【小説】青い缶
ホトケで、メモ魔で、素人作家
夕実は心が冷たいエゴイストである。
少なくとも自分自身ではそう思っていた。
20代後半のときに同世代の夫と結婚し、以来15年の間に3人の子供に恵まれ、家事も育児も完璧といえるほど見事にこなしていて、さらには地域の活動にも積極的である。
年齢的に更年期といえなくもない世代だから、時にはちょっとした不調を覚えることはあったものの、不機嫌な顔を家族に見せることはほぼない。
夫は仕事熱心で優しく、子供たちも基本的にいい子たちだが、夕実のような妻または母を持ったせいか、いい意味で油断ができる。
だから、それなりに気ままに感情をさらけ出すこともあった。
といっても、ちょっと愚痴を吐いたり、あれが嫌だ、これが欲しいとわがままを言ったりする、人間としては珍しくもない振る舞いばかりである。
夕実自身は家族のそんな言い分を「辛いね」「困ったわね」「今日だけだよ」などと、おっとりした笑顔で寛容に受け入れるだけで、自分自身の不平不満を漏らすことはない。
学校や職場などのコミュニティーで、「ホトケの〇〇」などの二つ名を付けられるほど、優しくおっとりした人間というのがたまにいるが、夕実はまさにそのタイプだろう。
少なくとも、周囲の意見はそれで一致していた。
にもかかわらず、夕実自身はエゴイストだと自己分析をしていた。
◇◇◇
夕実はメモ魔である。
これは家族や自治会・子ども会の役員など、彼女と行動をともにしたことがある人間ならば、「そういえば」と思い当たることが多い。
服やエプロンのポケット、あるいはスマホポーチの中に、いつも小さなメモ帳と、赤く細い油性ボールペンを入れて持ち歩き、必要に応じて取り出していた。
几帳面な文字で買い物メモや行事予定などを書き取り、家族に周知する必要があるときは、キッチンのコルクボードにピンで張っていた。
また、商業高校時代に速記同好会に所属していて、検定3級を持っていたので、昔の記憶をもとに、符号を使って書くこともあった。
これは技術としては少々さびついていたので、同じ方式の符号を学んだ者でも読めないくらい癖があり、乱れていたが、さすがに本人には読めるらしい。
家族はそれらのメモを読めないながらも「アラビア語?とかってこういう感じだよね」「ミミズがいっぱい並んでる!」「ママって宇宙人?」などと、好き勝手に面白がって眺めていた。
夕実はメモ片を捨てず、青く丸い、デンマークのクッキーが入っていた缶に入れる習慣があったので、いつでも誰でも中を見ることができた。
◇◇◇
夕実の趣味というか密かな楽しみは、Web上で小説を書くことである。
しかし、これは誰も知らない。
ペンネームは「夏野ロージー」であるが、この由来もまた不明である。
中高生の頃から、自由気ままな設定の現実離れした物語を書くことはあったが、現在は日常生活の中から材を見つけ、ちょっとした泣ける短編に仕立てることが多くなった。
「卵6個入り パン粉 ほうじ茶、漂白剤」
メモ魔なのは、うっかりミスを予防する以外にも、実は小説のネタ取りを兼ねていた。
だから時にはこんな買い物メモから話をひねり出すこともあった。
どれも読みやすくて泣ける物語ということで意外とファンも多い。
夕実は読者の感想の中に、「夏野さんの心の温かさが伝わるよう」といった優しい言葉を見かけるたび、申し訳なさといら立ちで胸を満たしていた。
(冗談じゃない!私は誰より冷たいから、心温まる小説が書ける、それだけなのよ)
夫が仕事の愚痴を吐くたびに、内心(うるさい、情けない…)と舌打ちしつつ、激励の言葉をかける。
子供たちが自由な希望や要求をするたびに、(わがままを言うな)(自己解決の努力を考えろ)と、苦々しい言葉を隠し、子供に寄り添う姿勢を見せ、提案や手助けをする。
本音と建前の調整に疲れているときは、小さな子供を医療過誤で失って悲嘆にくれる夫婦の記者会見を見ても、(この人達は育児の面倒ごとが一つ減ったのか。うらやましい)などと考えてしまうことすらあった。
