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【小説】カッコウの鳴くころ
プロローグ
「音楽を教わりたいのです。」
かっこう鳥はすまして云いました。
ゴーシュは笑って
「音楽だと。おまえの歌は、かっこう、かっこうというだけじゃあないか。」
するとかっこうが大へんまじめに
「ええ、それなんです。けれどもむずかしいですからねえ。」と云いました。
宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』より
本作の主人公
柳原美佐子
音声書き起こし作業者
好きなすしネタは「えんがわ」と「イカ」と「貝類」
(※名前は仮名ですが、筆者本人だとお考えいただいて差し支えございません)
初夏のおとずれ
カッコウ調査
南東北、福島県郡山市の市鳥は「カッコウ」である。
といっても、全国の自治体でこの鳥をシンボルにしているところはかなりあるのではないか。
きちんとまとめた資料こそ確認できなかったが、検索等で拾い読みしただけでも、札幌や仙台などの政令市クラスから小さな町村まで、多岐にわたると思われる。
(ちなみに、都道府県鳥のデータではなぜかゼロ)
郡山市では90年代から「カッコウ調査」というものが行われていて、小中学生、そしてその年代の子供を持つ保護者にはおなじみのものだ。市の南部在住で、2人の子供を持つ柳原美佐子もその1人だった。
毎年5月の下旬頃になると聞こえるあの声に「もうそんな季節か」と、一瞬だがほっとさせられる。
住んでいる地域の差もあるだろうが、毎年6月10日は前述の「カッコウ調査」の日なのに、この日に限ってなかなか鳴き声を聞くことができないというのも、もはやお約束だ。
震災以降のコト
改めて、郡山は福島県の中央部に位置する市である。
福島は2011年3月以前は、ただの地味な田舎県だったはずである。
しかし、3月11日を境に、「Fukushima」の地名は世界的に有名になってしまった。
それも残念ながら、Fameではなく、Notorietyの方でだ。
東日本大震災、大津波、それに起因する東京電力福島第一原発事故を抜きに語れない土地になってしまったのだ。
郡山市は原発からは60キロも離れたところだし、原発周辺から避難してきた人たちも多く暮らしているくらいだが、それでもフクシマは、トーホクは、ヒガシニホンはもうおしまいだと、声ばかり無駄に大きな人たちから責めるように言われ、むしろ事故の後、放射能の被害を忌避し、郡山を去った人もそれなりにいた。
知人の姉に当たる人が福島市で小学校の教師をしているが、「毎日のように転校手続する子がいてね…」と、控え目に嘆いていたらしい。
美佐子は自主避難という選択じたいを責める気は全くないが、逃げた先で今度は「フクシマ」を攻撃する側に回っているとしか思えない人々には、正直辟易していた。
2011年の初夏も、ここ郡山ではカッコウの声は変わらず確認できた。
地震被害も、わずかに増えた放射線量もどこ吹く風だったらしい。
カッコウ≠托卵
ところで、カッコウという鳥の姿かたちを見て「あ、カッコウ」と確定できる人は少ないのではないか。
何しろ「托卵(**下記注)」という、人間界で使うと禍々しい意味を持ってしまう独特の習性があり、巣を作らないことはよく知られている。
その一方で、生物多様性の指標と言われたり、何かとイメージが良い鳥なのだが、多くの人にと何といっても鳴き声ありきではないか。
美佐子は速記士の経験を経て、長いこと音声の書き起こしの仕事を続けてきたので、言葉というか「耳から入ってくる音」に並々ならぬ関心を持ってきた。
音声認識技術も徐々にも上がってはいるものの、まだまだヒトが耳で認識して入力するというスタイルの作業には需要があるようだ。
美佐子は常々、「人が聞き取れない音を、キカイが聞き取れるわけないじゃん」というスタンスで仕事をしてきたので、少なくとも自分がこの仕事をしているうちは、全部取って代わられることはないだろうなと思っている。
そんな美佐子が、「カッコウ」の鳴き声に関心やこだわりがあるのは、しごく当然かもしれない。
何しろ名前だ。
聞こえたとおりの鳴き声が、そのまま鳥の名前になっている。
そしてこれは、日本以外の言語でも同じらしい。
例えば英語ではCuckoo、フランス語ではCoucou、ドイツ語ではKuckuckということだから、日本語で認識される音との乖離もあまりなさそうだ。
