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音楽の常緑樹を探しつつトボトボ、ヨタヨタと、だがめげることなく。新年の抱負に代えて

 とにもかくにも日はまた昇り、新しい年が明けはした。明けましておめでとうございます、ではある。

 しかし、気持ちの塞ぐようなニュースの多い世の中なのも事実だ。そんな中、私は衣食住オンボロで粗末であっても充分に足りているのを大いに感謝しなくてはいけないだろう(食については足りているどころか、もうすでに餅をこれでもかってほど食らってしまい、これは貪欲の罪というやつだろうと考えている次第)。

 ともかく読んでくださる皆様の健康と幸福を心よりお祈り申し上げたい。

 年頭に何か書こうとして思い出したのが、昨年の6月に書いて発表しないままになっていた文章。なぜ発表しなかったのか、忘れてしまったが、多分タイミングを逸したといったことだったと思う。
 その文章が、今ここで発表するのにちょうど良いと考えたので、2025年最初の記事として公開したい。

音楽の常緑樹を探しつつ

 現象としての目新しさ、音源の希少性といったことが生みだすこと、情報としての鮮度感に、音楽について語る言葉は引っ張られがちになる。

 その結果、見落とされ、耳を傾けられることがないままになっている響きが、誰でもが知っているような音楽についてさえあるように思う。

 非常によく知られていて、数多くのことが語られてきた音楽の中で、あまり聞かれたことのない響きが、手つかずのままひっそりと鳴り続けている。そんなことがあるように思えるのだ。

 季節の進行と共に木の葉を落とし、新たな木の葉が茂っていく落葉樹のように、新陳代謝があるのがポピュラー音楽の基本的なあり方ではあるだろう。

 だが、その落葉樹の森に人知れず、すっくと伸びている常緑樹のようなあり方がポピュラー音楽にあり、そんな音楽の響きに耳を傾けた体験について書いていきたいと思うのだ。2024-06-07

という一文である。

 昨年、第7回まで書いたヴァン・モリソン(Van Morrison)のアルバム「アクセンチュエイト・ザ・ポジティヴ(Accentuate The Positive)」についての連載記事では、自分でも思いがけないほどに、ポピュラー音楽史の迷路にはまり込み、まさに右往左往してしまった。

 1950年代から1960年代への年月の中で、R&Bからソウルミュージックへ、ロックンロールからロックへと音楽の歴史が移り変わっていく流れに、たいした準備もないままに飛び込まざるをえなかった。
 本人としては悪戦苦闘といった体験になったけれど、「常緑樹を探す」体験の一環だったことに間違いないだろう。

 また、その体験はアルバムの1曲目「ユー・アー・マイ・サンシャイン(You Are My Sunshine)」という曲とずっとつきあい続ける体験でもあったわけだが、そのことを通じて太陽の存在を改めて意識するようにもなった(「ユー・アー・マイ・サンシャイン」という曲自体は太陽のことを歌っているわけではなく、恋人が去ってしまった体験の痛みが歌われているのだが)。

 太陽ということを意識するようになってみると、地球温暖化の問題とは、太陽に対して我々、人間はどんな関係を作っていくのかということなのだ、なんてことも考えたリもした。
 自分自身のことさえまともにできない私のような人間が、そんな大きなことを考えて、どーすんだ、なことではあるのだが。
 しかし、文明社会まっただ中でも、大都会においてさえ豪雨災害、あるいは暑さ、寒さで命を落とすことは、誰にでも起こりえるのが、現代の気候の様子であることを思えば、誰にだって、私にだって身近な問題ではあるのだ。

 ともかく、そのこともあって、昨日、大晦日は日没の写真を、今日は日の出の写真を見出し画像に使った。どっちがどっちの写真だか区別がつかないと言われたら、そーかもしれない、と私も思うのだが。

 そんなこんなで今年も右往左往しながら、トボトボ、ヨタヨタ、だがめげることなく私の前に現れた音楽体験の道を歩んで行こうと思う。
 といったところなので、本年もよろしくお願いいたします。

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