ボルネオ島ではビーチサンダルを「日本のスリッパ」と呼ぶ?
こんにちは。ボルネオ島の民芸品店を営んでおりますラヤンラヤンと申します。毎週金曜日にマレーシア・ボルネオ島に暮らす先住民ドゥスン人の村での暮らしを紹介させていただいております。
マレーシア・ボルネオ島部に位置するサバ州では、日常生活をビーチサンダルで過ごしている方が多いです。オフィスや学校、フォーマルな場所での着用は不適切とされているところもありますが、街の至る所で売られており、安いものでは100円以下で購入することできます。私自身もマレーシアにいた頃は、日常生活や田舎でよくビーチサンダルを履いて生活していました。運転する時もビーチサンダルが良いので、車に常備しておき、履き替えて運転していました。
お世話になったマレーシアの人気ビーチサンダルブランド
田舎生活では、基本的にビーチサンダルで生活するので、履き心地はとても大事でした。私がよく履いていたのは「fipper フィッパー」と呼ばれる2008年にジャック・リムさんによってマレーシアで生まれたブランドです。フィッパーのサンダルには本当にお世話になりました。
個人的には、写真右の「フィッパースリム」と呼ばれる、薄いデザインを好んで履いていました。田舎生活では、山道を歩くので薄くて曲がりやすいサンダルが歩きやすかったです。泥で汚れても、雨に濡れても洗えてすぐに乾くので田舎生活には最適でした。
「日本のスリッパ」と呼ばれるビーチサンダル
日本では、ビーサンとしてお馴染みのビーチサンダル。英語では、フリップフロップ(flip flops)と呼ばれるようですね。マレーシア・サバ州の方はというと、ビーチサンダルのことを「Selipar Jepun(スリッパル ジュプン)」と呼んでいます。スリッパルはマレー語で「スリッパ」を意味し、ジュプンはマレー語で「日本」を意味しています。つまりマレーシアでは、ビーサンのことを「日本のスリッパ」と呼んでいます。
ところで、「なぜビーチサンダルのことを日本のスリッパと呼ぶのか」と、以前現地の友人に聞いたことがあります。すると、「日本から来たから」と言われました。
なぜ「日本のスリッパ」と呼ぶのか
なぜ日本のスリッパと呼ばれるようになったのかを調べてみたところ、マレーシアのNew Straits Timesの記事にそのことが書かれていました。
マレーシア(マラヤ)では、1930年代からゴム靴の製造が確立されていましたが、1937年にチェコの会社(Bata)がマレーシアのクランという地域でゴム製履物を製造したのが最初の記録だそうです。その後、中国企業がBataから熟練工を雇い、クランで靴工場をオープンしました。
しかし、第二次世界大戦中の日本軍占領時代に、多くの企業とりわけ中国企業が接収され、ゴムの供給は産業及び軍事目的に使われました。ゴム園は日本軍のショウナンゴムクミアイに接収され、工場は日本軍政下の日本企業に接収されました。
記事には、おそらくその頃に日本兵がマラヤで日本の草履を紹介したのであろうと記されていました。また日本の占領時に服や靴の価格が急騰したため、草履が廃棄されたタイヤを使って改造されたそうです。作るのにほとんどコストがかからなかったことから、日本の草履が家庭に浸透したと考えられています。
戦後は反日感情が深く根付いていたにも関わらず、日本の草履のレガシーは残っていたそうです。製造業者は、日本の最小限の材料を使った草履の汎用性に気づき、ゴムサンダルは安価で必要不可欠な家庭用品となり、国内でも海外でもよく売れたと書かれています。
最後にこの記事には、「日本は第二次世界大戦で世界を征服することはできなかったけど、ビーチサンダルは間違いなくそうしたね。」なんて書いてありました。
【参考記事】
Elena Koshy. "French fashion house Hermes places our humble Selipar Jepun in the spotlight!". New Straits Times. September 15, 2019.
https://www.nst.com.my/lifestyle/sunday-vibes/2019/09/521493/french-fashion-house-hermes-places-our-humble-selipar-jepun
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