旅する星に生まれた
絵画はからきしだめだと思っているのだけど
それでも。
1度だけ、絵を見て泣いた、ことがある。
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それはここに使われているまさにこの絵で
大岩オスカールという画家の絵だ。
このひとのことはずっと好きで
というのは一度どこかの企画展で彼の
「戦争と平和」という2点の絵(これと、これだ。)を見たことを憶えていて
何年かのちにまたどこかの美術館で出会ったのが、きっかけだった。
美しくて、でもライターとナイフを持ってひとの心にまっすぐ飛び込んでくるような
このひとの絵がわたしは好きで
画集など、柄にもなく買ったりして。
でもそれまでは、特に思いつめて1枚を気にいる、というのはなかった。
それがいっぺんに変わってしまったのが、
あるとき日本で行われた企画展。
それは彼の作品単独のもので、
そのいちばん最初に飾られていたのが、この絵。
タイトルは
「White(Os)car - Forest」
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日本っぽい背景と、木々と、空と、白いオスカー
それははっきりとした衝撃をわたしにもたらした。
ずどん、といって、ある重さをわたしに投げてよこしたのだ。
画像や、画集では伝わってなかった。
全然気にしてなかったこの絵を見た瞬間に、わたしは涙が止まらなくなった。
去来する言葉はひとつ。
「ああ、ずっと旅しないでは、いられなかったんだね。」
その瞬間、その絵とわたし以外に世界はなくて、
わたしはいま全部を理解したよって、そんな気がしていた。
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それは日系ブラジル人というこのひとのバックグラウンドにも由来するのだろうと、そう思うけど
それでもある種の人々は、旅を続けなくてはいけないのだ。
それは、出自や育ちに関係なく、きっと魂の性質として。
行きたくないときにも、とどまりたいときにも、
それでもいつも、旅を続けなくては、いけなかったんだね。
それを君はこうして、絵にして。残して。
そう思ったらなんだかとても涙が出て
旅する星に生まれたひとびとの、喜びや哀しみが全部いっときにやってきたみたいな気がして
理解したよ、ちゃんと伝わったよ。
独りよがりかもしれないけど、わたしはそう思ったのだ。
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もしかしたらこんなのとてもチープな解釈で
世の中には、同じことを思ってるひとが、
当たり前じゃないかって思ってる人が、ごまんといるのかもしれない。
でも、あの絵が投げてよこしたボールの重さをわたしは忘れることはないし
伝えるとか、伝わらないとか、理解した感じとか、その絵と繋がったきもちを自分で味わうことができたあれは
あれは絵を見るひとと、見られる絵にとって
本当に幸せな瞬間だったんじゃないかと思い返している。
きっとどんなおかしな解釈でも、当たり前の解釈でも関係ないのだ。
大切なのは、感じてること。
伝えたかったものを、受けとりたいんだ。いつでも。
(サムネイル画像は大岩オスカール氏の公式ウェブサイトよりお借りいたしました。”White (Os)car-Forest”, 2000, 227x444cm/ 90"x175", Painting)