美佐子はカッコウの、妙に音の輪郭がしっかりした鳴き声を聞くたびに、「人間もアレくらい明瞭にしゃべってくれたらいいのに」と思っているほどだった。
**
托卵
本来の意味は、動物(鳥類・爬虫類など)が自分の卵やヒナの世話を他の個体に任せること。
転じて、人間の女性がパートナー以外の男性との間に子をもうけ、パートナーに「あなたの子供である」とうそをついて育児の任を負わせる意味で使うこともある。
22時のコンビニ
店内放送
美佐子は「お風呂上がりのアイス食べたーい」と、甘ったれの娘におねだりされ、夜の10時にコンビニに行くのに付き合ったとき、店内放送で若い女性タレントのナレーションを聞いた。
内容は新商品の紹介で、聞き取りづらいというほどでもない、ごくごく普通のものだったのだが、肝心の名乗りのところがひどかった。
「皆さん!ごきげんいかがですか?クザンナです」
美佐子の耳にはこう聞こえた。
例えばロザンナ(ロザナ)、スザンナ(スザナ)などの外国人女性の名前は日本でもおなじみだ。そういう名前の一種かと思ったが、ただでさえ若い芸能人に疎い美佐子は、「クザンナ」などというタレントを知らなかった。というか、カタカナ表記とはいえ「クザンナ」という名前は、正直美しいイメージを持ちにくい。
何となくだが、偉大な哲学者ソクラテスのおかげで、世界一有名な悪妻になってしまったXanthippeをほうふつとさせる雰囲気もないではない(個人の感想です)。
店を出てからでも、娘に聞いてみようかな?と思いつつ、雑誌コーナーでファッション誌を見て自己解決した。
表紙で白い歯を見せて笑う快活そうなお嬢さんの名前は――「久世アンナ(**下記注)」だった。
そう思って“分解”して聞いてみると、なるほど、「久世アンナ」とちゃんと認識できる。
カッコウの潔さ
こういうことは本当に多い。
なぜか自分の名前を名乗るとき、異常なほど雑になる人がいるのだ。
これは例えば「しゃべり」を商売としている声優、アナウンサーなどでも同様である。
タレントの場合、顔がよく知られていたり、知名度が高い人ならば、多少雑に発音されても、脳内補完で「正しく」認識できる。
また、無名だったとしても、テロップで表記を見て分かったりすることもある。
どちらにしても、ビジュアルが加わって初めて理解できるということだ。
自分の名前は自分にとって当たり前のデータだから、そうそう強めに意識して言うことがないからだよなあ…と、美佐子は常々苦々しく思っていた。何なら最も力を入れてほしいぐらいなのに。
そんな中、「カッコウ」の潔さは称賛に値する。
名前自体は人間が人間の都合で付けたテキトーなものとも言えるのだが、誰が聞いても「カッコウ」だからの「カッコウ」なのだ。
しかし、例えば妙齢の女性が「私はカッコウになる!」などと言ったら、あらぬ誤解をされそうでもある。
美佐子は鏡をのぞき、自分のたそがれた年齢に似合いの容姿を確認し、「まあ私なら大丈夫だろう(今更卵は産めなそう)」と、空しい安堵を覚えた。
かつてある有名な詩人の妻が「本当の空がある」と言った福島県の片隅で、初老女が妄想する、あどけない鳥の話(次ページの「おまけ」参照)である。
**
これは実話ベースのため、実際に「??」となった人名も、ファッション誌の表紙モデルも実在のものですが、ご本人の名誉のために伏せたいと思います。
【本編 了】
おまけ
『あどけない話』
高村光太郎『智恵子抄』より
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(※)の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
※福島県中央部の3市1町1村にまたがる安達太良山
標高1,700メートル
県内学校の登山遠足でもおなじみの山
多分よくあること
ちなみに。
筆者が中学生の頃、国語の教科書に『智恵子の空』というタイトルのエッセイが載っており、その中で『あどけない話』が引用されていました。
そのためか、設問自体を勘違いしたかは分からないのですが、「この(詩の)タイトルを書け」という期末テストの問題で、『智恵子の空』という誤答が非常に多かった――と、担当教諭が嘆いていました。
勝手な話ですが、本当に『智恵子の空』というタイトルでよかったのではと思ってしまいました。