わたしがこどもだった頃

小学生の頃。
電話をする母親の横顔を見ながら、ふいに、すべてを諦めようと決めたことがあった。

理解を求めることも。理想とのギャップに苛立つことも。
全部全部、わたしの勝手な期待の結果でしかない。
親という存在にわたしが何を望んだとしても、彼女は親である前に、ひとりの人間で。
そう考えれば、理不尽も、不合理も、暴言も暴力も、理想とは程遠いその他すべての言動も、許すことができるような気がした。

だからわたしは、親を諦めた。
理解してもらいたい、受け止めてもらいたいと期待することをやめた。
母をして、「大きな弟」と言わしめた父は、はなからその勘定に入っていなかったから、母を失った時点でわたしは、両親を失った。

それでも、憤ったり、恨んだりするよりはマシだと思えた。
すべて自分で抱えていこうと決意することに、かなしみや寂しさはあったけれど。
仕方がないと諦めることは、信頼を裏切られ、傷つき続けるよりはずっと、楽だった。

多分わたしは、彼女を嫌いになりたくなかったんだと思う。

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893字
主に親との関係について、人目にふれるところでは書きにくい踏み込んだ部分を書いています。暴力などネガティブな要素も含みますので、苦手な方の閲覧はお勧めしません。

複雑性PTSDと診断されるまでの、訳もなく苦しかった人生について。「訳」を知り、これからを見つけていくための内省。

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