ソロ旅オタクが年始に「人生で大切にしたいもの」について、本気出して考えてみた。
noteでは、「旅」と「自己解放」をテーマに発信しています。
年始に自分と向き合うジャーナリング(=内省時間)をしている中で、人生で大切なものについて、あらためて考えてみることにしました。
限りある人生、自分は何を大切に生きるのかを可視化して見つめてみることで、万人にはウケないかもしれないが、少なくとも自分には正直に生きたと胸を張って生きれると確信しました。
どなたの参考にもならないかもしれませんが、今年は、このような生の心を開示した記事も、少しずつ書いていけたらと思います。
それでは、どうぞ☕️
必要なものが分かっていれば、限りある人生の時間を無駄しなくていい
すでにサブタイトルで答えを書いてしまいましたが、必要なものが分かっていれば、限りある人生の時間を無駄しなくていいというパッションが、「何を大切に生きるか」という問いを考えたきっかけや背景です。
わたしが人生で大切にしているもの(2025年ver.)
家族・心から信頼できるパートナーとの時間
家族という近しい間柄だからこそ、時にぶつかり気に病むこともありますが、家族だからこそ、共有できる特別な感情や喜びが存在することもまた確かかなと思います。そして、この世にたった一人でいいから、自分を無条件に愛し、肯定してくれる存在がいるというのも、とても大きな心の支えになるものです。何もせずにあぐらをかいていて今後も変わらず選ばれ続けるとは思っていませんが、自分が相手にとっての最大の理解者であり続けられるように、弱き自分もまた相手によって支えられているという実感、持ちつ持たれつの関係であることそのものが、とても尊いので大事にしたいと思います。
価値観の合う少数精鋭の仲間
時に自分ごとのように、相手の人生に真剣に向き合ったり、時にお腹がよじれるくらいばか笑いをしたり。「仕事」や「同年代」というカテゴリーだけでは括れない、人生の友といえる彼らと過ごす時間は、本当にかけがえのないものです。特に美味しいものを共に分かち合っている時間はわたしにとってはなくてはならない人生の幸福度がMAXになる愉しい時間です。量より質の濃い関係が、自分の成長やモチベーションに繋がっていると感じます。
自由
何かを強要されることや、制限されることがとてつもなく苦手な人間なので、自由があることが人生においてはとても大切な要素です。平日の午後、突然のインスピレーションを受けてカフェに行き、自由にアイデアを書き出してみたり、何にも縛られない瞬間に訪れる独特な発想の広がりを楽しんだり。自由があるからこそ、自分らしくいられると感じる瞬間は日々の暮らしの中でとても多いです。興味関心の赴くままに、自由に学びたいことを追求し(リベラルアーツ)そこから得た知見を世のため人のために還元することがわたしの人生の理想系です。
旅
「世界中のまだ見たことがないあたらしい景色を死ぬまでの間に自分にたくさん見せてあげたい—」そんな欲求がわたしが旅を続ける原動力になっています。訪れた土地で感じた新しい文化や景色が、自分の世界観を広げてくれて人生が変わるような気づきを得たり、ローカルとのコミュニケーションを通して、その国・地域のことを深く知れたり、その場所でしか食べられないローカルな食事を楽しんだり、旅の中で偶然の出会いや発見があるからこそ、人生がより豊かになると信じています。
クリエイティブな仕事
5年前、27歳のときに、もっとクリエイティブな仕事がしたい、そしてエンドクライアントの方の力になれるようなクリエイターでありたい、と思い、会社を辞めて個人事業主になりました。性格上、答えがひとつに決まっている仕事、自分ではなくてもいい仕事をする時間はわたしにとっては苦痛を伴うので、自分が関わる仕事やプロジェクトには必ず小さくても「創意工夫の余地があるかどうか」という点をとても大切にしています。報酬が魅力的だからといって、お金に魂を売らない。関わる意義や魅力を見出せない仕事はしないと決めてこれまで歩んできましたが、その結果、その方がよりよい価値提供に繋がるし、自分のモチベーションも上がるので、5年目の今年もその軸は大切にしたいと思っています。
自己裁量
