人生を変えた「チョコレートドーナツ」のお話。
傷心中の私を救ってくれた映画があった。
それがトラヴィス・ファイン監督の『チョコレート・ドーナツ』だ。
学生時代、付き合っていた恋人にフられ、この世の終わりみたいな顔をしていた時の話。気を紛らわそうと近所のTSUTAYAで片っ端から映画を借りまくっていた。もともと映画は大好きなので没頭はできた。
というより、没頭してないとやってられなかった。
手当たり次第にいろんなジャンルから選んだけれど、恋愛モノだけはつらくなるのが予想できたから避けていた。とても受け入れられる気分じゃなかった。さらには「なんで自分には性別(ジェンダー)なんてあるんだろう」と、自分の身体を意識することも嫌になっていた。
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ある日、私はこのおいしそうなタイトルの映画を手に取った。パッケージもロクに見ないまま再生して「これは男同士の恋愛モノか?!」と初めて気が付いた。避けてきたジャンルの到来に身構えた。
しかし終わってみれば、私のちっぽけな悩みを吹き飛ばすほどの衝撃的な内容がそこに広がっていた。近くに積み上がった「これから見るDVD」たちをほっぽらかしたまま、しばらく放心していた。ハッとなった私は、すぐさまDVDのトップメニューから「最初から」を選んで2回目を視聴した。
タイトルからは想像もつかない脚本もそうだが、主演俳優の常軌を逸した(と言ったら失礼だけど)キャラクター性に惹き込まれた。
ゲイのダンサー『ルディ』役を務めたアラン・カミング。彼の魅惑的でチャーミングなスマイルに夢中になった。ルディを愛する検事『ポール』役、ギャレット・ディラハントの無骨ながら愛のために立ち上がる姿に心がときめいた。
そして物語のキーパーソンであり健気なダウン症の子供、ポールを務めたアイザック・レイヴァ。彼はなんと実際にダウン症を持った子役として抜てきされていた。
作中で繰り広げられる彼らの「家族愛」は、少なくとも私の目には”本物”に映った。死ぬほどのめり込んだし、引くほど泣いた。ティッシュ箱の中身が2/3くらい犠牲になった。
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私はとにかく、この映画がどんな経緯で作られたのか気になった。監督のコメンタリー映像をあさり、制作秘話みたいな話を片っ端から調べた。すると最終的には、トラヴィス監督の「自分ですらなぜ作ろうと思ったのか分からない」というコメントに行き着いた。
ライターから受け取った脚本に、本物の「愛」とそれを奪われた時の人の「痛み」が宿っていたそうだ。衝動的に撮ってみたくなった。ただ商業的にはセンシティブなテーマだし、おそらくは売れないだろうと覚悟もした。それでも映画を完成させると決意したトラヴィス監督の情熱にあてられ、私はまた涙をポロポロとこぼした。
結果的に「チョコレートドーナツ」は全世界に感動を届けた。でも決して平たんな道のりではなかった。
日本でも壁があって、はじめは全国で1館しか上映が決まらなかったらしい。しかし歌手のLiLiCoさんが地上波放送で作品の愛を熱弁し、それから100館以上での上映が続々と決まった。
ルディたちのありのままの姿が受け入れられたと感じて、これまたティッシュの中身が1/3くらい減った。
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のめり込んでいる内に、すっかり失恋のショックが頭からなくなっていた。「性別」と「愛」はかならずセットだという偏見がいつの間にか溶かされた。
自身のジェンダーに誇りと信念を持って社会に立ち向かったルディ達に勇気づけられ、ひさしぶりに友達に連絡を取った。「やっと立ち直ったかw」とか茶化されたけれど、今はそんな私のつまらない失恋話より、昨日見たチョコレートドーナツの話がしたくて仕方がなかった。
友人たちに片っ端からこの映画をオススメして回った。それこそ、映画のオーディオコメンタリーでも担当してたのかってくらい、調べた内容とか背景を語り尽くした。結果的にはみんなが最高の映画だったと感想を話してくれた。
あの時ほど楽しかった時期はないかもしれない。恋愛中よりずっと生き生きしていた気がする。布教しすぎて業界のまわしものか?と疑われたりもした。別にお金はもらってないよ。ただの推し活です。
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社会人になりしばらくたった。
人生とはわからないもので、私は同性に対して恋愛感情を抱くようになった。実際にお付き合いもはじめた。
当初はルディとポールのように、社会から弾圧されるのも覚悟していたが、意外なほど周囲は温かい目で迎えてくれた。
LGBTQの普及を身をもって感じたし、愛の形はすごく柔軟になっているなってどこへともなく感謝した。その人とはプラトニックな関係で、それが私にとって心地よい距離感でもあった。自分の性別に苦手意識があると伝えたら、その人も同じだと話してくれたし、優しく受け止めてくれた。
結局、お別れしてしまったけれど、最後は両者ともしっかり納得した上で決断できたと思う。少なくとも、チョコレートドーナツを見る以前に失恋した時ほどの絶望感は全然なかった。「ほろ苦い」くらいの範疇で収まっていたと思う。
愛といっては大げさかもしれないけれど、今でもその人が幸せに暮らせるようにと願えるくらい、穏やかで温かい恋愛だった。
余談だが、その後『ブロークバック・マウンテン』という映画をみた。これもチョコレートドーナツと同様に同性愛を扱った、今は亡き天才俳優ヒース・レジャーの代表作。私の大好きな作品だ。もちろんティッシュの中身が1/3(以下略
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今でも映画が大好きだし、暇さえあればアマゾンプライムで存分に楽しんでいる。見たいと思った映画を自分の意志でしっかりセレクトできる。
ただDVDのレンタルがすっかり下火になってしまったのは、やっぱり寂しいとも感じる。令和時代に私が学生やっていたら『チョコレートドーナツ』にはまず巡り合っていなかった。ジャンル分けされる前の棚にごちゃっと陳列されていたから、人生を一変させるような運命の出会いを果たせたのだと思う。
今でも、ぜんぜん知らないタイトルからひょいっとランダムに抜き出して視聴する、みたいなことをたまにする。これが案外、悪くない楽しみ方だ。
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映画は、自分の想像もつかないような世界に誘ってくれる。これまで見てきた映画たちによって私は何度も救われたし、そのたびに少しずつ影響を受けている。あなたの人生に最も影響を与えたモノは何か、と聞かれれば間違いなく私は「映画だ」と答える。
今は「#映画にまつわる思い出」について書き綴っているが、終わった後、このタグを検索してみたい。きっと「映画とともに過ごしてきた人生」が今まさにnoteに綴られ、たくさん発信されている。一介の映画好きとして、それに触れられるのはたまらなく嬉しい。ある意味で『人生の映画試写会』を見せてもらってる感じだ。
映画の思い出は現在進行系で絶賛更新中だし、この先もまだ見ぬ作品との出会いを想像してはワクワクしている。
レンタルショップで『チョコレートドーナツ』を偶然手に取ったあの日みたいな気持ちのまま、今だ私は映画にトキメキ続けているのだ。