西行の足跡 その4

2「さてもあらじ今見よ心思ひとりて我が身は身かと我もうかれむ」
 松屋本山家集・雑・762a
 このままではいないぞ。さあ見ていろよ。我が心よ。出家への決意を固めて、昨日までのとは全く違う私への門出に、さあ出発だ。
 
 なお、手元にある『山家集』(宇津木言行) 角川ソフィア文庫には、この歌は掲載されていない。松野屋本山家集は手元には持っていないので、確かめられない。
 
 それにしても、自分の心に自分の決意を言い聞かせるとは、なんとも奇妙だが、この歌の由来を見てみれば理解できる。「心、「身」、「我」という三者の関係を複雑に絡ませた観念的な歌であるが、出家への意識が高まった時にはよく詠まれたらしい。  
 
「数ならぬ身をも心のもちがほにうかれてはまた帰りにけり」 
 新古今集・雑下・1748
 我が身はものの数にも入らない卑賤な身であるが、心はその持ち主であるかのように振る舞って、身から浮かれ出ていってはまた身に帰ってきたりする。
 
「ともすればよもの山べにあくがれし心に身をもまかせつるかな 
 増基法師 『後拾遺集』雑3
 私は今出家します。そうはいっても、ややもすると山に惹かれて浮かれ出てしまってばかりいた。そんな心に身を任せるだけですが。
 
 つまり、心のままに我が身を任せたということだから、西行は、「心よ、我が身はおまえの決意した通りに動く」ということが言いたかったのだろうと推測する。いずれにしても、この歌で西行は出家を決意したと高らかに宣言した。
 

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