さよなら春、また来て
ぐずぐずと泣いていたら春が終わってしまった。いつしか初夏になりかかっているのだった。
今年の桜は見事だった。美しい時季に、美しいままで咲いた。
わたしはこんなに幸せなことがあるのだろうかと夜ごと部屋を抜け出して、
すこし高台の家々の隙間から、川沿いの桜の散るさまを眺めてたり、
夜にぽっかりと浮かびあがる白い花びらを、首でも違えたように見上げて歩いたりした。
あるいは気分がもっとよければ、通りの桜吹雪のなかを自転車で駆け抜けたりもした。午前の青空にぶわ、と飛んでいく花びらは祝いのようだった。
人たちが前を見もせずに、ぼんやり頭上を見上げていてあぶなっかしいのもとても好きだと思った。
それでもどこか、桜を見上げたり、くぐったりしていると、
うすぎぬをかけたように悲しい気持ちになるのはなぜなのだろう。
桜の中を歩いていると、心が”いま”からすこしずつ離れていく。
あの日に消えた人のことや、さよならした誰彼のことを思い出してしまう。
それならあのとき、と後悔しながら、
でも無理だったとくるしく思い返している。
いつだって、消えてしまうものが愛しい。
去って戻らない人たちが愛しい。
性分だから仕方がないのだ。どうにもそんな気持ちが強くなって、
捨ててしまったひとつひとつを、手のひらの上に思い描いている。
春にはそんな気持ちが心にやってくる。
春のせいなのはわかっている。
それにやられてぐずぐずと、わたしはいつも泣いているのだった。
それはひとりよがりで、感傷的で甘くて、
でも舐め尽くせばドロップのように消えてしまう。
春はいってしまった。
どこかで悲しみを引きずりながら、わたしはこんなに明るい初夏を迎える。
春がいってしまって、
明るい夏がやってくる。