noteの数字は信用できない
『アルキメデスの大戦』(2019年)は、日米開戦前1937年を舞台に、戦艦大和建造における大艦巨砲主義と航空戦力派の戦いが描かれる、架空戦記的な作品である。
主人公(菅田将暉)は数学の天才で、航空戦力派の山本五十六(舘ひろし)と共に、大艦巨砲主義者たちの数字の嘘を暴いていく。
よく数字は嘘をつかないといわれるし、『アルキメデスの大戦』劇中でもその台詞がある。しかしそれは、利用目的にあった数字を利用目的にあった方法で使った場合であり、実際は、見せ方・使い方で、数字は嘘をつくことが可能である。『アルキメデスの大戦』は、それを教えてくれる。
ビュー数=記事が読まれた数ではない
noteにも、数字がある。ダッシュボードの中にあるビュー数などである。
ダッシュボードには「ビュー数」の他「スキ数」と「コメント数」が表示されるが、この「ビュー数」というのは記事が読まれた数、つまりPV数ではない。これは、noteのヘルプページに書かれている。
通常、ウェブページが読まれた回数は、PV(ページビュー)で計測される。PVは、そのウェブページが何回表示されたかを示す数字である。
また、PVだけだと、ページを表示してすぐに離脱したケース、途中までしか読まれなかったケース、最後まで読まれたケースを判定できない。それらを測るため、企業サイト等であれば、ページ内に計測用のタグを埋め込み、ページスクロール率を計測することも行われている。
しかし、noteにはこのPVを表示する機能も、ページスクロール率を表示する機能もない(法人向けの有料プラン「note pro」にはある)。
noteのビュー数は、記事がタイムラインなどの一覧ページに表示された回数も含まれるのだから、例えば100ビューあったとしても、記事ページが表示されたのは1回だけで残り99回は、ただ誰かのタイムラインに流れただけ、というケースもあり得る(ビュー数の計測基準が書かれていないため)。
タイムラインにはフォローしている人の記事が流れる。そのため、フォロワー数が多い人は、多数のユーザのタイムラインに記事が流れることになる。結果、フォロワー数が多い人の記事は、ビュー数が多くなることが推察される。
そのフォロワー数は、記事を書いた人の人気を測る指標とも言えない。noteには(他のSNSにおいても)フォローバック文化があり、大量にフォローをすれば一定の確率でフォローバックを受けることが出来る。結果、記事や作品の質・人気と関係なく、フォロワーを増やすことは可能となる。スキについても同様である。
意図的に操作が可能なフォロワー数に左右されるビュー数を見ても、意味がない。そのため、ダッシュボードは見る意味がない。
noteは簡単に開始し、安心して継続できる
noteを運営するnote社のミッションは、以下である。
実際、noteの特徴はこの二点にあるという印象を受ける。
誰もが創作をはじめられる
noteのインターフェースの特徴は、極めてシンプルなことがあげられる。noteと同様、ユーザが記事をウェブに公開するブログサービスの場合、デザインを複数のスキンから選べたり、多少技術があればデザイン・機能のカスタマイズもできる。
しかし、noteの場合、ブログのそういった機能を削ぎ落し、シンプルに徹し、全てのユーザは同じスキンで統一されている。
そのため、ウェブ技術がなくても、パソコンかスマホで文字さえ打てれば、誰でもすぐに始められる。
続けられるようにする
noteで簡単に創作をはじめた後、創作を続けられるモチベーションもまた、従来のブログと真逆の方法を取っている。
従来のブログは競争を継続のモチベーションとしてきたが、noteはクリーンさを継続のモチベーションにしていると感じる。
ブログの競争の源泉はPVである。それは、PVが収益に直結するからといえる。ページに貼られた広告がより多く見られクリックされれば、より多くの収益がでる。そして、競争を煽る機能として、ランキング機能が設置される。全体でのランキングやカテゴリーでのランキングである。
しかし、noteのページに広告はなく、ランキングもない。従来、当たり前だった広告を外し、ランキングを削ったのは、非常に画期的と感じる。
noteでは、Yahoo!ニュースのコメント欄やTwitterのような誹謗中傷をしない文化がある。noteは、競争というギスギスした感情が生まれる源泉を排除し、誹謗中傷のないクリーンな文化を醸成した。noteでの炎上ニュースもでたが、それでも依然としてnoteはクリーンなイメージを保っている。
好きに書いた記事や写真、イラストといった創作物を発表しても、非難されない。誹謗中傷されない。だから安心して継続して使える場所、それがnoteと感じる。
そのような安心・安全というイメージは、noteのロゴやキーカラーにも表れている。企業ロゴやコーポレートカラーは、見る側に与える心理効果を計算して作られている。noteのキーカラーは緑であり、緑は「安心・安全」といった印象を与える。Yahoo!の赤は「活動的」で、facebookやTwitterの青は「誠実さ」である。
noteは企業プロモーションの場
誹謗中傷が起きづらいnoteは、企業にとってプロモーション、もしくはユーザとコミュニケーションを取る場として理想的である。
