書かなくても生きていけるということ
いつの間にか2ヶ月近く間が空いてしまいました。
元気にしてた?
わたしは元気にしていたよ。
10月の半ばに、ひとつお話を書き上げて、
10月下旬にお引越しして、
そのあとはせっせと巣作りに励んで、
11月半ばからまたお話を書きはじめるまでの間。
ひさしぶりに、なーんにも書いていない時期がありました。
お話はもちろん、note も日記も、
“ブレイン・ダンプ”と呼ばれるような頭のごちゃごちゃを吐き出すような書き物も、
ほんとに、メールやお手紙以外の個人的文章はなーんにも書かなかった。
それが、わたしにとってどれだけ画期的なことか。
思えば、辛いときはいつでも、言葉に助けられてきた。
子どもの頃から、秘密のノートに書き殴ってきた言葉たちは、自分の傷をさらしながら、見つめ直しながら、自分自身を励ますためのものだった。
もう立ち直れないというくらい落ち込んだときも、心の中の重荷を洗いざらい紙の上に吐き出すことで、ぎりぎり立ち上がることができた。
いちばんどん底にいたときは、ほとんど動けなくて考えもまとまらなくて、ごく短いLINEの返信を打つことすらおぼつかなかったけれど、
それ以外の期間は、わたしは言葉によりかかること、特に書くことで、なんとか自分の足で立ち続けてきた。
けれど、辛い気持ちから抜け出したあと。
そこでは、言葉で身を守らなくても安らかでいられる当たり前があった。
ただただおだやかな、「生活」があった。
以前なら書かずにいる間、からだの奥に澱のように振り敷いて、次第に内側から全身を絡め取っていくような、そんな重たい苦しみとは無縁の生活。
だから気づけばわたしは筆を置いたまま、1ヶ月近い時をただ暮らすために過ごしていた。
結局そのあと、自分の中でことことと音を立てるものに逆らわず、また筆をとったわけだけれど、
わたしが今いる場所を抜け出して、自分自身を縛っている「わたし」から自由になったなら、
もしかしたら、本当に「書かなくても生きていける」日々が訪れるのかもしれない。
それは寂しいことかもしれないけれど、ある意味で、しあわせなことでもあるのかもしれない。
そんなことを思った。
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