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"史上最低の映画監督"と過ごす週末
今から約30年前、1991年公開の『ターミネーター2』における液体金属アンドロイドを初めて見た時は、大きな衝撃を受けた。その二年後、1993年の『ジュラシック・パーク』の恐竜たちは、のけぞるような驚きがあった。
これらCGによる映像は、映画における映像表現の幅を大きく広げたことは事実である。しかし近頃は、どの作品もCG目白押しで、どんな大迫力のシーンに対しても「またCGか…」となってしまい、新鮮な驚きを感じづらくなってしまっている。
どんどん映像は派手になって、暴力描写はエグさを増していく。それらが普通となっていて、なんだか脳が麻痺しているようにも感じてしまう。
そんな麻痺状態を感じた時、それらと真逆の作品を観たくなる。
そういう意味で、時折無性に見たくなるのがエド・ウッド作品である。
史上最低の映画監督エド・ウッド
エド・ウッド、本名エドワード・デイヴィス・ウッド・ジュニアは、ティム・バートン監督の『エド・ウッド』(1994年)でも描かれた”史上最低の映画監督”として知られる。
彼の監督作はどれもこれも間違いなく駄作である。しかし、ただ駄作というだけでなく、彼の作品でしか味わえない魅力がある。それが、時折無性に見たくなる所以になる。
エド・ウッド作品の中で最も有名なのは、エド・ウッド自身も「最高傑作」と語っている『プラン9・フロム・アウタースペース』(1957年)となる。
エド・ウッド自身にとっての最高傑作は、残念なことに”史上最低の映画”とされてしまうことがあるが、実際は、そこまで最低とは思わない。
エド・ウッド作品であれば、彼自身の女装趣味を描いた『グレンとグレンダ』(1953年)の方がほとんどストーリーすら成立しておらず意味不明だし、エド・ウッドが脚本を担当した、墓地で若い女性が裸踊りしているだけの『死霊の盆踊り』(1965年)の方がはるかに退屈である。
『プラン9・フロム・アウタースペース』は、地球に訪れた異星人が、兵器開発ばかりしている地球人を懲らしめるため死者を蘇らせるSFホラーで、ちゃんとストーリーは成立している。
ただ、ストーリーこそ成立しているものの、同一シーンなのに昼夜が混在していたり、段ボールで作ったようなペラペラの墓が並ぶ墓地だったり、無茶苦茶な編集で話の辻褄が合っていなかったり、”史上最低”とは言わないまでも、かなりのトンデモ映画ではある。
しかし、話の辻褄があっていないトンデモ具合でいえば、例えばスピルバーグの『未知との遭遇』(1977年)もなかなかのトンデモ映画だと思っている。
『未知との遭遇』は名作という位置づけになっているけれども、あれは、スピルバーグが歌舞伎町みたいなネオンに彩られたUFOが登場するラスト15分を描きたかっただけで、それまでのシーンはまるで話の辻褄があっておらず、つまり無茶苦茶であり、やはりトンデモ映画と思う。
トンデモ映画の両者であっても、名手スピルバーグが撮ると名作となり、エド・ウッドが撮るとサイテー映画と呼ばれる。
スピルバーグは、映画で何を語るべきかわかっていなかったけれども、何を見せるべきかはわかっている天才であったから、映画の大半が無茶苦茶な内容であっても、ラスト15分で観客を感動の渦に巻き込んだ。
それに対してエド・ウッドは、何を語るかわかっていなかったし、何を見せるかもわかっておらず、そしてどう撮るかもわかっていなかったから、感動を与えられず、サイテー映画として語り継がれることになった。
しかし、衝撃度でいえば、歌舞伎町のネオンを見ても驚きはしないのと同様、『未知との遭遇』を今見ても特に驚きはない。
それに対して『プラン9・フロム・アウタースペース』は、どんなCG映像にも驚かなくなっている脳を揺さぶるような衝撃を与えてくれる(勿論、個人の感性や嗜好に左右されるが)。
後半はかなりグダグダになっていくが、前半で見せる作り物感満載のチープな映像の数々、玩具にしか見えない空飛ぶ円盤(UFO)や、生き返った死者たちの大仰な動き、簡素なテーブルとカーテンだけでミニマリストもびっくりの異星人の指令室…等々、驚愕の映像の数々は、異質であり特異であり、それらを見ているとエド・ウッド世界に酔いしれるような感覚になる。
エド・ウッド作品と過ごす週末
このように、『プラン9・フロム・アウタースペース』をはじめとしたエド・ウッド作品は、最近のあえてB級感を狙ったような作品ではなく、本物のB級、もしくはZ級が味わえる作品といえる。
それはやはり、エド・ウッド作品でなければ味わえないものと感じる。
CG全盛でリアルさを追求した映画が溢れかえる中、それとは真逆のエド・ウッド作品を見て感じる衝撃はやはり異質で特異なものであり、クセになるような魅力がある。
週末、そんなエド・ウッド作品を見て、麻痺した脳を揺さぶられ、そして安定させる。そういう時間も必要と感じる。