現在、企業が抱えるリスクとして炎上リスクがある。しかし、noteの場合そのリスクが低い。そうなると企業としては、noteを使わない手はない。noteで情報発信やユーザとコミュニケーションを取る。noteでユーザを獲得する。エンゲージメントを高める。
さらに、企業が利用する「note pro」では、前述したPVもスクロール率(note proでは読了率)も表示され、また、Google Analyticsを導入し、より詳細な分析を行うこともできる。noteという安全な場所で情報発信し、その内容(キャッチコピーや画像など)を検証し、効果が高かった方法を、他メディアで活用することができる。
団体・企業の法人アカウントは3,000件を超えている。
一年で法人アカウントは約倍増している。
ここでいう法人アカウントのうち、「note pro」の利用率は書かれていないためわからないが、仮にウェブ上のフリーミアムが成立する「5%ルール」を当てはめた場合、3,000アカウントの5%、150アカウントとなる。
月額5万円なので、単純計算して毎月750万円、年間9,000万円の売上となる。発表されている決算からすると、noteの純資産は20億円ほどなので、年間9,000万円の売上は、noteにとって魅力的で安定した収益の一つとなっていることが想像できる。
どうしても企業は、安定した収益をもたらしてくれる顧客に企業内リソースが流れていく。noteにおいて直接、安定した収益をもたらしているのは、クリエイターでなく企業である(勿論、その前提としてユーザーもしくはクリエイターによるUGCも重要である)。
ちなみに、上記のnote発表にあるMAU6,300万というのは驚異的な数字であり、そんな多くの人が使っているんだという印象を受ける。日本人の約半数が一ヶ月に一度はnoteを使っていることになる。また、ニールセンの調査からすると、MAU6,300万というのは、Twitter、facebook以上、LINE並ということになる。
しかし、この数字もトリックがあり、それは※MAU:1ヶ月にnoteを訪問したアクティブブラウザ数という注釈である。アクティブブラウザ数というのは聞いたことがない言葉で、おそらくユニークブラウザ数を指していると考えられるが、ユニークブラウザ数は、集計期間中に利用されたユニークなブラウザの数であり、人数ではない。
同じ人が同じページを、パソコンのブラウザとスマホのブラウザで見た場合、1でなく2となる。ユニークブラウザ数で計測すれば、実数で計測したものより数字は大きくなる。
noteはクリエイターのための場なのか?
noteはクリエイターのための場と言われるが、上述してきたようにnoteを使い、noteについて調べていくと、noteはクリエイターのための場というより、むしろ、企業プロモーションのための場という印象を受ける。
自身の記事や作品がどう評価されたかは、クリエイターだからこそ気になるはずである。その評価を測る数字の一つがPVになると思うが、クリエイターはそれを見ることができない。noteが本当にクリエイター・ファーストなのであれば、最低限PVは見せるべきだろうと思う。しかし、クリエイターは、ビュー数という曖昧な数字でごまかされるしか方法がない。そして、正確な数字が見られるのは、毎月5万円支払う企業だけである。
『アルキメデスの大戦』で、巨大戦艦建造の主張に対して山本五十六が言う台詞がある。その巨大戦艦が「無知な民衆や好戦的な軍人たちに、それ一隻でアメリカに勝てるという幻想を抱かせてしまう」。
noteは、簡単で安全なクリエイターの場という印象でユーザを集め「こんなに簡単で安全なのだからずっと続けられる。そして、クリエイターとして成功できるかもしれない」という幻想を抱かせているように感じる。
しかし、冷静にnoteの数字をみれば、それらは幻想ということがわかる。noteで収益をあげ、noteでクリエイターとして成功するという幻想を実現するのは、極めて限られたごく一部の人たちである。クリエイターがたとえ1円であっても、手っ取り早く収益をあげるなら、ブログの方が向いている。
noteという場
何だかnote批判のような内容になってきたが、別にnoteを批判したいわけでも、noteを使う意味がないというわけでもない。
ビュー数、MAUといったnoteの数字を見ていると違和感があり、その違和感の原因を調べていくと、このような考えに至ったということである。
noteはクリエイターを応援するボランティア団体ではないのだから、企業として利益を求め、直接収益をもたらす法人に充実した機能を提供するのは当然のことだ。
そしてまた、上述したように、noteがユーザの導入障壁を極限まで下げ、広告とランキングを外し、クリーンな文化を作ったのは画期的と思う。ただし、その画期的なものが生み出したのは、クリエイター・ファーストのプラットフォームとは感じられない。使い勝手の良い、誹謗中傷のないブログサービスである。同時に、企業プロモーションの場である。
内省する、考えをまとめる、文章を書く、作品を発表する。それらを、noteを通じて誹謗・中傷を受けることなく安心して世に出す。コメントをもらい次の作品作りに生かす。他のクリエイターの記事や作品をみて、気付きや感動をもらう。さらに、企業のプロモーション情報を得る。そうして、自身の生活を豊かにする。
noteはそういう場と感じる。