そのどす黒い感情を浄化するかのように書くのが、評判のハートフル短編の数々だった。
自分には人の心がないからこそ、人の優しさや思いやりの心に憧れがあるし、まさに「つくられたような」美談をうまく書ける――そんなふうに自己分析していた。
◇◇◇
ある日、夕実のもとに「新しい感想コメントを受け取りました」という通知がメールで届いた。
新作を書けばいつも2、3通は届くので、特に何も考えずに開いてみると、そこはにこう書かれていた。
「益山さんからコメントが届きました。
『あなたの書くものはいつも薄っぺらで安っぽい。こんなものを量産して恥ずかしくないんですか』
読書家で、愛妻家で
40代の会社員・幹夫には妻と3人の子供がいた。
妻の夕実は温和な性格で手際よく家事をこなし、家庭をしっかり守っている。
実は毒々しい美貌の悪女タイプに手玉にとられたい――的な願望を若い頃は持っていたが、自分がそんな人生を乗りこなせる自信は全くない。
十人並みの容姿で良妻賢母型の夕実の存在を、本音では「俺にはこの程度がお似合い」というふうに捉えていたが、子供たちが成績優秀だが子供らしく伸び伸びした性質であることは、妻の教育の賜物だと思って感謝をしていた。
その一方で、(まあ、俺の遺伝子だしな…)とも考えていた。
高校を卒業後にすぐ就職した夕実と違い、自分は大学を出ている分優秀なのだという思いがどこかにあった。
自分よりも学歴の高い女性と結婚し、口論でけちょんけちょんにやられているらしい友人や同僚を何人か知っていた。
「雌鶏歌えば家滅ぶ」ではないけれど、家庭では女性の方が男性より立場が低い方がうまくいくというのは、偏見ではなく“事実”だと実感もしていた。
しかしもちろん、そんなことを表立って口にするほど、愚かではなかった。
◇◇◇
幹夫は昔から小説を読むのが好きだった。
中高生の頃は、有名な作家のSFショートショートにハマり、そのパンチラインにいつも感心と驚愕と感動を覚えていた。
最近は著作権フリーの作品を扱う「文学自由空間」というアプリで、仕事の行き帰りのバスの中で、古い名作を読むことが多い。
そして、古の文豪の味わい深い文章に触れるのは悪くないが、もう少し現代的なものも読んでみたいと思うようになった。
興味のある作家のものは時々は購入していたが、素人の作家の作品が無料で読めるサイトにも目を通してみた。
文芸作品が主流のサイトだっただけに、文章自慢、表現自慢のような書き手が多いようで、人気作品は(なるほど、なかなか「読ませる」な)と感じるものもあった。
そんな中、「注目作」としてSNSの公式アカウントから発信されている作品に目が留まり、何の気なしに覗いてみた。
書き手は「夏野ロージー」というらしい。
詳しいプロフィールは省略されていたが、ペンネームや作風から女性であると推測できる。
さほど高齢ではないが、多分若くもないだろうということは、表現やボキャブラリーから読み取れた。
どれも短く、大変読みやすい。もともとどちらかというとショートショートや短編が好きな幹夫にはちょうどいいボリュームに思えた。
内容はというと、悪く言えばお涙頂戴的なオチが多い。しかしもこれも大変分かりやすいし、読者からの評判は悪くないようだ。
幹夫は最初のうちは面白く読んでいたが、本数をこなすうちに、だんだんと違う感想が芽生えてきた。
(こういうのって何というんだ…そう、なんだか小手先な感じなんだよな)
夏野ロージーなる作家は多分、深く物事を考えるのが苦手なくせに、「よく練っている」感じを醸し出すのがうまいタイプだろう。
それは『ふたつめの風景』『雪の五月』やらの小説(どちらも5,000字未満)を読めば分かる。
大体、このもったいつけたタイトルも嫌味だ。
そもそもこうして自作を世間にさらしている時点で、全く慎みがない(女のくせに…)。
こんなふうに考えると、次第に嫌悪感が生じるようになってきた。
そういう感じの小説が40作以上あり、内心文句を言いながらも、幹夫は次々に読んで、いつも(わざとらしい)(あざとい)と、ネガティブな感想ばかり抱くようになった。
