故障じゃない、今日は壊れた。
心の壊れる音が聞こえたから、エアーマネキンを買った。
浮き袋みたいに空気を入れたら膨らむ、その人形に文字を書く。
とりあえずは、手の辺りに初めて繋いだ日付を書く。それから、一言、「あたたかい」と付け加える。
顔には、何を書こうか。
瞳の色、ちぐはぐな歯並び、好きになった笑顔、花粉症。思い付くことを手当たり次第に書く。そして、書き終えたら次の場所へと移る。
背中は広い……。足は毛深い……。靴下脱ぎっぱなし……。
最後は胸の辺りに辿り着いた。「優しい」「臆病」「たまに頼りになる」「頑固」「なまけもの」。
……「嘘つき」。
ブブ……ブブブブブ……。
電動のエアーポンプのスイッチを入れると、みるみる空気が入り人型を作り始める。吊り下げられたようにも、自立したようにも見えるマネキンが、左右に揺れている。
滑稽で、不気味。
愛くるしいくて、残酷。
お気に入りで、キライになる。
……ブブッ……ブブブ。
カビ臭い部屋で、マネキンが激しく揺れていた。その顔は気色の悪い笑顔で、好きになる者などいるはずもない程、醜い。そして、その体にお似合いの汚らしい音を立てて、空気が入っていく。
もう、ここには居たくなかった。
私は、エアーポンプの電源を入れたままで部屋を出た。
それからすぐに、エンジンをかけっぱなしで停めておいた車に乗り、アクセルを踏んだ。
ギラギラした太陽光が、あの部屋の窓ガラスを通り抜ける。爪の鋭い野良猫だって、あの部屋には住み着いている。だから、もうぐちゃぐちゃになってほしい。冷静になんて、永遠にならなくてもいい。あそこは特別におかしな部屋だし、帰ることのない部屋なのだから。
カーステレオは、「もうどうにでもなれ」と知らない歌を流す。
もう誰も知らない。
あの部屋のことなど忘れてしまえ。