小評価する点
これは、責任を取るべき事態なのに責任を取らず、避けようがない運命だったと自身に言い訳しているということである。
だが、戦争は決して避けようがない運命(人智を超えたもの)ではなくて、人間の頭のなかでシミュレートした結果生まれる暴力なのである。
「英霊」という言葉で作戦や軍事、政策を決定した者たちを免責し、亡くなった人が生き残っていたら豊かになったかもしれない、ということすら想像できず、戦争で亡くなった者たちを美化する一方、戦後すぐから現在に至るまで国を支えてきた庶民を軽んじる。そんな他人事な態度を正当化しているのが「あの戦争で亡くなった方がいたから」という決まり文句だ。
戦争を運命や天災のように扱っている内は、日本は改憲しないほうが日本のためだと私には思える。
5.最後に
ではどうすれば良いか。
答えは「戦前・戦中への復讐」である。
ただし、復讐といってもrevengeではなくてavengeである。
この記事では特攻を主導したにも、戦争に関わったにも関わらず、免責されて生き延びたものがいると説明した。
彼らは天寿を全うしているので法で裁くことが出来ない。
だが、歴史上では裁くことが出来る。
彼らの罪を解き明かし、教科書にのせて子供だけでなく大人も学んでいく。
歴史だけでなく今の政治家が他国と無駄な緊張状態を作っていないか確認すること、デモに参加したり募金に参加すること、自由や人権に反する政治家がいた場合は強い言葉を使ってでも批判する、こういう地道な活動をすることが平和的かつ合理的に行える復讐ではないだろうか。
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