ならば読まなければいいのだが、びっくりするほどそのときの幹夫の心境に突き刺さるワンフレーズが見つかったりするので、それを求めて結局読んでしまう。
そして「刺さる」ということに対しても嫌悪するようになった。
それは、自分より格下とみなしている人物に図星を突く発言をされたときに近い感覚かもしれない。
◇◇◇
幹夫は夏野に何か一言、感想を送りたいと思うようになった。
感想というより苦言になるだろうが、褒められて調子に乗っているこの女にはいい薬になるだろう、とも思った。
幹夫はずっと非会員の状態で読んでいたが、それではコメントを送れないらしい。
あまり使っていないアドレスを使ってしぶしぶ会員登録し、このように書き送った。
『あなたの書くものはいつも薄っぺらで安っぽい。こんなものを量産して恥ずかしくないんですか』
(本当ならば、もっとひどい言葉で傷つけたい…)
幹夫自身にも理解できないが、なぜかそんな嗜虐的な思いも生じていたので、これほど寸止めが利く自分は褒められてもいい、とすら思った。
◇◇◇
妻・夕実は最近、なぜか元気がないように見えた。
幹夫が心配して「何かあったのか?」と尋ねても、「生きていればいろいろあるわ。話すほどではない、つまんないことよ」と、曖昧な笑みを浮かべるだけなので、幹夫はそれ以上追及しなかった。
(夕実はあの夏野ナントカみたいに、得意げに小説を人さまに読ませたりしないだろうな)
幹夫には、夕実の慎み深さが非常に好ましいものに思えた。
青い缶を囲んで
夕実は夕飯の買い物の帰り道、自転車で横断歩道を横切ろうとしたとき、信号無視の乗用車に突っ込まれ、命を落とした。
居心地のよい家庭を運営し、笑顔で家族を支えてきた夕実を失い、家族は立ち直れそうもないようなショックを受けた。
「私たちがこのままじゃ、天国のママに恥ずかしいよ」と、11歳の次女が初めに立ち上がり、13歳の姉も、8歳の弟も、そして父親・幹夫も涙をぬぐい、少しずつ動き始めた。
遺品整理の中で、メモがたっぷり入った青いクッキー缶を囲んで母を懐かしんだりした。
「10月〇日、〇日、地域の祭礼。お初穂の用意を忘れずに」
日付から判断すると、これが最後のメモだったらしい。
しかしメモの大半は、夕実が自分で読むためだけに書いた、あの謎の符号ばかりだ。
「これソッキっていうんだよね。どうにか読む方法ないかな」
長女が言った。
幹夫がスマホ「速記」で検索すると、協会団体のページや速記符号の画像が見つかった。
どうやら方式が幾つかあって、それによって符号も全て異なるらしい。
「たしかママが勉強していたのは“ナカオ式”ってやつだった…かなあ」
「符号一覧とか、どこかに出てないかな?」
といっても、符号は五十音が一文字ずつ書かれた表しかないので、表記のやり方が分からない幹夫たちには解読できなかった。
「こりゃ外国語を勉強するより難しいかも…」
「暗号みたいでちょっとかっこいいし、ボク覚えてみようかな」と、探偵が主人公のアニメが大好きな8歳長男が言った。
「それいいね。頑張れ」と、笑顔でエールを送るほかの家族。
夕実が逝った後の久々の明るい雰囲気に、家族全員の心が少し軽くなった。
◇◇◇
青い缶の中で眠り続けるだろうメモには、このようなことが書いてあった。
連綴(符号同士がつながること)が切れているところで分かち書きにして起こしているため、読みにくさはご容赦いただきたい。
(休みの 日だからって 何時まで 寝ているのよ)
(部活の 準備も バカにならない いったい いくら 使う気 なのだろう)
(パンは 食べた 気がしないだの ご飯は かむのが 面倒くさいの 毎日毎日 言うことが コロコロ 変わりすぎ 何様ですか)
(靴下 とか 下着 とか 裏返した まま 出すの やめえ)
(自分では 何も 書けないくせに 批評家きどりの ただの 悪口 ウザい)
(死ね――と書きかけて横線で消す)
生前の夕実が「心の冷たいエゴイスト」だったのかどうかは、読者各位の判断にお任せしたい。
【了】