お楽しみはこれからだ!トーキー映画の歴史
現代ビジネスにおける重要キーワードの一つが、イノベーションである。ピーター・ドラッガーも、以下のように語っている。
イノベーションは、それまでにない新しい技術やアイデアで、産業全体を変革することをいう。
それまでの音楽の聴き方自体を変えたiPodとiTunes、携帯電話を一新したiPhoneといったApple社製品は、まさにイノベーションといえる。
映画産業における最も大きなイノベーションは、トーキー映画の開発であろう。
1896年、リュミエール兄弟によって世界で初めて公開された映画は、”写真が動く”ということで人々を驚かせ、熱狂させた。しかし、それには音も台詞もなかった。
それから約30年後の1927年、トーキー映画『ジャズ・シンガー』が公開された。トーキー映画、つまり、音があり台詞のある映画である。主演のアル・ジョルソンがスクリーン越しにしゃべった。
「You ain't heard nothin' yet!(お楽しみはこれからだ!)」
トーキーが主役となる、新しい映画の幕開けだった。
トーキー映画はワーナーの切り札
トーキー映画の開発を牽引したのは、現在もハリウッド5大メジャーの一角を占めるワーナー・ブラザースである。
20世紀初頭、ハリー、アルバート、サム、ジャックの4兄弟によって始まるワーナー・ブラザースの歴史は、苦難の連続だった。
当初、映画興行を行っていた4兄弟は、映画製作にも乗り出すようになる。しかし、映画関連特許を独占する発明王エジソンの圧力により、映画製作がままならなくなる。そのため、4兄弟は映画製作を断念することとなった。
映画史におけるエジソンが果たした役割については、以下の記事に書いている。
しかし、4兄弟は映画製作への情熱を捨てきれず、1918年、当時、同じようにエジソンの圧力から逃れてきた映画製作者が集うハリウッドにスタジオを構え、再び映画製作を開始する。
しかし、中々ヒット作に恵まれず、経営は苦しかった。
そこで、苦境を打破する切り札として考えたのが、トーキー映画だった。1925年、大企業AT&T社系列のウェスタン・エレクトリックと共に、トーキー映画の開発を行い、翌1926年『ドン・ファン』を公開する。
『ドン・ファン』では、台詞をしゃべるシーンはなく、伴奏音楽が録音されていただけである。それでも当時の観客は興奮、大ヒットを記録する。そして作られたのが、『ジャズ・シンガー』だった。主演のアル・ジョルソンがしゃべり(ただし、まだ部分的なトーキーであり、劇中、しゃべるのは2シーンだけである)、黒人に扮して歌う。空前の大ヒットとなった。
時折、『ジャズ・シンガー』が初のトーキー映画とされることがあるが、上記の通り、それは誤りである。いずれにしても、『ジャズ・シンガー』の空前の大ヒットにより、その後、他の映画会社もトーキー映画製作を開始する。
そして、映画=トーキー映画となっていく。
時代の変化と適応力
iPodとiTunesにより、SONYのウォークマンは廃れ、CDの売上は減少した。
イノベーションという変革により、負け組が発生するのは致し方ない事である。
トーキー映画の登場により、無声映画の喜劇王バスター・キートンの人気は急落した。二枚目俳優として人気を博したジョン・ギルバートは、イメージと異なる甲高い声で、やはり人気が急落した。また、日本では、無声映画上映中、その内容を説明する活動弁士がいたが、トーキー映画の登場により、彼らは失業していった。幼年期の黒澤明に大きな影響を与えた兄・黒澤丙午は活動弁士だったが、トーキー映画が主流となった1933年、自殺している。
しかし、トーキー映画という時代の変化に適応していった人も多くいる。
バスター・キートンと並ぶサイレント映画の喜劇王チャップリンは、トーキー化以降も、『独裁者』(1940年)、『殺人狂時代』(1947年)を作り、その美貌で人気絶頂にあったグレタ・ガルボは、トーキー映画以降も、ハスキーボイスで人気を高めた。
時代は常に変化する。技術の進歩により、その変化のスピードも加速している。求められるのは変化への適応である。
この時、思い出すのは有名なダーウィンの言葉である。
最も強い者が生き残るのではない。最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一、生き残るのは変化できる者である。- チャールズ・ダーウィン -
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