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閃光のハサウェイ 感想

テレビで閃光のハサウェイが2023年1月15日から2月5日まで4週間にわたって放送された。
今回の記事では閃光のハサウェイのテレビ版そして今更ながら劇場版についての感想を書いていきたい。

1 劇場版の感想

そもそも劇場で視聴したのが2021年の7月であるため、その時の感想を今思い出すのは難しいが、なるべく思い出してみる。
まず、市街地でのモビルスーツ同士の戦闘が怪獣映画のように感じられた。モビルスーツ同士のぶつかり合う音響は劇場ならではの臨場感だった。我々視聴者は当然モビルスーツ同士がぶつかる音なんて聞いたことがない。それにも関わらずモビルスーツ同士がぶつかり合う音、重力下でも自由に飛び交うペーネロペーとΞガンダムの怪鳥のようなスラスター音。道路にビームの粒子が落ちて溶けていく音や熱の質感。
これらの音響がモビルスーツ同士の戦闘にリアリティと恐怖感をもたらした。
また、巨大なモビルスーツが暗いスクリーンで何をしているのか分からないことも、リアリティやモビルスーツ戦に巻き込まれることの恐怖感を与えたのだろう。
モビルスーツ同士の戦闘に市民が巻き込まれて死ぬことは、ガンダムF91で大きい薬莢が逃げ惑う親子の母親に当たって死んでしまったり、バグで一般人が攻撃を受けて死んでしまったりと、富野作品ではあることだ。
だが、モビルスーツという巨大な体躯を持つ物体というよりも、ジョジョのスタンドのようなキャラクターとしての側面もあった。それが大きな物体が動き回ることにより生じる惨劇として描いているのは新鮮だった。

2 テレビ版の感想

テレビ版については、放送されるまでは少し不安だった。ただ短くするだけなのかと思った。
映画版は映画館で上映されるために作ったのだ。
キャラクターの会話しかり戦闘シーンしかり。
そのためテレビ版を放送するといっても不安だったのだ。
テレビ版は楽しむことが出来たのが正直な意見だ。それは純粋に作品を視聴して楽しむというよりも、タイムラインを追いかけて周囲の反応を楽しむといった感じだ。例えば、富野アニメにはエキセントリックなヒロインが登場するが、ヒロインたちのエキセントリックな台詞を楽しんだり、周囲の感想を見るという楽しみ方だった。

3 小説版含めての感想

閃光のハサウェイの感想を小説版含めて書いていきたいと思う。閃光のハサウェイは原作が小説であるため、小説で読むのがおすすめである。小説というものは自分で作品の時間の流れをコントロールできるからだ。難しい台詞や分かりにくい戦闘シーンを読むことが出来る。しかしながら原作者の富野由悠季の文体は癖が強いため、読みづらさで有名である。だから、映像化は結構ありがたいのだ。

閃光のハサウェイで印象的だったシーンはハサウェイとタクシーの運転手のおっちゃんとの会話シーンである。
この会話シーンはハサウェイがマフティーの理想を擁護するが(勿論自身がマフティーであることは隠しながら)、その日暮らしで忙しいタクシードライバーに「暇なんだね」の言葉で否定されるものである。
このシーンはマフティーの理想と現実の齟齬、マフティーと庶民との意識の違いやマフティーの活動が庶民には娯楽や官僚への憂さ晴らしとして受け入れられていることを表している。
このシーンでタクシーの運転手は視聴者から全面的に肯定されている。ハサウェイがテロリストでタクシーの運転手は庶民(つまり我々に近しい)だからであろうか。
だが、私はこのシーンにおいて原作者である富野氏がハサウェイは勿論のこと、タクシーの運転手、つまり我々視聴者のことも批判していると考える。
その理由を今からあげる。
まず、タクシーの運転手は大人である。
大人であるなら子供もいるだろうし、社会の流動や情勢に注目しなければならないだろう。
それなら、作品の地球の状態や社会の情勢について、考えを持っていなければならないだろう。
それが社会を動かしている者の責任であろう。
だが、このタクシーの運転手は日銭を稼ぐのに精一杯であり、政治や社会のことを考える余裕にない。
また、地球環境保全のために全人類が宇宙へ旅立つべきという意見に対しても、パラオは汚染が酷くないからパラオだけで暮らしていけるだろう、と短絡的な意見を言っている。だが、これらの短絡さは貧困から生じており、貧困は運転手のせいではなくて地球連邦政府の責任であろう。
貧困を国民の責任に転嫁する政治家や財界人がいるが、税金をとったり通貨を発行したりと大きな流れを生み出しているのは彼らの方なのだから、政策の失敗が原因だろう。
話を戻そう。
運転手は日銭を稼ぐのに精一杯であるため、忙しくて政治や社会のことを考える暇がない。
これは今の我々そのものではないだろうか。
仕事は忙しくて夕食はファストフードなどの安くて早いものばかり、得る情報はネットやそれの情報を垂れ流すだけのテレビ、そのため仕事の知識は増えても、社会のお金や政治の知識はないため、ワイドショーなどの扇情的な番組で知る。
國分功一郎や斎藤幸平が民主主義のためには暇が大切だと言ったのをYouTube で聞いたことがある。
暇でないから熟慮が出来ずに熟議が出来なくなり、人気取りやノリと勢いだけのものが政治に参加する始末。
そんなことだから暴力が政治に及んだとしても、ワイドショーで扇情的に放送されて消費されて終わる。
以上のことから我々がまるでタクシーの運転手のように思える。

4 結論

閃光のハサウェイは先見性のある作品だと思う。
貧富の格差は拡大するあまりその日暮らしで精一杯の者がいる者、官僚制や世襲制で組織が硬直化していることなど我々の今の社会の問題が描かれている。
だが、この小説の醍醐味は青春小説であることだと思う。
まず、マフティーのメンバーが青春を過ごしているのだ。
映画を観てマフティーの面々の若さと仲の良いサークルっぽさには驚いた。そのサークルも学生が活動しているもののようだ。富野由悠季は学生運動のとき体制側にいたが、小説では反体制を主人公としている。富野作品の大人は体制に所属しながらも反体制的な人物であるのだが……。
初恋の少女に囚われるハサウェイや年齢相応の女の子と大人が同居している不思議ちゃんギギ、インテリなマフティーのメンバー、バツイチのケネスがどんなに政治的な大義や理想を言っても、性欲や恋愛感情に翻弄されたり、戸惑ったりする。そんな青臭さが本作を青春小説にしているのかもしれない。
また主題歌の閃光の爽やかさ、歌詞の暗さや映像が青春小説に磨きをかけているかもしれない。
そんなわけで暗い青春小説を求める人におすすめである。


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