男が男を解放するために 非モテの品格 大幅増補・改訂版 感想
職場で女性社員が遅刻していた。
それにも関わらず男性社員と同様に早出手当てが付いていた。
文句を言いたい気持ちはある。
男子が遅刻したら厳しく叱る者がいた。
しかし、女子が遅刻したらあまり叱らなかった。
吐き気がした。
何故男性が遅刻したら叱られなければならないのか、女性は叱られることは無いだろうか。
何故私が女性に対するルサンチマンから記事を書き始めたのかというと私が読んだ本「男が男を解放するために 非モテの品格 大幅増補・改訂版」のレビューを書くためである。
1.何故ルサンチマンから書き始めたか
杉田俊介氏の著作「男が男を解放するために 非モテの品格 大幅増補・改訂版」を読んだ。
本書のテーマは男性の弱さと受容と葛藤であるが、男性の弱さや弱さの需要、葛藤は描けていると思った。何故ならば読めば読むほど自身の男性性やミサンドリーに陥りそうになり、自己肯定と自己否定の中で葛藤を引き起こしたからだ。
男性が常にマシーンとして扱われて、義手や義体は生活を送れるようにするためでなく、戦闘という任務を全うするマシーンにするためと書かれていた。確かに男性は非常時徴兵されるし、隣国の韓国では徴兵の保障となる支援がなくなったため若年男性にアンチフェミニズムの気風が高まっている。
本書で杉田氏が「子どもが男の子として生まれたら嫌だな」というミサンドリーを抱いたと言及している。
そのような考えを持ったということは、女の子だったら良かった、という女性性を無視したミソジニーにも陥っているように思えるのだ。
実際、著者はミソジニーには触れているが、男性のミサンドリーー自己否定ーーを執拗に記しているものの、それの裏返しとなる女性へのミソジニー、ルサンチマンについては触れていなかった。
女性へのミソジニーを見つめ直すためには、何故自分が女性にルサンチマンを抱いているのか、ミソジニーを抱いているのか記しても良かったのではないだろうか。
何故、書かなかったのだろう。
恐らく女性へのミソジニー願望、ルサンチマンを記すことは女性への偏見や蔑視に繋がるかもしれない、という危惧故であると思う。
ということで匿名なので発言の説得力が薄いと思われる私が女性へのルサンチマンが何故生まれたか書いていこうと思う。
2.掃除をさぼる女子
私が高校生だったころ、男子はトイレや教室を掃除していたが女子は何もせずにお喋りしていてばかりだった。
教師も注意すれば良かったのに何故か注意しなかった。
黒板にはチョークの粉末が飛び散っている。午前8時から使って15時過ぎまでずっと使っているからだ。
まず、チョークの粉を取り除くために子ぼうきを使って中央のチョーク入れに寄せていく(勿論チョーク入れは掃除する前に外しておく)
子ぼうきで取り除いてもやはり側溝にはチョークの粉末が残っているため、硬く絞った雑巾でチョークの余りをふき取る。
全て拭き終わったら洗い場まで行き、雑巾を表裏とも丁寧に手で擦りながら洗っていく。
以上が黒板チョーク掃除だった。
夏は水が冷たく心地よかったものの冬は暖かい水が出ないため冷たくて毎年肌が荒れたことを思い出す。
3.遅刻しても許される女性社員
半年くらい早出していたことがある。
朝作業があるためいつもより30分早く通勤して作業をしていた。
女性社員は始業時刻を過ぎているのにも関わらず、お咎めなしで記録上は業務時間通りとされていた。
恐らく私が遅刻したら大目玉であろうが、その女性社員が遅刻しても何もお咎めなしで業務時間も普段も変わらないということが腹立たしかった。
4.怒りの矛先
文字に書き起こしてみると掃除をさぼったり平気で遅刻する女は勿論悪い。
だが、そういった女たちに信賞必罰を当てはめずに触れない男たちも同罪だと思う。女に厳しくするのが男らしくないのか、女のズルを赦すのが男らしさとでも思っているかのように、注意・指摘しないのだ。
女を甘やかす男がいるにも関わらず、甘やかす男ではなくて女だけに目を向けて責め立てる、それが私のルサンチマンである。
男は厳しくされてささいなミスすら泣き言も許されないが、女は遅刻してもサボっても何も言われることはない。
勿論、それは私の半径5メートル範囲の話でしかないため一般化できないが、それでも私の価値観やミソジニーを強化して内面化するには十分だった。
女子に対してミソジニーを強化していた理由は甘やかされた女を見たからだけではなく、ホモソーシャルを保つため、マウントをとるために女子をオナネタとして消費していたのも事実であろう。
ホモソーシャル内でのマウントを取り合うため、甘やかされた女を見たこと、そんな女を甘やかす男への怒りと嫉妬が混ざり合った結果、ルサンチマンとミソジニーを固定化してしまった。
5.怪人化するべきか
私の中に眠るミソジニーやルサンチマンを成仏させるためにも書き出した。
だが、思春期に抱いて未だに長引いているからこのミソジニーは私にとって宿痾といえるだろう。
本書ではデルトロがリベラル思考にもハマれず有害な男性性に触れ続けた男性は怪物的になる、ということを記している。
いっそ、自身のミソジニーと付き合い、無能さや凶暴性を踏まえたうえで怪人化する、そのことは魅力的に映る。