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黒澤明作品の特徴と画面アスペクト比
映画監督・黒澤明の代表作といえば『七人の侍』(1954年)となる。
オールタイムベスト100のような企画があると、黒澤作品で最上位にくるのは、大抵『七人の侍』になる。『七人の侍』は、世界の映画史に燦然と輝く傑作であり、黒澤明の代表作であることに異論はない。
しかし、黒澤作品をまだ観たことがない人に、黒澤作品の魅力を伝えるため、何か一本選ぶとしたら『七人の侍』ではないと思っている。
では、何を選ぶのか?それは『赤ひげ』(1965年)である。
黒澤作品の特徴
黒澤明の魅力を知るためには、黒澤明の魅力が詰まった作品がよい。
そうすると、整理するべきは黒澤明の魅力は何か?ということになる。黒澤明作品の魅力をストーリーと画面構成の二つで見ていく。
ヒューマニズムのストーリー
黒澤明作品に共通しているテーマは、ヒューマニズムである。
以前、黒澤明の作品は、対比で作られていると書いたが、このヒューマニズムを描くストーリーにも、対比の構造がある。
黒澤作品のストーリーの特徴を『七人の侍』と『赤ひげ』で比較してみる。参考にするため、『七人の侍』同様、黒澤作品での中でも世界的に評価が高い『羅生門』(1950年)も並べてみる。
特徴は多岐にわたるが、わかりやすいのだと、以下が考えられる。
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黒澤作品の主人公は強い男である。貧しい村人を野武士から守る七人の侍は当然強い男たちだし、江戸時代の貧民救済施設・養生所の医師である赤ひげ先生(三船敏郎)もまた、強い。
強い男たちの敵となるのは、悪い奴らとなるが、その悪い奴ら各人には特徴がない。つまり、表情のない"とにかく悪い奴ら"となる。七人の侍の野武士たちも、『赤ひげ』で赤ひげ先生の医療を妨害する者たちもである。強い男と悪い奴らがわかりやすく対比している。
また、その主人公は、師匠と弟子の関係にある。この関係はデビュー作の『姿三四郎』(1943年)から多く描かれており、師匠は強く賢く人間として成熟した人である。そして、未熟な弟子はその師匠に導かれ成長する。七人の侍の勘兵衛(志村喬)と勝四郎(木村功)、『赤ひげ』の赤ひげ先生と安本(加山雄三)のようにである。
さらに、主人公の周りにいる脇役は、貧しい民衆となる。貧しいが、彼らは皆高潔な存在である。卑しいことをせず、人としての誇りを持っている。そんな貧しいけれど高潔な人々が、主人公に助けられ、または、主人公たちの味方となる。『七人の侍』の貧しい農民たち、『赤ひげ』の患者たちである。
これら登場人物たちは、静と動を際立たせた動きで演出される。『七人の侍』で久蔵(宮口精二)が見せる町中での決闘シーンは、静と動の極みのようなシーンであるし、『赤ひげ』で赤ひげ先生が、悪い奴らを次々素手で倒すシーンもまた、静から動へと対比する動きで描かれている。
力強い画面
黒澤明作品の特徴といえば、何といっても力強い画面にある。どのシーンをとっても、画面いっぱいが”詰まっている”ような印象を与え、弛みが一切ない。
そのような画面はどのように作られているのか、その特徴をあげると以下になる。
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黒澤明作品の大きな特徴として、俳優たちの強烈な演技がある。自然な演技でありながら、わざとらしいとも言えるような強烈さが同居しており、それは、俳優たちの熱演とともに、マルチカム撮影によって引き出されている。
マルチカム撮影とは、一つのシーンを複数台で同時に撮影する方法で、例えば、人が動き回り時間尺もある『七人の侍』の決闘シーンは、複数のカメラで同時に撮られている。すると俳優たちは、連続した時間、失敗の許されない演技を高い緊張感をもって行うことを要求される。このようにして、俳優たちの強烈が演技が生まれている。黒澤作品では、非常に念入りなリハーサルが行われたといわれるが、その理由は、こういったマルチカム撮影と、それに備えて俳優たちの強烈な演技を引き出すためにある。
