ひとくち批評:よしながふみ『環と周』――いま刃を置いて輪廻を断つ
(この記事には一部ネタバレが含まれます)
出先で読み始めたらそのまま泣いてしまった漫画は、人生で初めてだった。
よしながふみの新作連作短編集『環と周』である。
娘の成長に戸惑う両親、
女学生たちがほんの刹那の間に育んだ友情、
余命わずかな女性が出会った幼い少年、
復員後再会したふたりの兵士、
そして男を討つ女。
それぞれの「環」と「周」には、子の成長と老い、婚姻と出産、病、戦争、嫉妬と殺人という「ままならない」因縁が二人を結びつけるようにまとわりついて、生に暗い影を落とす。
ある時代の周は「私はこの世に生まれてこない方が良かったのです…」と口にしながら環の腕の中で命を落としてゆくが、後の世で周は何度も輪廻を繰り返しながら、環と運命のように引かれあう。
そして環は、どの時代でも周の幸せを祈り続ける。
SFとして大仕掛けが用意されているわけではない。
輪廻転生を扱ったストーリーは国内外に数多く存在しているし、個人的には時代背景もあって三島由紀夫の「豊饒の海」シリーズを想起した。
しかし『環と周』の特筆すべき点は、全編通して「環」と「周」とその周囲にいる人物全員が善性に溢れた「清らかな人」であるところだ。
「嫁のつとめを果たせ」と詰る姑、虐待の疑いがある母親、妻を夜ごと殴る夫……。安易に悪役に設定できそうなキャラクターにも、必ず他人を傷つけることへのやるせなさと人生への悲しみ、そして清らかさがある。
同時に、苦しくも美しい生を送るそれぞれの「環」と「周」にも「濁り」と呼ぶべき身勝手さや傲慢さが存在している。
たとえば「環」は夫の帰りを待つ妻と情を交わしたり、近所の子を保護者にことわりなく何度も家に上げてしまったり、最終話では……。
昨今「バウンダリー」「自他境界」という語が作品読解でしばしば取り上げられるが、「環」の相手の私的領域に「つい」踏み入ってしまう危うさを「愛」と定義するか、苦々しい人間性の発露とみるか、或いは過去世に結ばれなかった絶望の残り香とするかはそれぞれの読者に委ねられる。
とはいえ、「環」の行動力が周囲を救ってきた事実は「周」の表情や想いを通じて何度も描かれ、エピローグでもそれが示唆される。
とりわけ『環と周』の第一話では、娘の守りたがっている境界をことわりなく踏み越える母親、というテーマを扱っている。
これは昨今の「毒親もの」の流行を追った一作というより、むしろよしながふみが『愛すべき娘たち』から描き続けているテーマだと言えよう。
幸せを祈ること、愛情を注ぐこと、或いは「境界を踏み越えること」はイコールで結ばれるのかもしれない。
よしながふみはその業の深さを否定することなく、ただ静かな筆致で描き続ける。