今日の読書『歌詞のサウンドテクスチャー うたをめぐる音声詞学論考』
最近のJ−POPの曲、と言われて、皆さんは真っ先にどんなアーティストを想像するだろうか。
米津玄師、星野源、YOASOBI、藤井風、Official髭男dism、Ado、あいみょん……。共通するのはドラマ・アニメ・CDといったタイアップ曲が非常に多いことだ。
とりわけ「歌詞のレベルが高い」という評価がなされるアーティストは「歌詞の(タイアップ先のコンテンツに対する)解像度が非常に高い」ことが求められる。
売れるコンテンツにはそれを象徴する歌詞の曲がつく。逆も然りで、売れる曲にはバズるコンテンツがついてくる――いわゆる「イメソン」需要とでも呼ぶべきだろうか。
しかし、歌詞の役割とはそうした「『歌詞カードの文字』に広がるポエジー」だけなのだろうか。
この本は現代のJ-popの歌詞=イメソンの流れに一石を投げかける「音声詞学」のための本である。
音声詞学とは著者が提唱した分野のことで、平たく言えば「歌詞を音声学の視点から考えていく試み」のことである。
本来歌詞とは文字情報である以前に「うたわれるもの」であり、そこには音楽としての声、すなわち音-声が付属しているはずではなかったか。
この本ではたとえば、音象徴の概念から歌詞を読み解いていく。
音象徴とはそれぞれの音が持つイメージのことで、ここでは例として「ぽんぽん」と「ぼんぼん」を比較してみることにする。
「ぽんぽん」という語を聞いた時、皆さんはどんな情景をイメージするだろうか。たとえば「手をぽんと打つ」、「ゴミをポンポン放り込む」、というように、物事のスムーズな流れや、矢次早に起こる様子といったニュアンスはないだろうか。その象徴を巧みに利用したのが、中田ヤスタカの代表作であるこの曲だ。
文字を眺めるだけでは言いたいことはよくわからないのだが、この「ぽんぽん」という音のイメージを加えると「問題がどんどん解決していく」といったニュアンスにたどり着く。
一方「ぼんぼん」という音は鞠のような重いボールが跳ねる音に近く、力強くパンチするような感触がある。
これを音声詞、つまり音声をともなった歌詞に適用するとどうなるか。
『マッシュル!』の主人公が持つ力強さや、作品自体の軽快なアクションを表現するにはやはりこちらが最適だろう。
もう少し専門的な話としては、日本語のようなモーラ言語とそうでない言語の比較から「日本的なうた」の響きとそうでないうたの傾向の比較検討がなされ、そしてそれらを自由に往来する現代の邦楽などが紹介される。
たとえば藤井風の「死ぬのがいいわ」。序盤「指切りげんまん……」というわらべ歌の引用(モーラ言語)で使われているコードと、エキゾチックな印象を与える後半のスキャットのコードの対比に注目。
私は決して音声学や音楽理論に通じている人間ではない(作詞作曲の経験はないズブの素人である)とはいえ、この本はさほど苦戦することなく楽しんで読み進めることができた。
作詞に携わるクリエイターはもちろん、日本語詩・短歌・俳句などの、声に出して読むことを想定した言語芸術の作り手にも広く読まれるべき本だろう。
そうしたミニマルな言語芸術において、音の持つイメージというものを文字情報の上に巧みに乗せることができれば、詩としての豊かさ、あるいは完成度は何倍にも膨らむにちがいない。