肌は美しい音で跳ね返す
音に触れると、肌が変わる。
なんでだろうっていつも思う。
音楽は聴くのもつくるのも好きで、コンサートみたいな高尚な感じのものから、はんぶん酒場のようなものまで、これまでさまざま顔を出してきた。
でもどんなジャンルでも、どんな聴き方でも、それが声でも、楽器でも、いつも思うのは、終わったあとの自分の顔が、それまでとは少し違うっていうこと。
たとえその公演にじゅうぶん満足したとしても、そうじゃなかったとしても、家にたどり着いて化粧を落とせば、
肌はひとつ白く明るく、なんだかつるんとしていて
鏡の前ではっとするのだ。出かける前はこんなふうじゃなかった、って。
それはどうしてなんだろう、と思っていた。
単に、自分が高揚しているからというだけじゃない気がするのだ。
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わたしは役者でもなんでもないのだけど、むかし、ある演出家の方に目をかけてもらった時期があって
その人は劇場でいちど、こんなことをつぶやいていた。
「冬は、客席に音が吸われる」
要するに、夏場に比して厚いコートやセーターが音を吸収してしまうから、
役者さんが声を張っても、客席後方までじゅうぶんに届かない、ということらしい。
だから彼らはその日のお客の入り具合や、季節の服装を見極めて、音を計算していかなくてはならないのだった。
音を吸う
でももし洋服が音を吸うのなら、わたしたちの肌だってきっと、
そんな風にできているんじゃ、ないだろうか。
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音は振動だ。それは空気を揺らしてまっすぐこちらへやってくる。
わたしたちはひとりひとり、それを吸収したり、反射したりしている。
音楽を聴くための場所ではたぶん、ジャンルや方向は違ったとしても、
誰でもみんな”いい音”を鳴らそうとしている。
いい音であれと願った音が、あちらからこちらから跳ね返ってわたしたちに向かってくるとき、
わたしたちもひとつの物質として、その音を吸い込んで、跳ね返して、を繰り返してる。
その振動があのいつもの、不思議なくらい透明な肌の色につながっているのだろうか。そうなんだろうか。
そうだとしたら、それはとてもしあわせで、楽しいことだ。
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いい音をたくさん吸い込んだら、いい音を含んだ肌になれるのだろうか。
いい音を含んだ肌をしていたらいつか、いい音のする楽器みたいになれるのだろうか。
終演後の透明な顔をみて、これならいい反響ができそうだ、とちょっと思う。
つるんとして、美しい波形の音を返しそうな。
もしこの肌が続くのなら、日常の雑音も、なにげない会話もぜんぶ、綺麗な音にかえて跳ね返してみたいな。ギターのハーモニクスのような、弾むやわらかい音で。
だからできればいつだって、
”善かれ”と願われた音に、触れていたい。
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