メディアとしてのAI メディア論から考える①
noteで文章を書いていると読む人のことが気になってくる。どんな人が読んでいるのだろうか?読んでどんなことを感じているのだろうか?
いいねをくれた人の記事を読んだりすると、「こんな人が読んでくれているんだ。」と読み手を想像して書くということもでてくる。
AIに読んでもらうために書く
noteで書くネタを考えていたときに、ふと自分が書いたものがAIの学習に使われてAIの知識の一部になるかもしれないなーと思いついた。そうすると人間に向けてテキストを書くだけでなくAIに学習される(AIに読んでもらう)ために文章を書くということもでてくるような気がする。
そして自分が書いたものがAIに学習される情報の一部となれば、そのAIに質問を問いかける人たちにも間接的に働きかけることになる。
AIもメディアになる
一般的に人から人へ情報を伝えるとき、情報を媒介する物の事をメディアと呼びます。
メディア(音声、本、写真、映像など)
人→メディア→人
マスメディア(新聞、テレビ、ラジオなど)
人→マスメディア→人、人、人、人、、、、、
そう考えると人が作ったものをAIが学習して他の人が知識を受け取る過程を考えるとAIも一つのメディアと言えるのではないかと思います。
人、人、人、、、→ AI →人、人、人、、、、
それではAIをメディアと考えたとき、どのような特徴が見えて来るのでしょうか?ちょっと考えてみたいと思います。
メディアはメッセージである
マーシャル・マクルーハンは『メディア論:人間の拡張の諸相』(1987)の中で「メディアはメッセージである」という言葉を残しています。
これはメディアは、人から人へ情報「メッセージ」を伝える道具というだけでなく、新聞、ラジオ、テレビなどメディアの形態そのものが「メッセージ」を持っているということを意味しています。
これは、メッセージの内容だけでなく、メディアのあり方自体が大きな意味をもっているということです。
たとえば「好きだ」というメッセージを相手に直接話すのか、手紙で書くのか、Xに書くのか、TVCMで流すのか、メッセージの内容は同じでも、相手にとっては全く違う意味を持つことはわかると思います。
メディアは認識と経験の在り方そのものを変えてしまう
少し古い例では、インスタというメディアが「インスタ映え」というような新しい物の捉え方や行動様式を生み出すといったことが当てはまります。
つまりインスタで流通する画像=メッセージの中身(コンテンツ)ではなく、インスタのシステムそのものが社会的なインパクトをもっているということです。
新聞が第一次世界大戦を生み、ラジオが第二次世界大戦を生んだ
インスタ映えの効果で飲食店や観光の在り方が変わったという程度の変化であればそれほどインパクトはありませんが、もっと社会の根本的な在り方を変えるような変化もあります。
例えば世界大戦というような現象も、航空機など兵器の発展だけが原因になったわけではなくメディアの発展も大きな影響を与えています。
たとえば、教育制度と新聞やラジオなどのメディアが国民という仲間意識を作り出し、世界大戦を可能にするような挙国体制を可能にしたという側面があります。
ナチスの成立と発展はラジオ放送によって裏付けられているということはマクルーハンを始め多くの学者が指摘しています。ナチスは政権につくとすぐに放送局を国営化し、海外の放送を受信できない「国民ラジオ」を普及させてナチスの放送を聞くことを義務化しました。ナチス高官だったシュペーアも次のように戦後の裁判で証言しています。
これは1941年に現在のNHKからだされたパンフレットです。
ここには
と書かれているとのことです。
日本でも「国家の意思」つまりは「支配者層の意思」をより多くの国民と結合させる道具としてラジオが意識的に使われていたことが伺えます。
新しいメディアのあり方が新しいメッセージを生み出す
今のようにメディアがソーシャルメディアに統合されてきている現状では、メディア論で扱われていたメディアのもつメッセージ性はインターネットサービスのサービスデザインといった分野で追求されているように思います。
たとえば、YouTubeやFaceBook、Xのような情報サービスは、それぞれが、テレビやラジオと同じようなインパクトをもった独立したメディアと考えられます。
そして、それぞれのメディアとしての特性=「メッセージ」は、あらかじめ研究され目的を持ってデザインされています。
たとえば、Xでは、メッセージをあえて短くすることで、伝達の速さと即時性をもたせ、#タグによって情報の共有と参加者の仲間意識をもたせることができます。
それでは、AIをメッセージを媒介するメディアとして考えたときに、AIはどのようなメッセージを持っているのでしょうか?