さらに、強烈な演技は俳優たちだけでなく、美術や照明、そして、自然描写に対しても行われた。しかもそれらは、過剰ともいえるくらいにな演出が行われる。自然描写を際立たせるため、『七人の侍』の豪雨に墨汁を混ぜたのは有名な話である。『赤ひげ』で、患者の大工(山崎努)が恋物語を回想するシーン。その真っ白な雪景色には、唖然とさせられるような美しさがある。
また以前、黒澤明の構図の特徴は奥行にあり、その奥行がダイナミズムを生み出してると書いた。奥行は、前景と背景に同時にピントが合うパンフォーカス撮影によって、より際立たせられている。
このようにみていくと、『七人の侍』と『赤ひげ』は、それぞれ特徴の濃淡はあるが、黒澤作品の特徴を全て兼ね備えていることがわかる。また『羅生門』は、異色の作品といえることもわかる。しかし、『七人の侍』と『赤ひげ』で決定的に違うことがある。
画面アスペクト比である。
黒澤明作品の画面アスペクト比
画面アスペクト比とは、画面の横縦の比率のことで、映画で使われる画面アスペクト比は複数ある。
大雑把にいうと、古い映画はスタンダード、1955年前後からは、シネマスコープをはじめとした横長のスコープサイズが主流となっている。
黒澤明は、1958年の『隠し砦の三悪人』以降、シネマスコープに移行した。それまではスタンダードである。そのため、『七人の侍』はスタンダード、『赤ひげ』はシネマスコープとなっている。
スタンダードサイズの画面アスペクト比は、1.33:1(もしくは1.375:1)である。シネマスコープは、2.35:1である。つまり、シネマスコープの方が、圧倒的に横長のワイド画面になる。
スタンダードとシネマスコープだとどう違うのかを見ていく。
スタンダードとシネマスコープの違い
例えば、前景と背景に向かい合う二人、その周りに木が並んでいるシーンがあるとする。『用心棒』の決闘シーンのようにである(用心棒の場合は木でなく家屋が立ち並んでいる)。
スタンダードだと以下のようになる。
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シネマスコープだと、こうなる。
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シネマスコープの方が、横に立ち並ぶ木が多く画面に入り込む。そのため「過剰な美術」はより多く作らなければならない。
シネマスコープだと、端にいる人物(グレー色人物)も画面に入り込む。そのため、画面に登場する「強烈な演技」をする俳優も多くなる。
そして、ワイド画面の方が、横に広い分、より「奥行」が強調される。
つまり、シネマスコープのワイド画面の方が、「強烈な演技」「過剰な美術」「奥行」で構成される「力強い画面」が、より強調されるのである。
そのため、『隠し砦の三悪人』以降の黒澤作品は、画面ひとつひとつの完成度が極めて高いと感じる。そして、黒澤明作品の魅力が結集しているのが、黒澤明最後の白黒作品『赤ひげ』と思っている。
黒澤明作品を初めて見る人に紹介するなら『赤ひげ』がよい、という理由はこのためである。
画面アスペクト比
黒澤明の場合、ワイド画面の方が、より”らしさ”がでる。だからといって、全ての映画はワイド画面の方がよい、ということではない。
また、ワイド画面=迫力ある画面ということでもない。
例えば、小津安二郎の場合、画面サイズは生涯スタンダードにこだわっている。バストショットを多用する小津安二郎”らしい”静かな味わいは、スタンダードだからこそ出る。
山田洋次監督作『男はつらいよ』は、迫力の映像とは程遠いが、全作品シネマスコープである。しかし、例えば寅さんを中心に家族が円卓を囲むおなじみのシーンは、ワイド画面によって、1カットで家族全員が画面に映るようになっている。
また最近は、デジタル編集により、作品中、シーンによって意図的にアスペクト比を変えている作品もある。
このように、画面アスペクト比は、観る側に異なる印象を与える効果がある。映画鑑賞の際、画面アスペクト比を気にして観てみると、違った楽しみ方ができるかもしれない。