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西東三鬼
おそるべき君らの乳房夏来る
夏が来ると、女性も男性も薄着になってくる。この湿気の強い日本列島にあって、夏の暑い盛りをいつまでも厚着のままで暮らせるわけがない。しかし、一方で夏場に向けて女性の薄着が増えるにつれ、男性としては目のやり場に困ってしまう季節になる。例えば強い日差しの下、バス停でバスを待っているとする。そこに、若くて美しいピチピチとした若鮎のような肉体が、薄着のままで近づいてきたら、じっとその姿を直視していてはいけない。そんなことをしたらスケベ親父だと罵倒されかねず、痴漢だと疑われてしまう。だから、使いたくもない扇子を鞄から取り出して、顔を上げてバタバタと顔面に風を送り、若鮎は見なかったことにする。それが現代の若きも老いたるも男性としての心得である。
しかし、この乳房は、「恐るべき」ではなく、「畏るべき」と書きたい。つまり、忌避すべき恐怖の対象ではなく、畏敬の対象である。古来乳房は性の象徴ではなく、生命の象徴であった。だから、昔は堂々と乳房を丸出しで赤ちゃんに授乳していた。乳房を性の象徴として考えるようになったのは、戦後西洋文化がどっと押し寄せてきてからのことだ。
生命の徴であるということは、再生の徴でもあり、それは真に「畏るべき」ことなのだ。「薄いブラウスに盛り上った豊かな乳房は、見まいと思っても見ないで居(い)られない。彼女等はそれを知ってゐ(い)て誇示する。彼女等は知らなくても万物の創造者が誇示せしめる」と、三鬼自身が昭和23年刊の『三鬼百句』で解説している。
若鮎よ、ついでにお願いがある。その長い脚を包むスカートやショート・パンツを、もう少し上手に長くしてくれないか。それでは、余りにも短すぎると、おじさんは思うのだが。さもないと、二本の長い脚が一つに集約される、あの柔らかそうで硬く締まった半球が、露骨に見えすぎる。
水枕ガバリと寒い海がある
西東三鬼の句は「非常に」と副詞を添えたくなるほど良い句が多い。この句もその一つだ。この句の意味は、「高熱で床に伏している中、頭を動かすと水枕が「ガバリ」と重く暗い音を立てた。寒い海の音が蘇る。」というほどのものだ。
周囲には人がいない場所に一人で静かに寝ていたら、突然「ガバリ」と重々しく響いた。その時の不安、孤独感がこの句を生み出したのだろう。ところで、従来は俳句や短歌にはオノマトペ(擬音語・擬態語)は使わなかったが、この句はその先駆けとなった。
私は子どもの頃は病弱だったので、何度も水枕のお世話になった。年を取るにつれて、あまり風邪を引かなくなった。だから水枕のお世話にならなくても済む。しかし、馬鹿は風邪を引かないということの証しでもある様な気がして、ちょっぴり悔しい。