8/2 この人の本がずっと待ち遠しかった。

先月最後の日に友達と話した帰り、日記を毎日書こうと3回くらい反芻しながら改札を降りた。
そんなこと今まで何回もあったけど。

これまでも細く長く書いてきた。
なぜ毎日かというと、書かなきゃ忘れるからであり書けば忘れてもいいから、のはずだった。けどいざevernote開くと、見て聞いて読んだものをうまくまとめて一本にしてアララにあげたいと欲がでて、高い壁を感じてTwitterを開く繰り返しだった。
欲があるうちはいいか、とも思う。

景気悪化の割を食らっていることもあって、いくつもの仕事が消失したタイミングで配属されてから2ヶ月。そもそもの枠組みやスケジュール感、目標意識や考え方までをゆっくり教育してもらいつつ、成果とは無縁の地点で会社員生活に体を慣らしただけだった。バレたのか?
ようやく先週、企画出しの宿題が与えられて、何やら動き始めた。始まっちゃったなあ。
これまでなんとなく予備校に通う感覚だった出社という概念が霧散した。

さて、考えねば。
そのために知らねば。
知識や文脈で楽しめるテレビ・ラジオ・音楽のような趣味に接するときとは違う頭を、そんなものないから無い頭を、絞らなきゃいけない。

その一方で、自分の仕事、自分がクリアしなければいけないライン、その領域が実態を伴ってくればくるほど、自分がやりたいことも分かってくるんじゃなかろうかという予感。そこまで遠い距離にいない期待もありつつ。

日記を書くと反芻した日、白武ときおさんの本が出た。
大型書店を三軒巡ったけど、新刊本のコーナーに並んでいるところはなく「サブカル」コーナーに平積みされている。
ふざけんなよ!という気持ちは読み終わってから更に強くなった。

メディアにもあまり出てこない人でいま誰の話を聞きたいと問われたら即答で白武さんだったから本当に待ち遠しかった。

改めて考えてみると、
この数年、テレビ・YouTube・ラジオを起点としたエンタメ、特にお笑い芸人が中心にいるようなバラエティの面白さ、異常じゃない?
全てスマホからアクセスできるおかげもあって、恐らく働き始めてからも毎日平均5時間分は消費している気がする。

特に近年は、
・ロンハー、水ダウ、ゴッドタン、アメトークなどのおじさん芸人が面白すぎる番組
・第七世代の躍進
・オードリーをはじめとした"中堅"テレビタレントの感情発露
・YouTuberという未知のスター
・リアルな面を出した共感と作品の強度の共存
・数多の演者とそれを作るスタッフ
・ハッシュタグやブログで応援、批判、考察する視聴者

切り口の数も異常で、意識して楽しもうが無意識に視聴しようが、スマホに取り憑かれた視聴者はこれら全てに触れている。
日本人のリテラシーや差別意識はまだまだ更新し続けなきゃいけないことが多すぎるとはいえ、「笑い」の要素を含んだエンタメに触れる上での視点の数は、恐らくこの星でも相当に長けた能力にあると勝手に考えている。消費の面だけで言えば良くも悪くもプロ中のプロ、迷惑な客として完成しているはず。

「テレビは終わった」とかその次元じゃないと白武さんの本を読んで改めて思う。

YouTubeチャンネル同様に膨張を続ける日本エンタメの世紀はまだ続くと思うけど、
ゆとりか悟りか、ZかYか分からない、ちょうど中間の世代の自分からすると、YouTube文脈に拒否感を覚えがちなところもある。
白武さんはそれを、日本のアイドルと韓国のアイドルに例えていた。本文から外れるコラム的部分で簡潔に提起された内容だったので、さらに自分の想像や解釈を持ち込めば、

「共感で成立する、成り上がり半素人応援スタイル」と
「様々な教育や舞台を踏んで完成されたパフォーマンスを楽しむ、客席とステージの高さハッキリしてるスタイル」

(アイドルの視点で考えれば、松田青子『持続可能な魂の利用』や宇佐美りん『推し、燃ゆ』を思い出す。が、まだ分からない部分も多い、片方の当事者でしかないから置いておく)

何かを作る、見るか聴く、反応する
の輪の中で毎日毎日グルグルしている。
画面に注視してアクションする自分と、それさえ俯瞰して考える面白さや歴史感。
頭を切り替えながら消費し続けるのはそれらの全てが圧倒的に楽しいからだ。
楽しいし、その楽しさは、今までの知識の蓄積から行う深堀りの楽しさに加えて、新しいものが出てきている楽しさが合わさっているからより強い。

何日か前に放送された爆笑問題の特番『売れっ子ちゃん』が本当に面白かったからぜひTVerで見てほしい。
なぜ売れっ子なのかをVTRで見るありきたりな企画ではあるんだけど、注目対象が
・田中みな実
・EXIT
・TBS火曜10時ドラマ
・田中裕二
・SixTONES
弱い情報を羅列してスタジオでグダグダ思いつきを発表するのではなく、視聴者の妄想欲を刺激する強固な素材だけを並べて、パネラーも勉強と冴えた視点で簡潔にフリップを出して終わり。
強弱の加減というニュアンス面に過ぎないかもしれないけど、本気の視聴者のために作った番組だというのが伝わってきた。
パネラーは又吉、フワちゃん、藤田ニコル。
ここでもフワちゃんの選球眼が輝いていた。

自分は他人のいる生活という軸足が欠落しがちなぶん、のめり込んでいるのかもしれないけど、バラエティを見ながらそんなことばかり考えてる。楽しい。

以下、日記

こんなときは、どんなときも、SMAPを聴く。
新大久保から吉祥寺へ渡り、ズンズンと古書防破堤へ歩いて、重い紙袋に苦労しながらPARCOを覗いて帰る。商業施設の喫煙所は一生感染予防で締め切られてるのか?

防破堤は欲しかった本が山ほど出てきた。
亜紀書房から出た菊地成孔の追悼文集、岡田利樹の戯曲、柴崎友香のエッセイとアメコミヒーローの倫理学。
矢野利裕のSMAPについての本から読み始めた。

去年愛知のボロい中古ゲーム屋で買った『Fly』の7インチはいつになったら聴けるんだろう。

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