ここまで書いてきてもうお分かりだと思いますが、私自身、自我がとても強いタイプの人間なので、誰かや何かの形にはめられるのではなく、自分で選び、決めることが人生の幸福度に直結しているんだ、ということをここ数年のうちに学びました。そうすることで得られる充実感は計り知れません。一方で、責任感も自ずと生まれますが、最後まで自分で責任をとることで自分の人生を主体的に生きているという実感も強くなります。フリーランスとして、自分でスケジュールを組み、優先順位を決めて仕事をしていくことで、忙しい中でも自分が大切にしたい時間を捻出できたり、何よりも自分の手で人生をデザインしているという充実感がハンパないのです。
自己実現に伴う達成感と充実感
やりたかったことを達成していく喜び、できなかったことができるようになる喜び、成功体験を得ることで得られる充実感、自分が人生でもっとも喜びを感じる瞬間のひとつです。30代になって、もうやりたかったことはある程度やったと思って落ち着くのかと思いきや、20代の頃に拍車をかけるように、まだまだやりたいことがありすぎて、頭の中はいっぱいです。これからもひとつずつ目標やゴールをクリアしていくたび、自己実現に伴う達成感と充実感を得られると思うと、これからの人生も楽しみでワクワクしています。
まとめ:人生で大切なものについて、本気出して考えてみた。
以上、わたしが人生で大切にしているもの(2025年ver.)について、まとめてみました。
人生で大切にできるものはそう多くはないはず。誰もが皆、等しく24時間365日という時間を与えられて日々を生きています。
私もまた何かあったら、この原点に立ち返って自分が本当に大切にしたいものの優先順位を見極めていきたいと思います。
編集後記:「子どもを持つかどうか」についての現在の見解
先にお伝えしておくと、わたしは現在のところ子どもを持つ人生を望んでいない。ということが、ここ最近の自分との対話の中でハッキリと見えてきました。
理由はいくつかあるのですが、一番大きなウェイトを占めているのは、たった一度きりの人生、自己実現欲求を優先したい、という意向が強いことです。
私の中で、「自己実現欲求」と「人並みに子どもを産んで育てること」を中途半端に両取りするのは、なんか違うような気がしていて。
子どもをすでに持っている人やこれから子どもを持とうとしている人たちを否定するつもりは毛頭なく、自身の人生の方向性としては子どもを持たない選択をするだろう、ということが、輪郭を帯びてハッキリと考えがまとまってきたということを記しておこうと思いました。
子どもを望まない理由は、私自身がマイノリティーであるHSS型HSPという特性を持っていることで、外的な刺激に弱いこと、疲れやすいこと、感情が掻き乱されることを嫌うこと、またアダルトチルドレンとして育ったことで自身と同じ悲劇を自分の子どもに投影したくない、という思いがあります。
他にも、いくつか理由はありますが、ここでは割愛します。
私自身、内省的で自己実現欲求がとてもという強い人間である。というメタ認知をしています。
人生の最重要項目に「自由」を据えておいて、もれなく子どもも欲しいというのは虫が良すぎると思っています。
子どもを設けないという選択は、自由と引き換えにする代償としては、とても大きなものを差し出すのかもしれないです。
しかし一方で、人生の答え合わせは、結局当人にしかできないとも思います。
誰か何を言われようが、私はわたしの人生を精一杯生きた、と言えることこそ、何にも勝る価値があるような気がしています。
以上を総合的に判断した結果、私は子どもを持つことを望まないという結論に至りました。
愛する人の子どもを産んでみたい、という気持ちを持ったことはこれまでも人並みにありましたが、どうしてもその後の未来がうまく描けないのです(経験していないのだから、鮮明に描けなくて当然といえば当然ですが…)
私には2歳になる姪っ子がいますが、彼女の存在は近くで見ていてたしかにかわいいです。会うたびに成長を感じるし、とても癒されてまたすぐに会いたくなってしまいます。しかしそれは、私がかわいい部分だけを見ていられるちょうどいい距離感にいるからだ、ということも理解しています。
子どもを産んだ後に、「やっぱり自分には向いていなかったから、クーリングオフさせてほしい。だから、お母さん今日からあなたの母親やめるね。」なんてことはもちろんできないし、そんな無責任なことはしたくありません。
※今後いくつになっても、考えが変わらないとも言い切れないとは思いますが、30年ちょっと生きてきて、一旦ここで納得する答えが導き出せたことで、どっちつかずで悩み続けるのではなく、進む方向がクリアになったことが、今の自分にとっては収穫だったように思います。
以上、ここまでお読みくださりありがとうございました。
また次回のnoteでお会いしましょう〜〜☕️