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50代一人暮らしが、これからについて考えてみた。

2024年8月4日。
暑さと金欠、そして出かける相手もいないので、自宅警備員として大々的に活躍中。
昨日は夕方近所のスーパーに食材を買い出しに行ったのだが、久しぶりにカップ麺なるものを食べようと値段を見てびっくりドンキー。
日清のカップヌードルが248円って、あーた、カップ麺って128円くらいじゃないの?!
2個食べたら500円近いって、「金がないからカップ麺くらいしか買えないんだよ」と言っていた苦学生たち(いつの時代?)は、今何を食しているのか。
オドオドしながら「赤いきつね178円」を購入してきたが、5、6年前に「いつもは98円だけど68円になっているから買っておこうか」と息子たちとカゴに入れたお前もか。
青い顔をして赤いきつねを持ち、金がないと白旗を上げる私は、時代の波に乗ろうとパリオリンピックを意識しているわけではない。


昨日も今朝も、ろくなものを食べていなかった。
(昨日の夕飯はねじり揚げというお煎餅に、
レッドアイ作ってお終いだった)
午前2時。関根勤の youtubeを見ているうちに寝落ちするという
幸せな時間でもあったのだが。

本日の昼は栄養補給。
久しぶりにウフマヨネーズを作った。

円安に酷暑。生きるのには厳しい時代だな・・と昭和バブリーを知る私は思うのだった。
この暑い最中にせっせと働く、高齢と思われる宅配便の配達員の方や駐車場警備の方を見かけると、勝手にその人の人生を想像してしまう。
いや、働ける体があるのは幸せということなのか?
こうして物価がどんどん上がり、年金が云々、税金が云々、変な政治家ばっかりで、あと数年でアラカンの私としてはついつい横目でその働く高齢者の姿を追ってしまうのだ。


ネットには「50代で自分の人生を振り返り、後悔する人が90%以上」とある。後悔の度合いの差はあれど、私以外にもこんなにいるのか。
ウィリアム・ブリッジズの「トランジション(移行・変化・過度)」という書籍を読みたいと思っているのだが、チラリと見た中に「STEP2 『中立圏』混乱や苦悩の時期」というものがあり、過去・現在・未来の自分の狭間で葛藤しながら自分を再構築していく・・というような内容が記されていた。
あら、今のあたくしでは?

あらゆる状況には「終わり」があるが、その変化によってアイデンティティを見失ってしまうことがある。苦しみや虚無感、喪失感をしっかり感じて、自分を見つめ直すことが次の新たなるスタートに絶対的に必要なことらしい。

就活の際によく耳にした「自分の棚卸し」を現在も続け、「ああ何もできない私って!」と他人と比べて落ち込んだり、こんな私を心底思ってくれる母に感謝をしたり、「しゃーないやん、これが私なんだから」と開き直ったり、「小さな頃は多くの人に守られていたんだな」と感傷に浸ったり、目まぐるしい思考の変化をしながら、いつもその考えが行き着くところは「愛」であって、そろそろ哲学者か宗教家になるんではないかと思っていたが、はは〜んそういうことか。


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