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拝啓、無花果よ


朝晩など、時折吹く風に秋の気配を感じる時候となりました。
世界中の人々が一同になって今か今かと開会式をカウントダウンしていたオリンピックも、あっという間に閉幕。

夏の盛りが過ぎ、秋の始まりを感じるこの時期になると、どこか心がざわめき、虚しさや切なさを覚えるのは私だけでしょうか。なんだか胸がきゅーっとくるしくなる。

ところで話は変わり、私は果物が大好きだ。
果物自体もそうだけれど、旬の果物を通して季節をいただくのが堪らなく好きだ。

この夏は、スイカをよく食べた。桃、さくらんぼ、パイナップル、プラム、キウイ、まっかうりも食べた。

季節は巡り、果物の旬も夏から秋へと移り変わろうとしている今日、愛してやまない子を見かけるようになった。

無花果だ。いちじく。

数年前まで、私の果物ランキング一位は圧倒的に苺だった。

幼少期、春になると祖父母の畑で開催される苺摘みが堪らなく楽しみだった。
今も昔も、好きなものは最後に食べる派の私は、へたをもいで、上のとんがってない方から食べた。先っちょの甘い方は後から食べた。祖父母が愛情たっぷり育てた苺は小ぶりで、きゅんと酸っぱく、でもやさしく甘かった。

いつか、叔父に大層な箱に入ったそれはそれは大きな白い苺をもらったことがある。
甘くて、ジューシーで美味しかったけれど、私の中の苺は真っ赤っかに熟れたもので、白いそれは苺のようで、また別の何かのような気がした。

そんな揺るぎなく堂々と一位に君臨していた苺の座が揺らぎ始めた。無花果の割り込み参戦だ。

今は亡き最愛の祖母が、最も好きだった果物が無花果だった。
「食べるけ?」と差し出してくれたそれは、幼少期の私にとって苦手な部類に属していた。食感や見た目が苦手だったのだと思う。

それがここ数年、地元の直売所で見かけるようになると、値段と葛藤しながら、それでも欲求に負け続け、お迎えするようになった。
特別大きな契機があったわけではない。だがあるときを境に急に大好きになった。嗜好は変容するものだ。

昨年はもちろん生で食べ、ジャムにし、おやつを作り、サラダにして食べた。

おそらく無花果と言われて連想する、大堂のドーフィンはもちろん、他に白無花果、黒無花果と、一概に無花果といっても幾つも種類があることを知り、食べ比べをした。
どの子にも各々個性があって、どれもとろけるように美味しい。虜になった。

そんな無花果をスーパーで見かけるようになり始めた。直売所ではまだ見かけていない。地元ではまだ採れていないのだろう。

今年の採れ具合はいかがなものなのだろう。降水量が少なく、猛暑だったこの夏の気候がどう影響してくるのか…。今年もたくさんたくさん食べたい。どうか豊作であってほしい。

拝啓、無花果よ。
今年も貴方をたくさんお迎えできることを心待ちにしております。
ちなみに、「拝啓 無花果様」「拝啓 無花果殿」にしたいところを「無花果よ」にしたのは、愛してやまないhumpbackの影響である。

これまた好きな果物ランキング上位に入る梨のシーズンにも差し掛かってきたので、夏が終わるのは寂しいが、食に関してはとてもとても愉しみだ。
梨は柔いものより、硬い派です。柿などその他の果物も、硬いものが好みです。

食欲の秋、非常に愉しみであり、非常に危険です。秋の食が最も好き。野菜も、栗、南瓜、さつまいもと、ほくほく祭りが堪らんです。

肥ゆり過ぎないよう、健やかな心身を維持しつつも、旬を愉んでいきたい次第です。

昨年のフレッシュ無花果と、木ノ実時雨の無花果グラノーラの完璧コンビネーションヨーグルト。待ち遠しい…

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